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宿題

僕は夏休みの宿題を初日でほとんど終わらせるタイプだった。
#早く終わらせる自分が好き

朝のラジオ体操には行かないタイプだった。
#自宅である寺の庭で行われていたのに
#眠たいじゃん

そんなこんなで今回は宿題というものについて考えてみる。

誰のための宿題なのか

少し考えてもらいたい。

そして,ほとんどの大人が「生徒のため」と答えるだろう。

しかし,それは本当だろうか。

自分が授業で生徒に定着させられていないことを宿題にして,できないのを生徒の責任にしていないだろうか。

「知識・技能」は確かに宿題でも習得が可能だが,それはそもそも宿題に真剣に取り組んだ生徒の場合である。

何も考えずに早く終わらせたい一心で済ませた生徒や,答えを丸写ししている生徒にとってはただの時間の無駄遣いである。
#そんな時間があるなら
#好きな人とデートをしておいで

また,自分のものにするためには,理解とくり返しが必要になる。
#納得も

学校で理解できなかったことを自宅で1人でしようという気持ちになるかどうかは疑問だ。

学校でスムーズにできた生徒は宿題から学びがあるかもしれないが,そうでない生徒は1人になってもしない。
#というか
#できない

宿題によってさらに学力格差(知識面)が広がっていくという何とも皮肉な話だ。

宿題は授業者の言い訳

学校でできなかったことを「1人でできるようにしてこい」という考え方では,いつまで経っても「あんなに教えたのに」という無責任な言葉はなくならないだろう。

宿題などではなく,授業内で完結すべきだ。

授業内でできないということは,教員側にアップデートが求められている。

宿題というよりエキストラの課題はさらに自分の力を伸ばしたい,さらに定着させたいという生徒がするものだ。

生徒に課している宿題によって,生徒にどのような力が身につくのかを考えなければならない。

魅力的な課題(発問)

言い逃げでは「文句だけ言って逃げるなんてふざけるな」と言われそうなので,ひとつ解決策の例を出しておく。

ポイントは「みんなの答えが同じになるような課題は出さない」ということだ。

知っていることを問われて,知識を吐き出すだけの宿題は時間の無駄だ。

それよりもみんなが考える必要がある発問が大切だ。

めちゃくちゃ簡単に言ってしまうと次のようなものだ。

✗「教科書本文の登場人物Aは何をしたか」

〇「教科書本文にタイトルをつけてみよう」

ちょっとした工夫で魅力的な課題になる。

𠮷水

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