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世界は改善余地にあふれている

連休中に妻や子どもたちと、子ども向けの施設に遊びに行きました。

県立の施設です。

ランチタイム、おそらく普段はこんなに人が来ないからだと思うのですが、食堂は食券の券売機が長蛇の列。

食券を出したあとも、まずきつねうどんが10分ほどかかって出てきた後で、さらに40分くらい待ってからハンバーグ定食が出てきて、ようやくごはんにありつけました。

食堂の中の人たちは、それぞれ必死にやっているのがわかるのです。

人が足りないというよりも、もっとスムーズな仕事の仕方がありそうだ、と思って見ていました。

超満員の食堂が、もしお昼前にお弁当を売っていれば

「連休の時期だけでも、お昼前からお弁当をつくって売ったらいいのにね」

と妻が言いました。

たしかに、それは12時-13時に集中してしまうお客さんの人数を緩和し、(大混雑の食堂でなく)施設の外の芝生でお弁当をゆっくり食べられる家族を増やせる施策になりそうです。

「お客さんにとっても、食堂で働く人にとっても、施設を運営する団体としてもみんなが得をしそうだね」と話していました。

非営利の世界は、改善余地にあふれている

このようなシーンを見ると、世界は改善余地にあふれているなあ、と思うのです。

どんな職場にでも、改善余地はある。そして、自分の力でその職場の仕事の流れを改善できたら、きっと楽しい。

とりわけそんなチャンスにあふれているのが、大学、NPO、NGO、財団法人など、私が働いている非営利セクターです。

たとえば私の職業である「ファンドレイザー」は、非営利組織の財政状況を改善する(そしてそれをテコに組織やその組織が生み出す成果を改善する)仕事です。

この社会を眺めて苛立つのも、悲観するのもそれぞれの自由で、自分も時々そうなるのですが、改善余地を探してわくわくするという選択肢も持っておきたいと思います。

問題が大きすぎるように感じるときは

私は学生時代、偏見や格差など、容易に解決しない問題を研究で扱うことが多く、いまの自分よりずっとげんなりしていたと思います。社会人1年目の時も、自分の実力のなさと、仕事の大きさに圧倒されていました。

いまは、大きすぎる問題を、

「このひどい格差を何とかするための、最初にすべき効果的な一歩は何か」

「これから会う顧客のために、何を準備し、どう話すのか」

「自分の内面の偏見は、何を学ぶことで自覚できるのか」

といった、より細かく、自分が今すぐ取り組める問いに分解できるようになって生きること、働くことが楽になりました。

いまの自分は、「世界はすこしずつでも変えられる」と仮定したうえで、世界のどの部分の「ひどさ」を自分が見過ごせないのか、変えるその速さを最大にするにはどうするか、を考えます。

世界を改善する方法論を持ち、練習すること

ここ三年くらい、制約理論(TOC:Theory of Constraints)を学ぶ機会に恵まれ、実践を心がけています。(TOCについては、下記の本などが参考になります)

(今の職場でのTOCの実践の話は、ちょうど近々広島、名古屋でお話する機会があるので、もしお近くの方はどうぞ。たぶん東京でも開催されます)

何か方法論を持ち(かつては「マーケティング」に熱中していました)、それを繰り返し実践して深く理解し、その方法論をもって世界を少しずつ改善する、というのが自分に合っているのかなと最近は思います。

これからも、自分こそこれをすべき!という改善余地を探し続けていこうと思います(当分自分は本職のなかでの改善余地に夢中になっているのですが)。

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