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【ターゲット】なぜ八方美人は誰の心もつかめないのか?

商売や人間関係において、関わる人すべてにいい顔をしていては何の成果も得られない。誰のために活動しているかは明確に、という話

最近、仕事やそれ以外の活動についても考えさせられることが多い。

抽象的に考えて、とあるひとつのことを強烈に感じたのだが、それは八方美人は結局のところ何も得られない、という事実。



商売においてもそうなのだが、仕事を受け身の状態で依頼されるすべての顧客の希望に応えようとすると必ず失敗する。

それは自社が「誰を幸せにしたいか?」という定義が欠けてしまっているからである。

顧客を選ばずにみんな笑顔にしたい、というのは建前で、本当はお願いされたことで怒られたくない、失敗したくない、嫌われたくない、というすべて自分都合の理由がホンネではないだろうか?



先日のnoteでも書いたが、風呂敷は広げすぎると自分の首を絞めるし、何より誰の記憶にも残らない中途半端な価値しか提供できない。

何でもできますよ、誰の仕事でもしますよ、というのは一見心の広い人のように感じるが、それは「選別」するのが失礼とか、こわいという心理が働いているからではないだろうか。



仕事以外のコミュニティでの立ち振る舞いでもそうだが、自分ひとりができることなんてたかが知れている。与えられた役割りをまっとうするのなら、それによって起こる摩擦が生ずるのもしかたがない。

役割りによる最大の成果は何か?ということを念頭に置けば、ブレることなく成果に辿り着けるだろうが、八方美人にものごとを進めていくと、それ自体が役割りにすり替わり、成果は「波風を立てなかった」というやる前と何も変わらない状態を維持するにとどまる。



それでは何もしないのと同じだし、商売でも嫌われないかもしれないが、誰からも必要とされない状態に陥る。それはつまり顧客から忘れ去れらるということであり、売上げが立たないということである。

成果は誰に与えるものか、ということを軸に考えればまわりで波風が立とうと気にならなくなる。

穏便にうまくやろうというのは大人なようで、実は自分の保身しか考えられない成果から一番遠い精神なのだという結論に至った次第。

「誰のために何をするのか」そこから始めれば余計な話は耳に入らない


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