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【スティグマのデコン】人間関係その1~あと一歩が踏み出せない~

こんにちは。寺浦(仮名)です。

まだちょっとうまく言語化できていないけれども、ゲイであることという『スティグマ』由来の生きづらさを分解していけば呪いは解かれるのではないか、生きづらさの理由が少しはわかってくるのではないかと思い始めたnoteです。

いきさつや経緯は自己紹介の記事をご高覧ください。

前回は想いをわーっと書いちゃったので…今回は少し、簡潔にしていこうかなと思います。


実はもう一つのルート

前回の自己紹介で以下のように書きました。

実名SNSやってみたいけどどうしてもできない

「自分に自信を持てないから」
↑なぜ自信を持てない?
「自分は無能だと思うし、実名を出してまで発信することが怖いから」
↑なぜ無能だと思う?
「一般社会が想像する”男性”とは異なると自覚させられているから」
↑なぜ自分の価値観が一般社会が想像する”男性”と異なると感じるのか?
「過去の経験値として、男性的価値観が問われる場で男性的価値観を受け入れられず、異質な存在として負け組のレッテルを貼られ続けてきたから」
↑これを具体化すると、節々の価値観や思想、行動様式が社会が想像する男性とは異なっていて、性の考え方として・ライフスタイルとして”ゲイ”ということになる。と思う。

これね、書いたあとにふと思ったんだけど、まだちょっと『取り繕っていた』、気がする。

もうひとつのデコンストラクションのルートがあったように思う。

実名で向き合うことの心の開放度

実名を公表したうえでの情報発信。
そのメリットってきっと「そこにきちんと知見のある人間がいるんだ」という、信頼感だと思うんです。
(仮名)とか使っている寺浦(仮名)自身が言うなよって話かもしれませんが。
でもきっと、何というかそこに親しみやすさは生まれるはず。
自分も寺浦(仮名)だけど、ぱっと見でハンドルネームとわかるような、ファンタジー調の名前や物質の名前にしていないのは、『ここに一人の人間がいるからだよ』と示したかったからかもしれない。

まあそれは、さておき。

ゲイのスティグマが人間関係を阻害する

SNSへ実名で登録、親しみやすさを兼ね備えて登場し、交流が生まれ、いろいろ話す。いいことだ。
でも、以下は、実名SNS以外のリアル・現実世界での人間関係で十分に起こっていることなのだが、ゲイということが人間関係の深化を阻害しているんです。

仲良くなればなるほど、一緒に過ごす時間も増え、アクティビティも共にし、お互いのことを知っていく。

けど、やっぱり怖いんです。プライベートのことを聞かれるのが。
「彼女はいるの?」「結婚は?」「どんな人がタイプ?」

互いの距離が近くなって親しくなればなるほど、言われる、これ。
そしてノンケ社会が想像し求める”男性性”に迎合するために、嘘をつかなければならない。

嘘をつくことの精神的影響

多分、ほとんどの人が嘘の一つや二つはついたことがあるだろう。その時、何となく心にぴりっとわだかまりは感じないだろうか。
――ウソは脳に負担をかけ、ストレスを引き起こし、体に害を及ぼす、とlifehackerの記事でも解説をしている。
本当に、その通りだと思う。でもぼくらはノンケ社会が想像し求める”男性性”に迎合するために、嘘をつかなければならない。自分に正直でいればいるほどシロイメが待っているのだ。

じゃあ嘘をつかなければいいじゃんって?

あのー…、無理ですね。

だってさ、同性愛者をメディアで笑いものにされ、現実世界で差別される環境で物心がついてしまった。
自分の本当を晒した後のことを考えると、どうしても無理だ。
世の中には成功したカミングアウトの美談であふれている。でもそれは、たまたま周りによき理解者がいたからであって、望まない形でのアウティングや態度変容(例えば勘当など)も絶対にある、むしろそっちの方が多いと思う。ようやく見えてきた氷山の一角がキラキラ輝いているのは当然だ。でもほとんどは海底の暗闇に沈んでいるのだ。

だからどうしても一歩を踏み出せない。

あくまで自分の場合ではあるが、やっぱり、もう一歩踏み込んだ仲というのがどうしても苦手だ。
「これ以上近くなると一層の心の負担が待ち構えているぞ」と、心がじわじわとアラートの音を大きくする。

ゲイであることのスティグマの重ね塗りで心ががちがちに固まってしまっているのだ。そして、それすらを守るために日々生きながら嘘の人間関係を構築していく。
だから、しんどいのだ。

人と精神的に近い距離で話すと、話題もそれなりのものになるだろう。ひとしきり話したその日の夜なんかはメンタルが最悪だ。
「変なことを言ってなかったか?」「あの発言はノンケ男性として疑問に思われていないだろうか?」「やはりゲイとバレただろうか」「仕草、語調、語尾などはおかしくなかっただろうか?」「あの優しさは”ノンケ男性として正しかった”だろうか」……キリがないほどに目に見えない敵との戦いを気にしだし、やがては精神を摩耗していく。

これは何度も経験している。
そしてこれがつらすぎるから、もう、一歩、踏み出せない。
これも生きづらさに作用しているはずだ。

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