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俺たちどうすりゃいいの!?って叫びたくなるだろうよ、子どもたち

先日のこと。

公園で遊ぶ子どもたちの声がうるさいという苦情が学校にあったそうです。苦情というか通報ですかね。遊んでいるのがどこの学校の子かなんてはっきりわからないはずなのに、なんで学校に?という疑問も湧きますが、深く考えると恐ろしい結論に達しそうなので、それは別のこととします。

本当に度が過ぎて騒いでいたのか、ただ普通にみんなで遊んでいて盛り上がっていただけなのか…わかりませんが。

遊びにくくなりますよね。子どもたち、一体どこに行けばいいんでしょうね。どこだったら許されるのですか?

外で元気に遊んではうるさいと言われ、じゃあ家で!となったら『ゲームばっかりして~YouTubeばっかり見て~』と疎まれ(そら公園でゲームするわな)。

静かに、真面目に。勉強に取り組んで、習い事に励んで。(大人が思い描く)将来のためにだけ生きれば、文句は言われないのでしょうか。

友達と思いっきり楽しく遊びたい。ハマってるゲームを思いっきりやりたい。大好きなYouTuber(推し)を永遠に眺めていたい。

例えばそういう素直な自分でいようとすると、すかさず抑圧される。否定が入る。

そんなこと繰り返していたらさ。悲しくて、イライラして、辛いから、感情麻痺させるしかなくて。攻撃的になったり無気力になったりしたって仕方ないよ、もう。

いちばん大切なものが、置き去りになっている気がする。

『子どもたちがうるさいです』『うるさいという意見があったので、気を付けましょう』って、地域も学校も、子どもたちを邪魔者扱い。子どもやその家庭のせいにして押し付けるだけで、周りは誰も全然守ってくれない。そんな中でさ、安心して生きていくことなんてできないじゃん。私たちも、子育てしにくいって感じるに決まってるじゃん。

こんな社会では希望溢れる未来なんて、描けなくなって当たり前。

こんなにも多くの子どもたちが行き場を失って苦しむ今の世の中は、大人たちが作ってきた世の中だということを忘れちゃいけないんですよ。

あまりにもこんなことが多いから、私のほうがおかしいのかなって思ってしまいますわ。

私とて、人に迷惑をかけまくってめちゃくちゃに生きることを良しとしてるわけじゃないのに。難しいですね。

さて、7月4日(火)は不登校についてみんなで話す会開催です。

今日のnoteは過激だけど、私は子どもたちも大人たちも伸び伸びと自分らしく生きていける社会になることを願う、ただの善良な市民です(笑)

親の会については下記リンクをご覧ください。


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