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反サロ運動の輪郭

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1.はじめに

これは、社会運動である「反サロ運動」について、その語の意味と、思想的背景、活動の展開についての提案を簡単に書いた文章である。

2.反サロ=反・サロン

最近盛り上がりを見せている社会運動の一つに、「反サロ運動」がある。簡単な意味は以下の通り。

日本国民の医療費について、前期高齢者は2割負担、後期高齢者は1割負担ということになっている。意地悪に言うと「8割引」「9割引」というわけだが、これは高齢者からしてみるとかなりオトクであり、それゆえ彼らのうち無視できない数が「わざわざ病院に行かなくてもよい事例であっても」病院に行って暇を潰しているというのだ。過剰医療の誘発。これを経済的に下支えするのが労働者からの搾取=税金(社会保険料含む)なのであり、ここに一つの差別構造・搾取構造を見出し、反発するのが反サロ思想の大枠である。

先に述べた過剰医療について、病院を使い放題という意味で「サブスク医療」と揶揄されることもある。詳しくは以下の中田智之氏の記事を参照されたい。
実は「誰も幸せになれない」…!いますぐ「サブスク医療」を止めて、全年齢で医療費を3割負担にすべき理由(中田 智之,週刊現代) | マネー現代 | 講談社 (gendai.media)

更に、もともとの病院のサロン化=サブスク医療に加えて問題意識として共有されていることに、拷問的延命治療と青天井医療がある。

3.イデオロギーとしての反サロ

反サロがイデオロギーである以前に、サロ=病院サロン=医療福祉がイデオロギーであった。確かなイデオロギーを道徳の仮面で隠し、巧妙に、医療福祉なるものが大手を振って登場したのは、高度経済成長を経て近代化が達成された1970年代前半と言ってよい。政治の季節から経済の季節へ。古めかしい政治的イデオロギーが、別の何かに形を変えて受け継がれる時代。近代化という国家的目標が達成されたならば、次いで問題となるのは個人的なレヴェルの生活であった。特に、動乱の1930-40年代を生き抜いた高齢者の老後については、熱心な支援の目が向けられる。福祉元年と呼ばれる1973年には高齢者医療費の無料化が行われた。秋田県と東京都が先駆けてこれを実現していたばかりか、他の自治体もよく追随したために、国がその圧力とも言える後押しを受けて実行した。この無料化は受療率の大幅な増加を招いたという。

これではならぬとばかりに高齢者医療費の無料化という施策は10年で終わり、その後、多くの改革がなされたが、結局、「病院のサロン化」という50年前に囁かれ始めたような問題が解決していないのが現状である。

さて、何が原因なのであろうか? 政策を打つ役人が賢くないというのであろうか? それも、あるかもしれない。しかし、私は敢えて役人のアタマがどうこうと書かない。私が本当にしたいのは政策=現実的レヴェルではなく、根源的なレヴェルの要求である。すなわち、イデオロギーの転換である。「サロ」のイデオロギーから「反サロ」のイデオロギーへ。

そもそも、「病院のサロン化」とは、高齢者優遇と医療優遇の悪しきコンビネーションの結果であった。貴族たる高齢者、彼らをビジネスの好機と捉えて現状改革を望まない特殊階級たる医療従事者が手を組み、サロンと化した病院を放置し/させている。拷問じみた延命治療や青天井医療についても、高齢者は「私はそこまでして生きたくない」と言い、医療従事者は「辛い思いしてまでやらせたくない」と言うが、しかし現状として発生している以上は、いずれか或いは両方に問題があると見るのが普通である。

もう少し踏み込めば、高齢者と医療従事者だけが問題というのではない。高齢者を「尊敬すべき長老」たらしめ、かつ、医職を「人民の生命を左右する聖職」たらしめる風潮が問題である。それはつまり、糾弾されるべきものが、当事者から当事者を受け入れる土壌そのものに敷衍されることを意味する。

