見出し画像

おま老 構文(お前もいずれ老人になるんだぞ)が反論として不適切な理由

「おま老」とは、「お前もいずれ老人になるんだぞ」「自分もいつか老人になるんだぞ」といった意味の構文の略称です。近年、日本では高齢者に利用される社会保障費が増加しており、それによって現役世代が負担を感じています。この問題に対して、高齢者が医療費の1割しか負担していないことや、無駄な医療費が社会福祉費として支払われているといった主張があります。それに対する反論として「おま老」の構文がよく用いられます。

しかし、この「おま老」構文は、高齢者や高齢者福祉に関わる業界のポジショントークとして使われがちで、反論としては不適切だと考えられます。

本記事では、「おま老」構文がなぜ「高齢者社会保障費の削減」や「現役世帯の負担軽減」に対する適切な反論として成り立っていないのかを詳細に解説します。


「おま老」の起源と使用例

「おま老」構文は主にX(Twitter)上での議論において用いられます。Twitterでは、日々高額な税金や社会保障費の支払いに苦しむ現役世代が、日本のシルバー民主主義によって、自らの収入のかなりの割合が高齢者の社会保障費に回されていると感じています。高齢者や関連業界、主に医師会などによって搾取される構造に対する苦言が叫ばれています。

このような状況が生んだのが、現役世代と高齢者世代との世代間での対立構造です。この時に、高齢者側や医療業界などが自身の利益を保つために「お前もいつか老人になるんだぞ」という反論を出してくるのが「おま老」の使われ方です。

この「おま老」構文による反論は全く不適切であり「社会保障費の削減」や「現役世代の負担軽減」「高齢者に対する無駄な医療費や社会福祉費の浪費の改善」に反対する理由としては筋が通っていません。

「おま老」構文を使う側は、自身の利益保持のためのポジショントークでしか考えておらず、人口ボーナス期に生まれ育ち、現代の現役世代と比較して少ない支払いで高額なリターンを得られる立場の人たちが多いです。このような人たちは、過去10〜20年で社会保障費が膨れ上がっている事実にも不勉強であり、高齢者のせいで若者世代が苦しんでいる事実を把握していません。

このような背景から、「お前もいずれ老人になるんだぞ」「自分もいつか老人になるんだぞ」という反論がよく使われるようになりました。これを一部のインフルエンサーが揶揄する形で「おま老」と命名し、シルバー民主主義に対する反論を行っているのが現状です。

https://x.com/watarinigou/status/1703683442469478414?s=20

「おま老」構文の問題点

「おま老」構文が持つ論理的な矛盾や問題

「おま老」は「お前も老人になるんだぞ」という構文の略称です。この構文の論理的な矛盾について考えると、「現代の老人」と「20年後、30年後の老人」は等しくないということが挙げられます。

税制や社会保障費の問題の本質は、それぞれの税金や社会保障の負担率、そして得られる待遇やリターンのバランスが世代によって不平等であることです。

今の高齢者は30年前の現役世代と比べて同じ額の税金や社会保障費を払っていないのです。さらに、今の現役世代が30年後に高齢者になったとしても、現代の高齢者と同じ待遇は受けられないでしょう。

このような問題を指摘しているにも関わらず、「お前も老人になるんだぞ」という年齢だけを基準にした反論が行われるのが「おま老」構文です。

確かに、我々も老人になるかもしれませんが、2023年時点の高齢者とは異なる状況で老後を迎えることになるのは明白です。

この構文が引き起こす社会的な影響や誤解

「おま老」構文が引き起こす社会的な影響や誤解として、まず「世代によって不平等になっている」という問題を認識せず、年齢という一つの軸に論点をずらしていることが挙げられます。

一部の現役世代はこの「お前も老人になるんだぞ」という言葉を真に受け、その通りだと勘違いしてしまうかもしれません。しかし、現在の若者たちは2023年時点の高齢者とは異なる状況で老後を迎えることになります。

