見出し画像

9月に読み終えた本

n月に読み終えた本」のノートを書くときは、見出し画像を自分のフォトライブラリから本に関係のある画像を発掘して設定しているのだが、ストックがなくなってきた。このために写真を撮っているわけでもないので、そう簡単には増えない。どうでもいい縛りだが、なんだか守りたくなってしまう。同じ理由でInstagramもすべてiPhoneで撮った画像だけを上げるようにしている。ちなみに今回の見出しは恵比寿のPOSTというお店。

池澤夏樹『うつくしい列島』(河出文庫)

またしても池澤夏樹の自然(・科学)本。これはどちらかというと紀行文である。『南鳥島特別航路』のその章だけは読んだことがあった。
動きやすい格好やアウトドアっぽい格好が好きなので、アウトドアが趣味だと思われがちなのだが、めちゃめちゃインドア派である。ただ、紀行の本を読むのはわりと好きで、いっちょまえに行った気になることができて楽しい。
池澤夏樹のこの手の本は、科学的な知識と人文的な知識がなめらかに繋がっているのが良いと思う。この本では「人文地理」と「自然地理」という言葉で表現されるが、こういうバランスの良さは持っていたいものである。
ところで池澤に関して、以前取り上げたときに「この人は徹頭徹尾「経験の人」という感じが」すると書いたが、サハリンの章に、「ぼくには、自分の目で見たことのない土地の実在性を疑うという悪い癖がある」とあった。そうですよね〜。


沖田瑞穂『世界の神話』(岩波ジュニア新書)

ゲームをやると、神話がテーマだったりモチーフになってたりすることがよくある。最近やったものだとGod of WarHellblade Senua's Sacrificeがどちらも北欧神話の世界の話だった。FFも召喚獣とか武器の名前が神話から拝借してたりする。
神話知りたいなと思うのだが、たくさんあるのでこういうジュニア向けのものから入るのは良い。ジュニア向けといってももちろんちゃんとしている。
ゲームだけでなく、アニメや漫画も神話から想像力を得ているので、出てくるとオッという気分になる。
ところでこの本、帯にクイズがあった。

正解は4かな。


石塚元太良『氷河日記 アイシーベイ』(ノーム)

写真家の石塚元太良による、氷河撮影記。全部読んでないが、これが三冊目、のはずである。
石塚のテーマのひとつが氷河だが、彼の作品を眺めると、必ずしも「ネイチャーフォト」の写真家というわけではない(「自然の美しさ」を撮ろうとしているのではないように見える)。以前の作品であるパイプラインの撮影と同様、「ランドスケープ」のひとつとして氷河を撮っている(石川直樹も、必ずしもネイチャーフォトの人ではないと感じる)。
だが、カヤックでアラスカの海を漕ぎ、ときには死の危険を感じながら氷河を撮ろうとする姿は完全にアウトドアの人(?)といった感じで、そこが興味深いと思う。
全然レベルが違うけど、最近カヤックに乗って大変良かったので、その臨場感をおもしろく読んだ。


小笠原鳥類『鳥類学フィールド・ノート』(七月堂)

現代詩と呼ばれるジャンルの中で、小笠原鳥類はなぜか気になる。小林銅蟲が言及してて知ったのだと思う。
この本に載ってる詩はそこまで主述が激しくいじられている感じはないのだが、その代わり(?)執拗に出現する「安全で安心」という言葉が怪しく響く。「安全で安心」という言葉の空虚さみたいなものを突いているようにも思えるが、読んでみるとただその響きを気に入って戯れているだけのようにも思える。
そこそこ気軽に読めるのだが、読むと混乱できる本。本にも収録されているが、ブログもオススメ。


小川さやか『チョンキンマンションのボスは知っている――アングラ経済の人類学』(春秋社)

香港のタンザニア人コミュニティ(コミュニティと言えないかもしれない)を調査した本だが、エッセイという感じで読みやすい。
主人公として書かれる「チョンキンマンションのボス」ことカラマというタンザニア人がなかなかに魅力的で良い。身も蓋もないことを言えば、彼らのコミュニケーションや経済実践がインターネット社会におけるシェアリングエコノミーと近い構造を持っているということを書いているが、しかし実際そうでもない、かなり「適当にやっている」ところがポイントである。
個人的には第6章の最後、著者のタンザニアでの経験から、贈与経済(それはしばしば現在の資本主義経済の視点から「理想的」に語られる)の負の側面を自覚し、資本主義(というより貨幣の機能といえる)の持つ「その場限り」の「ドライ」な力学と組み合わせて動かしていくという視点は非常におもしろいと思った(詳しくは読んで)。香港のタンザニア人はウェット/ドライを行き来しながら、「ついでに」「適当」に生活や人生を回していっている。痛快である。


ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』(講談社)

タイムラインで名前をちょくちょく見かけるので、つい買ってしまった。
数篇読んでまず思ったのは「かっこいい文章を書くな」ということで、バシバシとストライクが決まるような一文一文がとても好ましいと思った。二篇目の「ドクターH.A. モイニハン」はすごく良くて、最後まで独特なリズムとスピードで爽快感すらある(内容と比べると「爽快感」という言葉が伝わる気がする)。
どちらかというと後半は(前半に比べると)落ち着いた印象ではあるが、文のキレは変わらずだと思う。解説?のリディア・デイヴィスと訳者の岸本佐知子がいうように、実人生から多く題材を取っているけれど、しかし自伝という感じもエッセイという感じもしないし、「正しく」小説だという気がする。なにを言ってもわたくしの文章でうまく伝えるのは難しいので、興味がある人は読んでみるといい。見開きで終わるような作品もあり、テンポよく読める。
あと、やっぱり訳も素晴らしいなと思った。さすが岸本佐知子だなという感じ。


堀畑裕之『言葉の服――おしゃれと気づきの哲学』(トランスビュー)

matohuというファッションブランドのデザイナーの一人が書いた、エッセイ+対談の本。このブランドのことは知らなかったのだが、著者は哲学の研究者になろうとしていたが、思うところあって服飾の道に進んだというなかなか珍しい経歴の持ち主で、そこで興味が出て読んでみた。
ブランドのコンセプトがそうなのか、日本の美意識や言葉や歴史から連想されたりしたことについてが書かれている。『鬼子の歌』のときにも書いたが、(西洋近代)クラシック音楽を日本人が作るとなったときに強烈に現れる葛藤や矛盾、そしてそこから見いだされる「日本の音楽」、というようなある種の「方向性」が、ファッションデザイナーにもある。我々にとってはもう、服=洋服なので、そこに意識を向けることはないが(たとえば「着物」は服を指すのではなく、あの「日本の伝統的な衣装」を指し、ある意味特殊な「趣味」とも言える)、実際に作るデザイナーは強烈に意識が向くのかもしれない。そこに加えて著者が西洋哲学を学んでいたというのも、「日本人がつくる洋服とは」というような考えを深める一因、あるいは助けになったのかもしれない。
「ファッションの哲学」といえば日本だと鷲田清一だが、著者と対談している。この対談、おもしろいんだけどどこかズレてる感じもあって(悪い意味ではない)、鷲田の癖というかなにかなのかもしれない(まったく根拠とか確信はない)。あと、この対談で自分には意外なところでおもしろい話が出てきたのだが、それは別のところで書くかもしれない。
そろそろ冬服がほしい(どうでもいい)。


阿部和重『オーガ(ニ)ズム』(文藝春秋)

阿部和重の代表作である『シンセミア』『ピストルズ』と続く「神町」を舞台とするシリーズ(「神町トリロジー」)の完結編である。
前二作は読んでいるものの、だいぶ前のことでほとんど内容を忘れてしまっていたので不安だったが、まったく杞憂で、めちゃめちゃおもしろかった。850ページもあるのに、紙が薄いのかちょっと厚めの単行本かなと思ってしまうのは罠である。でもあっという間だった。
主人公が「阿部和重」というどうも著者っぽい人(この人の絶妙に間の抜けた感じが非常に良い)であるのからはじまり、メタフィクションあり現実にあった出来事やニュースサイトからの引用・改変ありと虚実入り混じった複雑なストーリーながらもゴリゴリに読ませる(けど抜けてるところはとことん抜けてる)のは本当にすごい。前二作を覚えていたらさらに垂直方向にも話が広がるはずである。
伊坂幸太郎との共著『キャプテンサンダーボルト』でもスパイ・陰謀・歴史・映画といったテーマを扱っていたが、読んでいるときの感覚としては近いものがあったように思う(内容は細かく覚えていないが…)。この作品もまさにそのあたりがテーマ(プラス「子育て」)になっており、とくにスパイもののエンタメ小説的なところがずんずん読める理由なのだろう。著者の、歴史の細部に踏み入って、そこから別の「歴史」を編みだす想像力には感服する。
今作だけ読んでもおもしろいし、気合があれば前二作(両方とも大著)とともに読んでみることをおすすめする。著者の他の作品もいくつか触れられてて、読んでないものは読んでみたいと思った(『ミステリアスセッティング』とか)。