結局、「サロ」イデオロギーを支えている思想的土壌とはなにか。それは、①歪んだ敬老思想②医療信仰③健康・生命至上主義の三つである。これらは、先ほど挙げた反サロ的諸問題、サブスク医療・拷問的延命治療・青天井医療と確かに関連する。

1.vs歪んだ敬老思想

現代の敬老思想の歪みとは何か。それは、国が率先して敬老を押し付けていること。そういった国家から強制されたシステムの外部にこそ、本来の敬老はあるのではないか? 想像してみてほしい。85歳の老爺がいる。彼には延命治療の選択肢があるという。そんな中、子供や孫が医療費を全額負担して行われる治療と、医療費9割引で行われるそれ。どちらが老爺を強く感動させるだろうか? 敬老精神を持つ者こそ、敬老精神の国有化に、NOを言おう。これは、ネオリベとも親和性がある言論かもしれない。

また、この国家的システムによる敬老は、ありとあらゆる方向に延び、我々を疲弊させる。年金の賦課方式という実質上の仕送りとしての「経済的敬老」、電車の優先席という「空間的敬老」、敬老の日に代表される「文化的敬老」など、若者は生まれた時からそれに浸かりっぱなしで、高齢者を労わることを当然だと思っている。しかし、やりすぎではなかろうか。現代という時代は、人口ピラミッドが逆三角形に近づいていく過程である。もう我々に、高齢者を支える余裕はあるのだろうか? 

加えて説明したいことは、高齢者に気を遣うことと障碍者に気を遣うこととは全く別の話であることである。障碍者というのは誰でもなり得るが数値として極めて低いため、福祉がセーフティネットとして機能する。まさしく「保険」である。しかし、高齢者(65歳以上)は国民の9割近くが行き着く身分であり、それをわざわざ下の世代で支えるというのは「保険=万が一の危機に備えるもの」なるものの原理として疑わしい。世代内相互扶助も視野に入れるべきであろう。ついでに言えば、高齢者になるまでに1割近くの人民が命を落とすという事実は、高齢者=弱者論に歯止めをかけ、障碍者との混同を避けてくれるだろう。生物学的に見れば、高齢者とは生存勝利者である。

※LGBTや移民と違い、高齢者とは、生きていれば高い確率で「為ってしまう」ものであり、この事実が高齢者への非難を難しくする。いわゆる「敬老右翼」の内心は、まさしくこれなのだろう。

2.vs生命至上主義

戦後日本保守の大物・西部邁が著書『死生論』で言及したように、生命至上主義は却って生を毀損する。人間は生命無しには生きることができない。しかし、生命だけを大切にしては「やってられない」のだ。これは何故かと言えば、我々が世界に身を置く、これが既に死の可能性を内包しているからである。死の可能性を低くするための行動を取り続けることは不可能ではない。しかしそれでも必ずその数字は0になり得ぬ。それに気づいた者から、人生という、命を踏み台にした虚構を歩み始めることができる。それに気づかぬ者は、命を大事にするあまりに生を毀損する倒錯の世界からいつまでも出てゆけないのである。

日本においては、この生命至上主義は、戦後民主主義の到来によって根付き始めることとなった。戦争が自らの手を離れていき、アメリカ的統治により豊かさが得られていく過程。定期的に自らを危険に追いやるがごとき暴発のエネルギーが学生運動、校内暴力、暴走族、ストリートギャングと形を変えて現れるが、オウム事件と9.11を起点とする監視社会の到来・対テロ戦争の勃発により、それらはもはや無きに等しくなる。SNSの流行は一億総監視員社会を実現させ、暴力は匿名性を持ちながらインターネットの言論空間に現れ始める。ここに一つの暴力の転換がある。生命を脅かすものの代表である暴力が、物理的距離を作ることによって、作用/反作用の原理から離れた暴力にシフトした。「殴る者の痛み」という言葉は、インターネット・リンチの加害者には響かないのである。この事実は、生命至上主義の浸透の結果とも言えるし、生命至上主義を更に加速させる装置になるとも言える。

