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【覚悟の違い】何でも自分のせいにできるかどうかで成果のベクトルは変わってくる

仕事において、自身や自身のまわりで起きたことを「自分事」として責任を取れるかどうかで、その後の成果は変わってくる、という話

本日の予定の中に、モヤっとする仕事が1件混じっている。

仕事をしている以上、しかたのないことなのだが、作業をした箇所の手直しであり、その箇所はどう考えて弊社側の作業員の落ち度ではないと思うのだ。

だが、「他の誰か」という犯人捜しをしようにも証拠がないゆえ、結局のところ誰かが尻ぬぐいをせねばおさまらないという現状である。



私の判断で、作業員には工賃を支払い手直しをしてもらうように指示をした。元々単発の半日仕事ということもあり、手直しの工賃を支払えば儲けは出ない。

しかしながら、私がとったのは「立場上の責任」というペナルティーである。

仕事を請負う立場である以上、その仕事には責任が付帯する。今回のような席にの所在がきわめてグレーな場合も、私は負える範疇であればかぶることもいとわないようにしている。



けっしてお人好しでそうしているのではなく、責任を負う立場である以上、儲けもいただくが、何かあれば泥をかぶるのも当たり前という考え方からである。

だが、こうした状況では人の本性があらわれることになり、過去に何度も相手先に失望したという経験がある。トラブルに際して及び腰となり、ひいては責任をなすりつけ、その上お金まで出さないという人が少なからずいるのだ。



そうした場合、私の中では「今後の取引きに関しての判断の場」と称して、感情を抑え、心の中でそっと様子を見守るようにしている。大事な場面で自己保身に走り、責任逃れをする人とは関係を構築していくのはむずかしいと考えている。

私は責任ある立場として、上であればあるほど自責の念を持っていて欲しいと願っている。だが残念なことに、私のいる末端建設業の市場であると責任とお金の関係から残念なやり取りを露呈する場面も少なくない。



普段は大きな顔をして仕事を出している元請業者にかぎって、トラブルの場ではかくれて出てこない。そして挙句の果てに今回の案件ではトラブルによりマイナス面が生じたので下請けには支払いができない、なんて発する業者もいた。

何のための立場なのか、責任は誰のものなのか、私はあきれるばかりであったが、そうした経験ををへて、自身が仕事を請負う立場になった際には「一番腰を低く、一番頭を下げる存在であろう」と肝に銘じたのだ。

仕事はいかに目の前の問題を自分事として捉えることができるかで成果が変わる。はじめから視点や姿勢にブレがあるようではいい仕事はまっとうできないとあらためて考えた月曜日の朝である。

責任を負える仕事かどうか、というのも仕事を選ぶ判断基準になる


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