秒速80cmのツジタクマ

「あてるべきところへ、焦点を。」をモットーに映像・映画を中心とした制作プロダクションの…

秒速80cmのツジタクマ

「あてるべきところへ、焦点を。」をモットーに映像・映画を中心とした制作プロダクションの代表です。 国家資格キャリアコンサルタントを取得し、キャリアカウンセラーとしても活動開始。 映像や映画、キャリアを中心に、自分が感じたことを書き連ねます。 ぼくの山歩きスピードはこんなもん。

最近の記事

働くということ 〜負荷ではないライフイベント〜

さて、ここ最近は山登りにも行けずに、人生の山(いや、壁?)を登っておりました。 そうです、いろいろと新しいことを始めようとコツコツとやってきたことが実ったというわけです。 そもそも「いつも新しいことに取り組んでいる」というポーズは見せているものの、実際は「新しい作品をつくった」とかそういった類のことでした。 今回は、自分の新しい可能性を開拓した、というのに相応しいことができたと思ってニンマリしています。 残念ながら「働く」からは逃れられない やはり日常的に「働きたくない」

    • 低山もなかなかいいよ 〜鈴鹿山脈登り応えあるよ〜

      この夏は何かと富士山の名前をよく聞きました。 登山、というとやはり富士山なのでしょうか。 いやはや、槍ヶ岳や奥穂とか北アルプスでしょうか。南アルプスもいい。鳥海山いきたいし、北海道も素敵なお山が多い。九州の九重連山も一度行ってみたい。お山はなんというか崇高ですね。 ですが、今回は、三重県と滋賀県と奈良県にかかる鈴鹿山脈について語らせていただきたいと思います。 1000m級の山がいくつも連なり日本武尊の足を三重に折った山脈 という伝説があるくらい険しい山、ということです。

      • 自分のペースがわかると楽しくなるよ 〜秒速80cmはそういうことです〜

        「山登りで発見したことが人生に生きる」シリーズです。 「登山」をキーワードにいろんな人のnoteを拝見しましたが、やはりみなさん「登山はきついよね」という印象でした。ぼくもそう思います。 「楽しい」と感じるのは下山後、という始末。 登山口に着く前なんて、どちらかというと緊張感。 それなのに、登りに行く。 説明しがたいヘンテコなモチベーションがあるようです。 振り返れば、映画もそうですが、やっていてきついことほどなんだかんだ続いてる気がしますね。 なぜ山に行くのか、を整理した

        • 過程が好き、らしい 〜飽き性のポイント〜

          ここ最近、noteには自己分析の結果、判明したことを書いています。 というか、そういった自己分析は、山登りの最中に頭に思い浮かぶことが多いです。今回はダラダラと思いつくまま書いてしまいました。 ところで、「狭くても深く」に強い憧れを感じていても、そこに到達できないジレンマが40年くらい続いています。 なぜなのか。 飽き性だから。と答えるのは簡単ですが、飽きる理由が肝心だと思っていました。 鉄は熱いうちに打て 本当によくできた言葉ですよね。 同じような言葉に、 「思い立っ

        働くということ 〜負荷ではないライフイベント〜

          バッグが好きだったことを思い出した 〜ミステリーランチの魅力〜

          好きなものを探しています、なんて記事を書きましたが、そうそう、ありましたありました。 バッグ(カバン)好きでした。 それに気がつくにもたぶん35年くらいかかりました。 なぜ好きなのか? 旅が好きだから、だと思います。その旅の相棒として、、、というほどでもないのですが、単純な理想としてカバン一つで軽々と歩きたいということがあります。 旅先では極力その土地に馴染みたいので、スーツケースやキャリーを転がしたくないのです。 でも今回は、旅ではなく、シンプルにギアとして連れ歩きたいと思

          バッグが好きだったことを思い出した 〜ミステリーランチの魅力〜

          ゴールをイメージしてみようとか言われるけども 〜そんな余裕はない、山も人生も〜

          最近、noteの記事を読んでいると、山登りと自己啓発を絡めた文章が多かったりします。 確かに、山登りって自分との闘いだし、自然から降りてくる何かを感じてる時あるし、ちっぽけな自然の一部でありながらもものすごく自分が主体であると感じる瞬間があります。 ぼくが山登りを通じて知ったこととは、全て自分ごとだし、選択も自分ならば結果も自分で納得できればいい、というシンプルなことです。 どさくさに紛れて啓発的なことを書いてみます笑 経営者が学ぶ集まりみたいな会に参加してみた 何年か前

          ゴールをイメージしてみようとか言われるけども 〜そんな余裕はない、山も人生も〜

          モノ本来の役割へ帰結する 〜山登りで明確になった価値観〜

          前回から山登りにまつわることをつらつらと書いております。 今回もそのつもりです。 というのは、自分が身につけるものや使うものというのがどんどんと飾りっ気がなくなってきたなあ、と思う反面、とても質実剛健なものが増えてきた気がしているからでもあります。 普段着にしても、トレッキングウェアをさらりと着こなしたくなる気にもなります。 経年による感覚の変化かもしれませんが、見た目よりも中身、という感覚の変化は実際に山で気がついた使い心地のよさベースになっているとは思います。 街乗り?