3.vs医療信仰

医療が人の健康を左右しているというのは幻想で、実際には水、空気、栄養等の環境が肝心であることは既に多くの論者が指摘している。医療、特に慢性期医療や予防医療は大して役に立たぬ。医療先進国とそうでない国の平均寿命の比較でもしてみればよく分かることである。先に述べた生命至上主義の高まりと呼応するようにして医療信仰が強まったに過ぎない。

詳しい説明はイヴァン・イリッチの『脱病院化社会』に譲るが、医療信仰は三種類の「医原病」=iatrogenesisを生む。臨床的医原病、社会的医原病、文化的医原病。端的に言えば、臨床的医原病とは治療の副作用や医療事故である。社会的医原病とは社会において専門家による医療が健康市場を根源的に独占することである。文化的医原病とは伝統的な文化としての健康へのアプローチを医療がみだりに揺るがし、人民の健康観や死生観といった精神的な部分にまで医療が侵食したことである。

コロナ禍とは、良くも悪くも、これら医原病を最も露骨に晒した戦争であった。例えば、臨床的医原病は感染対策の継続による鬱・自殺の数々(それとワクチン…だが、これはまだ深くは触れておかない)として現れたし、社会的医原病は病院の論理が学校の論理、スポーツの論理、観光・エンタメ業界の論理を屈服させた事実に現れた(学校で学ぶこと、スポーツをして体を育むこと、観光・エンタメによって気持ちを安らげたり興奮させたりすることは、ほんらい健康に良いことである筈であるのに、これらを病院の論理は否定したのであった!)。そして、文化的医原病とは、とあるパラダイム変化によって説明される。それは、「コロナ軽視派」の常套句かつ冗談であった「コロナは風邪」というフレーズが、やがて真実に近いと分かってきた頃になって、少なからざる人々が「実は風邪が、僕等が軽く見ていた風邪こそが、コロナと同じくらい怖かったんだ!」と声を挙げ始めたという事例である。見くびっていた風邪を「再評価」し、恐怖を抱き始めた不幸な人々は、まさしく文化的医原病の餌食となったと言わざるを得ない。

私が先ほどコロナ禍を戦争と書いたのは、太平洋戦争において日本が軍事国家であったのと同様に、当時の日本は病院国家であったからだ。コロナ禍を抜きにしても、少子高齢化によって日本の若い世代の人数はたとえば50年前と比べて驚くほど減っており、戦争でも起きたのだろうと錯覚する外国人がいても驚きはしない。いま、日本は内戦状態である。

病院の論理は、養成装置のもう片方の車輪であった学校の論理(訓練)を批判し続けた。学校の厳格さは必要悪であったが、悪であるがゆえに、病院の論理による「道徳的」批判に反駁し得ず、体罰を、スパルタ教育を、夥しい数の××ハラスメントを糾弾され、いま、学校は保健室になろうとしている。コロナ禍において学校空間で長い間感染対策が強いられた(ている)ことは、先にも述べたが、学校の論理の、病院の論理に対する明らかな敗北である。

4.活動をどう展開すべきか

政治活動は選挙のみにあらず、そして体制・思想・運動の三位一体であるべきである。それぞれについて述べる。

1.体制

反サロの同志が集まった組織があるとよい。既存政治家を頼るのもいいが、自分たちで作ったって構わない。たとえば、私は「砂時計の会 @反サロ(@hourglass_assoc)さん / X (twitter.com)」というサークルを作った。この組織で毎週読書会をやったり、オンライン上で反サロに役立ちそうな情報を共有したりしている。反サロはTwitter発の運動であるが、散発的にならないためにも、匿名の人々を結びつける装置が必要であるように思われる。

2.思想

先に述べた「反サロ・イデオロギー」の養成が不可欠である。Twitterなどを見ていると、政策アイデアを練る人が非常によく目立つが、私はそれは後回しでよいと思う。多少の己の美学、哲学などを盛り込んでもよいから、現状の強固な「サロ・イデオロギー」を揺るがすことができるような反サロ・イデオロギーを理論として打ち立てていかなければ、政策はすべて絵に描いた餅で終わる。そのためには、死生学と生命倫理学の学習を急がねばならない。補助線として、成田悠輔の例の発言をどう捉えるかというのは参考になるだろうと思う。