「お前も高齢者になるんだぞ」という言葉を正確に表現するならば、「お前も今の高齢者と同じように税金を負担して、同じ待遇を受けられるんだぞ」と言うべきです。しかし、これは現実的に不可能であり、誤解を招く表現となっています。

このような「おま老」構文は、現代の若者たちにとって誤解を招くものであり、事実を歪めるものと言えます。詐欺師の口上です。日本の若者たちは、このような誤解を招く言葉に騙されないよう注意が必要です。

構文の問題点が指摘されにくい理由

「おま老」構文が広く受け入れられている背景として、高齢者世代が自身の生まれ育った時代背景を基に、現代の若者たちの状況を理解していないことが挙げられます。

今の高齢者たちは、人口ボーナス期の恩恵を受けて育ち、特別な努力や才能を持たない一般の人々でも、安定した生活を築くことができました。そのため、彼らの中には、現代の若者たちも同じような生活を送っているという誤った認識を持つ人が多いと考えられます。

このような認識のもと、「お前も老人になるんだぞ」という反論をする高齢者たちは、現代の税制や社会保障システムの変化についての知識が不足していることが多いです。そのため、彼らは現代の若者たちの状況を理解せず、自身の経験をもとに誤った前提で反論をしてしまうのです。

「おま老」が不適切な理由

論点のすり替え

「おま老」構文は、高齢者社会保障費の問題を単純化しており、実際の問題点から論点をすり替えている。例えば、現役世代が抱える社会保障費の増加問題を、「将来的にも受け取ることができる」という前提で論じることは、現在の問題を避ける行為と言えます。

責任の所在

現役世代と高齢者の間で、社会保障費に関する責任感が異なる。例として、現役世代が今後の社会保障費の増加を懸念する中、高齢者からは「自分たちも払ってきた」という声が上がることが多い。しかし、過去の税金負担と現在・未来の負担は大きく異なるため、このような比較は不適切です。

短絡的な思考

「おま老」は、問題の本質や背景を深く考察することなく、単純な反論として使われることが多い。例えば、社会保障制度の持続可能性についての議論の際に、「将来的にもらえるから問題ない」という短絡的な考え方が見られる。

感情論としての利用

「おま老」は、感情的な反論として使われることが多く、論理的な議論を阻害する要因となっている。例として、現役世代が高齢者の特権について指摘すると、高齢者からは「自分たちも若かったころは苦労してきた」という感情論で反論されるケースが多い。

社会的影響

「おま老」構文の普及により、世代間対立が激化する可能性がある。この構文が広まることで、若者と高齢者の間の意識のギャップが明確化し、それが社会的な分断を生む可能性が考えられます。

老人になれる保証はない

「お前もいつか老人に〜」と言われても、老人になる可能性はあれど、保証はありません。社会的な問題や個人差は色々ありますが、目立つ要因は以下のようなものがあります。

  • シルバー民主主義により子供〜若者世代の自殺者数の増加:少子化なのに自殺者増えるのやばくね?

  • 独身男性の平均寿命は67歳:支払った社会保障の恩恵を受け取る前に死ぬ

  • 高齢者時点で日本国内に居住している保証はない

老人になったところで現在と同じ社会保障は受けられないどころか、その前に老人になれるかどうか問題がある。現在の高齢者のためにお金だけ取られて人生終了となる可能性も少なくない。

コンクルージョン

「おま老」構文は、一見、単なる言葉のやり取りのように思えるかもしれませんが、実は日本の社会保障問題と向き合う姿勢の欠如を示唆しているとも言えます。この構文の背後には、現代の若者たちと高齢者たちの間に生じている溝や認識のギャップが隠れています。

現役世代は、今後の日本の未来を担う者として、国政や社会制度に対する意識を持ち続けることが求められます。しかし、その声が「おま老」という構文によって曖昧にされてしまうことは、真の問題解決への道を遠ざける可能性があります。

私たちが望むのは、一方的な非難や批判ではなく、各世代が共に理解し合い、協力してより良い未来を築くことです。この記事を通じて、そのような建設的な議論のきっかけとなれば幸いです。


僕のX(Twitter)はこちら:
https://twitter.com/warimizu


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?