見出し画像

チェロを習う

チェロを習い始めて五ヶ月経った。いまはベートーヴェンの第九の第四楽章、有名な「歓喜の歌」の部分を練習している。スラーが難しい。

リアルの知り合いだと「お前なんでいきなりチェロ?」と思うかもしれないが、単に憧れだったのである。きっかけは自分の中でいろいろと思いつくけど、エヴァのシンジくんはけっこう大きいかもしれない。作中でバッハの無伴奏チェロ組曲第一番の前奏曲を弾くシーンがある。あとは村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で「老後にチェロかギリシャ語を習いたい」という登場人物(たしかハードボイルド・ワンダーランドの方の主人公)がいて、「それそれそういうの!いいっすね~!」と思ったことを覚えている。

画像2

楽器はいままでに何度か挑戦したことはあるのだが、見事に続かなかった。最初にベースを、だいぶあとにギターを、初心者にもほどよい値段で買ったけれども、アンプから音が出ただけで満足してしまったようである(まだギターは手元にあって申し訳ない気持ちになる)。しかしチェロは、いきなりぽんと買えるような値段ではないし(20万ぐらいからがスタートだそう)、さすがにベースとギターでこりていたので、やるならちゃんと習おうと思って、教室に通うことにした。

ちなみに今年は地味に、「やってみたい・やったらよいこと実際にやってみる」というのを個人的な目標にしていて、そのひとつがチェロを習うことで、もうひとつがジョギングを続けることである。ジョギングも半年以上続いていてえらい(褒めていく)。

教室はヤマハの音楽教室に通っている。ヤマハの音楽教室はいたるところにあるのだが、チェロなどの、お稽古ごととしてはメジャーでない楽器ができるところは大きな駅の近くにしかない。そして時間も昼や夕方が多くて、自分が無理なく行けそうな時間を考えるのにちょっと苦労した。ちなみにレッスンは月3回。もちろんヤマハ以外にもいろいろとあるのだが、やっぱ名の知れてるところが安心かなという安直な理由で決めた。

レッスンは個人かグループなのだが、自分は個人レッスンである。最初からそのつもりで行ったのではなく、通える時間の無料体験に行ったら自分ひとりだった、というだけである。個人はグループよりお値段が少し高いが、他の人を気にしないで、柔軟に進度を調節して、かつみっちりとやってくれるので、いいと思う。グループはアンサンブルとかできるのかなと思うとそれはそれで楽しそうな気もする。

そのレッスンだが、毎回ヒィヒィ言いながらやっている。半年近くなってもまだまだ慣れなくて、弓の持ち方やボウイング、左手のポジション、肘の動き、エンドピンの長さ、楽譜の読み方、エトセトラエトセトラ……。混乱していると、先生に「忘れちゃうからちゃんとメモってね~」と叱られる(叱ってるわけではない)。この歳で人に対面で「習う」ということは滅多にないので、ハァハァ言いながらもめちゃめちゃに新鮮だなと思う。

9月に読み終えた本の記事で『言葉の服』という本を取り上げたが、そこで「意外なところでおもしろい話が出てきた」と書いた。おもしろい話というのは実はこのことで、対談相手の鷲田清一がチェロを習い始めたという話が出てくる(著者もお茶や花を習っている)。で、

 (略)大人になってから習い事をするって、自分の今までの蓄積とはまた関係ないところから組み立て直さないといけないから。それがつらいし面白いですね。
 身体の使い方を今までと違うことしないといけないからね。

という話をしていて、めちゃめちゃわかる~となってしまった(214-215頁)。集中するとあっという間に汗だくになるし、腕も疲れる。あと、習い事は人を「素直にする」とも語っていて、たしかにそういうところがあるよなと思った。仕事や遊びでも新しいことをしたり教わったりという局面はあるけれども、習い事になると「お金を払って」「理屈抜きに言われたとおりに」しないといけないという意味でなかなか貴重?かもしれない。子どもの頃の習い事とはだいぶ違う。

とはいえ、新しい動きを身体が覚えていく、できなかったことができるようになるというのはやっぱりいくつになっても楽しい。上達してんのかな?と思っても、基礎的なエクササイズをスムーズにできるようになってたりすると、やってきたことは正しかったのだと思えて安心ができる。「人に習う」というのはやはり「効く」んだなあと実感する。

画像2

月3回のレッスン、ほかの用事を犠牲にしつつ(振り替えできない)、なかなか大変ではあるけれども、なんとか続けられている。このまま「趣味はチェロです」と言えるようにやっていきたい。シンジくんと同じ曲弾けるようになるぞ……。

シンジくんと同じ曲