【小説】22

ーねえ私らってめちゃくちゃ仲良いやんね、

洋子は5ミリのタールを唾を吐くように慣れた顔で、よく晴れた夜に放って言った。

ー最後にはあんたがいるって、死ぬほどプライドが傷付いた時にふと思えて、ああこれが友達がいるってことなんやって思えたんよ。おとといのバイト帰り。

私は4千円払ってようやく使える店の前の灰皿を眺めながら、この街の夜の匂いに溶けているような心地良さに身を委ねて
今なら空も飛べそうだと煙たく曇った夜空にそうっと乗ってみようとしたりした。

ーでもさ、どうせ私らまた離れ離れになるやんね。

洋子は相変わらず焦点の定まってない目で言った。
彼女の目はいつも充血していて、それが妙に生々しく人間らしくて好きだった。剥げかけたネイルや解けた靴紐こそが最も美しくて、こんなに近付いていいのかと思うほど、テレビで女優を見ることが馬鹿らしくなるほど、ただただ血通って36.5度ですぐ隣で、一瞬ずつ死に近づきながら生の匂いを振りまいていた。

ー仲良かった高校の頃の友達がだんだん、要らんようになって、新しい友達が出来て、欲しいものが出来て、そういう風にあんたも新しい土地でそれなりにやってくで。
べつに今更って感じやろ、あんたもそんな感じやろ。

私は洋子の話をふわふわと聴いていた。別に今更って、それは本当にそう。別れの悲しみや苦しみは一周目に置いてきて今は真似事だけ。
そんな風に思ってくれてたの、うれしー、ずっと忘れんからね。
なんか言い覚えあるなって、なんか聞き覚えあるなって、
いつの間にか大方一周目は終わってしまっていて、あとは4回か5回経験則を繰り返すだけ。いつか来る苦しみを半分酔っ払ったようにへらへらして聴き逃しながらもう一周目を待つだけ。

ーなぁ、寂しいけど別に最後じゃないし、老いていくけど私は草臥れんつもり。
馬鹿みたいに過ごすことが、ありのままで居ることとイコールで結べなくなって、ただの逃避になってもずっと、

洋子はそこですっと息継ぎをして、もう一度ずっと、と言って、それから長く息を吐いた。

ーずっと、なんやっけ。忘れた。

私達はそれから再び居酒屋に入った。店長が変わってメニューも変わった、それでも相変わらず濃いままのレモンサワーを飲んだ。

ひとつ300円のガチャガチャした洋子の耳のアクセサリーを見て、きちんとすることが礼儀なんて価値観は辞めちまえと誰に向かってかも分からず心の中で呟いた。馬鹿らしい、馬鹿らしい、目の前の人が生きていくことを歓迎することが礼儀だろと喚くうちにそれもどうでも良くなった。
酔いが冷めるとどうせ面白くなくなる動画を回した。店のインスタを追加すると貰える無料のアイスをだらだら食べた。
何を言ったってどうせ無駄や。私達は離れてしまう。泣くのが正解か笑うのが正解か、考えんようにするのが正解か分からん。何を選んでも苦しくて、何を選んでも忘れてしまう。
思い出は忘却に抗う最後の手段だ。
感傷にずぶ濡れて色も変わってしまった君を持ち続けて、妙にハイになって地に足が付かないまま、幾度目の苦しい部分を引き摺り抜けてやる。

朝起きると、いつまでも他人行儀な、もうすぐ退去前のアパートの天井が見えた。

ああ、そうや、なんやっけ。私も洋子に言いたいことがあったけど、忘れた。

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