          モノ本来の役割へ帰結する 〜山登りで明確になった価値観〜

          自然に身を委ねてみると少し楽 〜登山の効果〜

          山に登るようになって、トレッキング中はもうずーっと頭の中で自分と対話しているわけです。(ソロの時は) 仕事のことだったり、直近の悩みだったり、食事のことだったり、食事のことだったり、ハンバーグのことだったり。 でもたまに、詩的なことも思い浮かぶ(名言と呼んでます)ことがあります。 それはきっと街にいたら忙しすぎて思いつかないことでしょう。 さて、そんなこんなで、モノゴトの考え方がいつのまにか変わっていたので整理してみようかと。 これは仕事だけでなく、生き方そのものにも影響があ

          自然に身を委ねてみると少し楽 〜登山の効果〜

          ちょこちょこ山に行く理由

          途中で止めることができないから 「山登りを始めました」と言うと大概「なんでそんなことするの?」と訊かれます。 その時の返答です。 僕のようにやらないことの理由づけが得意な人間にとって、止めることは簡単です。そこで、もっと自分を追い込まれた状況に置かないと完遂しない、ということをいい加減にわかってきたわけです。 その手段が山に行くこと。 ご存知の通り、一度登れば当然下らなければいけない。 途中でやめたっていいけど、それでも下らないといけない。 どうせ下るなら頂上まで行ってから

          ちょこちょこ山に行く理由

          自分の好きなモノゴトを探しています。

          しばらく書いて、やめてみたり。 また書いて、やめてみたり。 最近はもっぱらWEBマガジンの映画コラムの運営(書いていない)やってたり。 久々にnote書いてみました。 本能、冒険、成り行きに任せ続けた人生 そんなに大袈裟なことではないのですし、どちらかというと幸せな人生をおくっていますが、情熱大陸、カンブリア宮殿、その他ドキュメンタリー番組をみて、一つのことにどっぷりとハマり極めている人をみると憧れます。(毎度影響をうける) そして、「いざ、我も!」と急に動いてみるので

          自分の好きなモノゴトを探しています。

          01私の街

          「えっと、あれがあって、こういって…」 見晴らしのいい高台で朝を迎えた。 すると、そんな声が聞こえてくる。 いつの間にいたのだろうか。 「あ、見えた!あの赤黒いのは…、えと…」 自分の家を探しているのだろうか。 無邪気な声が、少し痛々しい。 燃えていく街を見下ろすその後姿。 「おかしいな、確か雪のような肌だったのに。」

          人生初の入院と手術を経験した収穫

          退院しました。 8日間の入院期間でした。 慢性的な副鼻腔炎の根治が目的で、鼻の中に内視鏡を突っ込み、患部(菌をもった粘膜や化膿して鼻腔を埋めている肉)を削りとる、という手術をしてもらいました。 こうした顔部の手術は全身麻酔が基本のようで、それもあり入院期間も長めに設定されていたようです。 さて、諸先輩の中には入院とか手術とかめっちゃ珍しいこともないし今更だわ、という方もいらっしゃるかとは思いますが、自分にとってはものすごくいい経験だったので、わざわざnoteに残すことにしまし

          人生初の入院と手術を経験した収穫

          特別になった日曜日

          SNSには投稿し、様々な方から励ましのお言葉をいただいた2019年の夏。 大好きだった祖母鐐子が他界した。 倒れたその時、ぼくはテニスをしていた。日曜日の朝だった。 自宅に帰り、スパイスカレーを作り、自分で食べ、仕事に取り掛かろうとして少し昼寝でも、と寝かかった時に、アメリカにいる父親からLINE電話が入った。 仕事とか様子伺いの電話かと眠かったので一度無視をしたが、もう一度。 こうやって親や伯父から電話がある時は、決まって祖母が体調を崩したり入院した時だった。 しかし、この

          特別になった日曜日

          This is who I am.

          ここ最近、素敵な出会いを繰り返し、「自分はどうあるべきか」を考えさせてもらうことも多かったので、ここいらで少しまとめてみようと思いました。 まず、トップの写真。 狙って撮ってもらいましたが、予想外にもこの写真にはぼくの好きなものが見事に描かれていることに驚きました。 左端から ・鉄(鉄道ファン)として、信号灯 ・God Fatherの看板(「おれに仕事の話は訊くんじゃねえ」と書かれている) ・ジャンベ(音楽好き) ・人物が持っている、エアガン、Sonyα99mk2、ハンバー

          鉄の味

          鉄の味、というとおそらく血の味を想像されると思うのだが、そういうことではまったくなく。 いわゆる味わい、空気感、とでも言うべきか、イメージというか。 そして、鉄は、というと文字通り鉄のことなのだが、その味わいを感じたのは「鉄製の鉄道」に乗ったから、というダブルミーニングなのである。 なぜ、突然、鉄の話かというと、小田原で特急踊り子号に乗ったからである。 昭和の頃から変わらない車体、国鉄185系で運用されている。 平成が終わるこのタイミングに、懐かしい少しでこぼこしたボディと開

          普通という異常な言葉

          つい先日、カメラマンの男の子とこんな会話をしていた。 健常者と障害者(障がい者)の違いってなんなんだ?と。 よくあるのは、視覚、聴覚、その他手足などに日常生活を送るのに支障をきたす「障害」を持っているかどうかかなと。 先ほどもTwitterである投稿に「(マイノリティーに対して)自分たちに決定権があるかのように判断したり振る舞うってことが既に人権を無視している」というのを見て、なるほどなと思った。 そもそも、どの視点が一番偉いんだ?ということである。 そして、どうなっていた

          普通という異常な言葉