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習慣か、執着か

今日で何日目かな?80日めくらいか。
毎日投稿やめます。

毎日楽しみにしてくれていた2,537万人のファンの皆様には申し訳ない気持ちでいっぱいなのですが、理由はシンプルなものでして。本来の目的である、小説の執筆に時間とエネルギーを集中するためです。

このnote毎日投稿はそもそも「書くことを習慣づける」ために始めたものです。このnote連投をスタートする前にはすでに3ヶ月ほど、自前のブログで毎日投稿しており、そこから数えると200日近く連投してきました。
なのでもういいかげん、書くことは習慣になったぞ、ということです。


せっかく連投記録を延ばしてきて、もう少しで100日行けるので少しもったいない気持ちもありますが、ぶっちゃけこれは執着なんですよね。

毎日投稿するという執着を手放さないと、今の生活上本来やりたいことの時間がなかなか作れないな、と思ったわけです。
実際毎日寝る間際にこれを書いてますが、早くて30分、ちょっと長い文章になると2時間近くかかったりしてました。

もちろん時間をかけて書いてきたのは無駄ではなく、良いトレーニングになったし、なにより毎日書くということに全く抵抗がなくなりました。

書く習慣さえつけば、今までnote投稿に使っていた2時間3時間を、小説執筆に充てることができます。
読書の時間も取れていなかたので、それに充てることもできるでしょう。


せっかく習慣づいたことだし、このnoteももっと育てていきたいという欲望がありますが、大切なものを手放さなければ何かを得ることはできないわけです。

このへん難しいなと思うんですが、良い習慣が定着することは良いことですが、それに固執するせいでできないこと、失うことがあるのも事実です。
全てが合理的であるべきとは思いませんが、ムダというか生産的でない部分が顕在化してきてしまうと、さすがに無視はできません。
具体的には、やっつけでアリバイ投稿を続けるくらいなら、毎日やってもしょうがないじゃない、てことです。

ただし、やっつけのアリバイ投稿が悪いとも思いません。
毎日何があっても続ける、自分との約束を守る、そういうことは習慣づけの段階では大切だからです。
全てが合理的でなくてもいい、というのは、ガンコ一徹に毎日やり続けることは人生において意味を持つとも思うからです。

しかし、僕の場合はもうしっかりと書く習慣が身につきました。
なので、これはもう手放す段階なのです。


逆に執着することも、僕は悪いことだとは思いません。
習慣として執着し続けることで、大局的には大きな意味ができるからです。
だから、毎日走ることは続けます。怪我してても、何があっても続けます。

時間の使い方は人それぞれ自由です。
毎日同じことに時間を使ってるから良いとか悪いとかはなくて、目的と考えなしに使ってしまうことが良くないのだと思います。

常に考えて、現在の最適解を探ることが大切なのではないかと。
そして自分で主体的に決断をすることが大事。


毎日投稿はやめますが、ここにグチを吐き出す行為は結構スッキリして楽しいので、気分次第で投稿します。
ショート作品を投稿して練習用noteになるかもしれません。
そのうち小説の応募作品ができて落選したらここに載せたりするかも。

できればここへの投稿も、もうちょっとハイカロリーな記事を書ければいいなと思ってます。
ちゃんと時間と気合を入れて書けば、僕はそれなりのものは書けるので。

てことなんで、読みにきてくださる方々いつもありがとう。
投稿頻度は減るけど、気にかけていてくださるとうれしいです。

記事が1ミリくらい良かったら100円ください