3.運動

街頭での運動とロビイングとTwitter含む言論空間での運動と、大別して三種類あるように思われる。

Twitterにおいては、基本的には正拳突き=データに基づいた正論を言い放つことを繰り返して支持者を増やすことに専念し、「いかにも」な「サロ・イデオロギー」の者には噛みつくべきだが、それ以外のおかしな反論には付き合わず言いたいことを放言するのが得策と思われる。コロナ禍でも散々理解されたことだが、人民の統一的見解など生まれようがなく、分断は必至であり、だからこそ我々は味方を増やし続けて勢いでもって勝たなければならない。「コチラ」と「アチラ」の線を引くことは、必須である。なぜならば「反サロ」自体が「反」Antiの活動であり、分断を前提とするからである。

以下に、反サロ運動におけるインフルエンサーを挙げておく。
街頭運動:
相馬氏(https://x.com/Tatskaia?s=20)…記念すべき「第一回反サロデモ」の主催者。
ロビイング:
東徹氏(https://x.com/21st_Psychiatry?s=20)…精神科医。「薬剤師に処方権を」運動の発起人。
Twitter含む表現活動:
勉三氏(https://x.com/kidasangyo?s=20)…「反サロ」「正拳突き」「真顔文脈」などの言葉の発案者と言われる。
ドニ―氏(https://x.com/satobtc?s=20)…AIを用いた風刺漫画を描く。
魏懲X氏(https://x.com/GICHOGI?s=20)…経済学に明るく、後期高齢者のリソース消費を問題視。
中田智之氏(https://x.com/NakaDash_?s=20)…歯学博士、ライター。22年10月、サブスク医療への警鐘を鳴らす記事を「週刊現代」に発表。
魯日氏(https://x.com/rougetgachihold?s=20)…世代間格差に注目した投稿が多い。ユニークな過激派。
サトウヒロシ氏(https://x.com/satobtc?s=20)…真顔戦士を自称。フォロワーは6万人を超える。
ソファちゃん氏(https://x.com/sui_gb20?s=20)…看護師。イラストレーター。病院を舞台にしたイラストを投稿。
(アルファベット順)

これら三つのうち、どれか一つに与することが必須であろう。

※宣伝…私が参加している「砂時計の会」では、Discordサーバー上で定期的に読書会を開催しております。また、参考資料の共有も行っております。興味のある方は是非ご連絡を!砂時計の会 @反サロ(@hourglass_assoc)さん / X (twitter.com)

5.反サロ参考書籍

イヴァン・イリッチ『脱病院化社会』
ペトル・シュクラバーネク『健康禍』
ルネ・デュボス『健康という幻想』
深沢七郎『楢山節考』
西部邁『死生論』
笠井潔『国家民営化論』
山本勝一『福祉国家亡国論』
國部克彦『ワクチンの境界』
トニー・ウォルター『いま死の意味とは』
加藤咄堂『死生観』

順次追加…

6.反サロ関連note記事

正拳突きの技法(万バズ、抗議、エール、小さな行動)|勉三 (note.com)

社会保障費について考えるための図表まとめ(#反サロ参考図表)|拳太郎
(note.com)

「医療費自己負担率を上げて社会保険料を下げろ」は自己負担増しか生みません|減税新聞(N) (note.com)

おま老 構文(お前もいずれ老人になるんだぞ)が反論として不適切な理由|空想科学哲学 (note.com)

7.終わりに

世代間対立、次いで医―非医という対立は、コロナ禍によって更に加速され、近い将来、早ければ年明け、どの政治的イシューよりも巨大な存在感を持って我々の前に顕現することが必至である。そのとき、既にこの問題意識を持っているあなたが、反サロ運動の担い手として情報を集め思想を育むことができていれば、政治的に何らかの選択を積極的にすることができる。私はそれを願うばかりである。


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