反逆しない奴隷は憐みを受けるのに値しない
8月に入った。
おなじみの年中行事が、今年もまた繰り返されている。
戦争の記憶を忘れてはならないとの美名の下に、空襲や戦闘で家族を失った者の痛みというセンチメンタルな物語が、日本メディアでいつも登場する。
昭和からずっと同じだ。
戦争の悲惨さ → 戦争はまっぴらごめん → 平和を守ろう というワンパターンな図式が繰り返される。
日本人が戦争の加害者であったという事実、無益な戦争を引きおこした当時の為政者の責任追及、大本営発表ばかりたった日本メディアの問題という視点が、そこから抜け落ちている。
これでは、太平洋戦争の全体像に迫ることなどできない。
もしかしたら、日本メディアは、戦争の記憶を風化させるために、お涙頂戴物語を意図的に繰り返してきたのかもしれない。
戦後50年を境にして1995年刊行された『戦後50年と私』という本がある。
吉本隆明、埴谷雄高、淀川長治、半藤一利氏などが、戦後50年を迎えての自分の感慨を綴っている。
なかでも、この本の編者である安原顯氏の激しい日本社会、日本人批判は、発刊から30年近く経過した現在でも全く古びていない。
その核心部分を紹介しよう。
安原氏は、
>戦後五十年で日本及び 日本人が主体的にやったことなど一体どこにあるのか。
ナッシングだ。
と痛罵する。
当然、日本人は、必死になって働き、高度経済成長を自らの力で達成した、と反論する人もいるはずだ。
そういう方には、ノーム・チョムスキー氏の次の発言を虚心坦懐に読んで欲しい。
日本の高度経済成長は、朝鮮戦争の発生があったのがきっかけだ。
そして、朝鮮戦争、ベトナム戦争でのアメリカの軍需物資という需要があったからこそ、日本は驚異的な経済成長率を達成できた。
また、高度経済成長期には、炭鉱の閉山、減反政策が行われ、公害が発生した。
職を追われた炭鉱労働者、離農を余儀なくされた地方の人々、水俣病やイタイイタイ病の健康被害者が、高度経済成長の人身御供にされた。
しかも、日本人は、社畜という奴隷になりきり、豚でも発狂するような満員電車に週6日乗せられ、残業代なしの長時間労働に酷使された。
このような高度経済成長による負の側面は、世界一の経済大国・ジャパンアズナンバー1という日本メディアの喧伝文句の前にかき消され、日本人は一時のバブル経済に熱狂した。
そして、バブルがはじけ30年以上、日本は停滞したままだ。
なぜ、停滞したままなのか?
朝鮮戦争という偶然があったこと、戦後一貫してアメリカの忠犬になりきったこと、そして多くの日本人の犠牲という代償を払って高度経済成長が成し遂げられたという事実を見ようとせず、日本人はスゴイ民族だから、世界一の金持ち国家になったといまでも信じているからだ。
ここで、安原氏の言葉をもう一度引用する。
作家なのに、自分の言葉ではなく、前もって用意した原稿を棒読みして記者会見に臨んだお飾り理事長林真理子の醜悪な姿から、「責任を取る」 発想
を彼女に求めるのはどだい無理な話だ。
バイデンに肩をつかまれ、ニヤケ顔の岸田サン。
岸田サンは、アメリカにとって、日本の歴代総理大臣のなかで最も使いやすい「おかま」、「ポチ」、「奴隷」なのだろう。
アフリカニジェールのクーデターを支持した、隣国ブルキナファソ大統領イブラヒム・トラオレ氏は、
「反逆しない奴隷は憐れみを受けるのに値しない」
「アフリカ連合(AU)は、西側の傀儡政権と戦うことを決意したアフリカ人を非難するのをやめるべきだ」
と最近演説した。
上から下まで徹頭徹尾、 破廉恥な人種である日本人に、世界最年少の大統領である彼の言葉は届かないだろう。
自由と自立を忌避して、「後ろ指を指されたくない」、「波風立てたくない」という足枷の中で、アメリカの忠犬として、社畜ロボットとして生きることをこれからも日本人は選択する。
日本がアメリカによって使い捨てされる未来が目の前なのに。
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