一箱分生きる
大学生になってから日常的にコンタクトレンズを使用するようになった。使い捨てタイプのコンタクトレンズをほぼ毎日使っている。
毎朝、洗顔をした後に新しいコンタクトレンズの蓋を開ける。両目とも入れるので、毎朝二つ分のコンタクトレンズが消費されていく。
正直、毎朝毎朝寝ぼけ眼をこじ開けてコンタクトレンズを入れるのが本当に面倒臭い。たまにコンタクトレンズが臍を曲げて、私の眼球への着陸を断固拒否しやがる時などはとてもイライラする。コンタクトレンズごときが何を駄々捏ねとるんじゃ、つべこべ言わずに早く接着(接着?)しろよ、と思う。しかも、そういうときに限って時間に追われていたりする。コンタクトレンズの薬液か私の本物の涙かわからない透明な水で頬を濡らしながら、私はよく洗面所で地団駄を踏んでいる。
コンタクトレンズのご機嫌とり(feat.忙しい朝)もさることながら、もっとうんざりするのは、コンタクトレンズの在庫を補充することである。
私がいつも買っているのは、一箱に使い捨てコンタクトレンズが九十枚入っている商品だ。毎日二枚ずつ使うと想定すると、四十五日で一箱使い切るという計算になる。コンタクトレンズ販売店専用のスマホアプリを使用しているので、わざわざ店舗に出向かずともオンライン上で買うことができる。一箱約八千円。
ただ家でスマホを操作すれば簡単に手に入る。現代は信じられないほど便利な世の中だ。
しかし、私はなかなか一歩踏み出すことができない。家にある最後の一箱が残り半分ほどになっても、「ああ、早く買わなきゃな」とぼんやりと思うばかりで行動に移すことができないのだ。毎日アホほどスマホを触っているくせに、コンタクトレンズ販売店のアプリを開くことを躊躇う。
一体何が私を押し留めているのか。
一箱約八千円という、そこそこ高い出費のこともある。金銭感覚は人によって様々だが、私にとって八千円は高い。というか千円以上のものは全て高い。アルバイト先の時給が千円ちょっとであることも頭にあるのかもしれない。
しかし問題の本質は出費ではない。
「お前はこれから四十五日間も当然のように生きているつもりなのか?」という単純な疑問が脳裏をよぎるからである。
新しい一箱を買った次の日に、街で刺されて死ぬかもしれない。新しい箱を開いた瞬間に地震が発生して家屋の下敷きになるかもしれない。
コンタクトレンズ一箱分の未来、自分が確実に生きているということを心の底から信じることができないのだ。
別に病んでいるわけではない。深刻に人生について悩んでいるというわけでもない。当然のこととして、ただそう思うだけである。部屋が暗くなってきたから電気をつけよー、と思うのと同じである。コンタクトレンズ買わなきゃなー、でも四十五日も生きてるかわかんないしなー。ほら一緒。
だから、もうどうしようもなくなってコンタクトレンズを買う段階になるとすごくドキドキする。「やばい、これから四十五日間は生きて八千円の元取らなきゃ!」と謎の使命感と切迫感に襲われる。絶対に四十五日間は死ねない。
買ってしまえば、もう峠を越したのも同然だ。
生きなければならない未来(四十五日)を自分の手で(正確には自宅のベッドに寝転がりながらスマホを操作して)掴み取ってしまったので、あとは呼吸をして食事をして眠る生活を繰り返していればいいのだ。買ったあとは長いトンネルを抜けたような気分になる。「お前はこれから四十五日も当然のように生きているつもりなのか?」と自問自答を繰り返す必要はないからだ。少なくともこれから四十五日間は。
なぜこんな文章を書いているかというと、今まさに長いトンネルの中にいるからである。
最後の一箱が残り半分を切ってしまった。新しく買わなくてはならない。でも四十五日分の未来を生きている自分が想像できない。でも買わないと世界が見えない。
そこまでぐるぐる考えるのならメガネにしろよ、というツッコミが聞こえる。ごもっともである。しかし、私が今持っているメガネのレンズの度を最後に調整したのは五年以上前で、もうこのメガネが私とタッグを組んだところで、顔を近づけて見た点描画のようにぼやけた世界しか提供してくれないのだ。じゃあさっさとメガネ店に行けと言うだろうが、それは面倒臭い。自分で自分が情けない。
メガネは選択肢に入らない。もうコンタクトレンズを買うしかない。わかっているのに気が進まない。どうしようどうしようと一週間に一度ほどの頻度で困っている。それほど高い頻度ではないのは、これが深刻な悩みではないからだ。そもそも悩みですらない。怠惰である。
そんな中、今日私は超弩級の買い物をしてしまった。
ハトムギ化粧水、五百ミリリットル。
五百ミリリットル!!!!!
頭がクラクラする。でも安かったんだもん。
五百ミリリットル、すなわち一リットルの半分の量の化粧水を使い切るのに、一体何ヶ月かかるのだろう。ひょっとすると年単位かもしれない。よく考えてみると、私の顔面に五百ミリリットルもの液体が染み込んでいくというのは不思議な感じがする。
地元のドラッグストアで、私は今日とんでもない契約を悪魔と交わしてしまった気がした。このハトムギ化粧水のボトルが空になるまで、私は生きるつもりでいるらしかった。
ドラッグストアを出て、リュックサックの中でチャプチャプ音を立てるハトムギ化粧水の存在を感じながら、「ああ、生きなきゃなー」と思った。
ハトムギ化粧水五百ミリリットルぶん生きるらしいので、コンタクトを買う精神的ハードルが少し下がった。まだ買ってないけど。
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