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完全不登校から学校復帰の記録③6月、3年生最後の登校

前回までのnoteの中で、息子が不登校になるまでの経緯を順に書いています。

今回は、3年生で最後に登校した日のこと。2020年の6月、長い長い休校が明け、まず分散登校から学校が再開されたある日のことです。

休校が明けてもやっぱり変わらず『学校には行けない』というので、分散登校が始まっても最初の何日かは休んだ記憶があります。息子には『無理に行かなくていい』と言っていた私も、まだ心の奥では『今ならまだ教室に入りさえすれば、通うようになるんでは?』と思っていました。そしてある日、母子で一緒に登校することに。どうやってそういう話に持っていったのかはよく覚えていませんが『とにかく一度行ってみよう!』と説得したんでしょうね。息子自身も、辛いながら『行かなきゃいけない』という気持ちは持っていたので、そのときはすごく頑張って力を振り絞って登校することにしたのだと思う。私も既に不登校とは別のことでうつ状態にあったので、自分がこれ以上苦しくなりたくないっていう気持ちが正直ありました。不登校まで背負いきれない!と。

やらなきゃいけないことがあるのにどうしても動けずにいる罪悪感とか、動けないくらい苦しいけどどうにか立ち上がる頑張りとか、それがどれだけ大変か…まさに自分がその状態にあって地獄のような苦しみを感じているのに、私はそれを息子に押し付けていたことになります。当時はただ必死で…う…思い出すだけで胸が苦しい…。

どうにか学校まで連れて行ったものの、やっぱり教室には入れません。教室のそばの階段で頭を抱えてうずくまってしまいました。

そんな我が子の姿を初めて目にしてね、優しく『やっぱりもう帰ろう』って即座に声をかけてすぐに帰宅を促せる親御さん、一体どれくらいいるでしょうね??

私は少ないと思うんですよ。今ならそうした方がいいということはわかるけど、それは葛藤しながら不登校の日々を重ねてきた経験があるから言えること。学校に拒否反応を示し始めた初期段階、あと一歩で教室というところに来ていたら、『ここまで来たのにどうして入れないの!?』って思う人が大半なのではないでしょうか。まして、教室で多くの子が元気に授業を受けている様子がすぐそこにある。なぜ我が子だけが…と思うのが自然な感情だと思います。って、ちょっと弁解めいてるかな。

うずくまったまま時間は過ぎ、休み時間になって友達が声をかけてくれるけど、うまく応えられない。やっぱり私は『なんで…』と思い続けてる。イライラもしてくる。そんな私の様子を察して息子は苦しそうに『ごめん』って言いました。そんなこと言わせてしまうなんてね。とても悲しいことですね。

その日はどのタイミングでどうやって帰ったのかなあ。

イライラは滲み出てしまったし息子がどうしても教室に入れず苦しむ様子を目の当たりにして悲しかったけど、息子を叱ったり責めたりする言葉はかけないように…と、それだけはどうにか自分を保っていたような記憶がうすぼんやりとあります。今後のことを思うと気が遠くなりそうだったけど、息子には『がんばったね』って言ったと思う。そのときは精一杯の声掛けでした。

そして、いよいよ完全不登校デイズに突入します。


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