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想像もつかないところに立っていた

間もなく12月。
#スタエフ  で #私の一文字  という企画に参加しました。

発案のヒロシさんのチャンネルはこちら⬇️

#私の一文字

私の一文字は『嵐』にした。
アイドルグループではない。

収録はこちら⬇️

2021年は激動の一年だった。

2021年は病気休暇からスタートした一年だった。それでも前年の12月から少しずつ元気を取り戻し、スタエフやTwitterを始めた。
1月、2月とスタエフに入り浸っていた。仲間が増えて、元気をもらって、毎日のようにライブ配信をしたり収録をしたりしていた。

そんな中で、まーさんと知り合った。

まーさんのハンドパンが心地よくて、ライブに行っていたある日、まーさんが「コーチングを勉強しようと思う。 #THECOACH に申し込んだ」という話をしていた。

前々からコーチングという言葉は知っていたし、子育てのコーチングの本を読んでいて興味はあった。

そしてまーさんがクライアントを募集していると聞いて手を挙げて、はじめましてからセッションを受けたのが2月だった。

コーチングとの出会い

まーさんから投げかけられる質問はどれも悩んで答えて、自分と一生懸命対話している感じがした。

体験記はこちら⬇️

コーチングのもつパワーに魅了され、私もコーチングを学ぶと決めた。
次の週には説明会に参加し、私も #THECOACH の講座を受けることにした。

新たな場所で咲くんだ

4月からは病気休暇が明けて、仕事に復帰した。
新しい学年でまた頑張ろうと思えた。

慣れない仕事、相変わらず全貌が見えない会議、話す相手もいない日々。
それでもSNSで出会った仲間がいると思って頑張れた。

いろいろな挑戦もした。
英語や数学、苦手なことも生徒と一緒に頑張った。

苦しいながらも置かれたところで咲こうと頑張った。

コーチのOSに積み替える

5月の半ばGWも明けて学校が本格的に始まる頃、#THECOACH の基礎コースが始まった。
教員という立場からコーチへ。
人を支援する意味では一緒なのに、方法は真逆に感じられた。

脳みそがこねくり回されて、知恵熱が出た。
脳みそがオーバーヒートしたんだと思う。

ここから、コーチとしての私と、クライアントの先生との出会いがあった。

武者修行のような日々

日々の授業、生徒指導の中にコーチングを入れるのはなかなか大変だったけれど、すごく充実していた。

そして夏休み直前の7月に応用Aコースを受け、8月に応用Bコースを受けた。
自分の描いているビジョンに嘘はないつもりだった。
でも、なんだかしっくりこなかった。

何度かコーチとセッションしてアップデートするんだけど、その度に納得するけどしっくりこない。そんな感覚だった。

でもコーチングをもっと学びたかったのでプロコースに申し込んだ。
空きがなくて5月スタートになると言われた。

先に体の限界が来た

そんな9月のある日、ベッドからどうしても起き上がることができなかった。
(体育大会が嫌なのかな…去年怒られた係やりたくないな…でもそうじゃないな。)
(PMSかな…気持ち悪い。でも吐くものもないな…)
(食欲が全くないな…何もいらない。食べられない)

1週間のほとんどをベッドで過ごした。
病院に行く気力もない。

(夫は連れて行ってくれようとしたけれど、パジャマから着替えるのも、顔を洗うのもしんどくて無理だった。)

一週間経って病院に行ったら抑うつの診断が出た。1ヶ月の休職。

忘れられない10月20日

そんな中で #THECOACH の規約改定があった。
精神科・心療内科に通っている人のセッションは心理的負荷を考えると好ましくないので控えてください、という内容だった。

私はプロコースも受けられないのかと、悲しくて泣いた。
自分が情けなくて泣いた。
セッションも受けたいのに受けられない。
セッションを提供したいのにできない。
今まで頑張ってきたことはなんだったんだろう…と。

でも私はプロコースを申し込んでいたから、コースリードのたにさん🥕

と、こっちゃん

との面談があった。お二人は応用ABをどちらもリードしてくれた信頼できるコーチ。
(こっちゃんは基礎コースもリードしてくれている✨)

プロコースってこんなことするよ、とか
ふわちゃんの願いを聞かせて、とか
1時間くらい話を聞いてくれた。あの時間は貴重なセッションだった。

その中で出て来たのは…

私はもっと私らしく生きたい。
自分のことを大事にして、自分のために人生を生きていきたい。

という願いだった。
泣きながら話した気がする。

この時、私は今までの人生を誰かのためにという思いで生きてきた気がした。
それは後悔していない。

けれど、残りの人生を自分のために生きていたい。
もっと笑って生きていたい。
病気になって、泣いている時間は嫌
だ。

それが私の願いだった。

その願いを口にしたとき、仕事をやめようと思った。

同じ時期に、たまたま見たYoutubeで適応障害は心のアレルギーという言葉にも出会った。

捨てる神あれば拾う神あり

病気休暇の延長を申し出たことで校長と揉めてしまい、12月末での退職を決めた。
しかし、同時に進めていた転職活動で私に興味を持ってくれた企業があった。

企業スカウトで連絡が来て、私が趣味の欄にコーチングと書いていたのに興味を持ってくれたらしい。
経営者は私と同世代で、コーチングやリーダー論を独学で学んで経営に活かしている人だった。

経営理念や考え方に共感するところが多くて、そしてやっぱり子供が好きで、転職先が決まった。わずか2週間で転職活動は成功した。

一月からは新天地で働くことができることになった。

嵐の後には虹が出る

怒涛の2021年だった。
去年の今頃も家にいたが、ここに立っているとは想像もつかなかった。
でも今、去年よりも幸せな気がする。

嵐は激しかった。中にいるときは苦しかった。
でも、きっといろんなものも洗い流してくれたのだろう。

今は曇り空の隙間から、ちょっと日が射してきているような感じがする。

2022年、どうなるかはわからない。
けれども、自分で選んだ道に進むという自信がある。
ダメでも自己責任。またやり直せばいい。

今日が人生で一番若い日

何度でも立ち上がればいい。
まだまだやりたいことがある。
笑って人生を過ごせるように、これからも歩いていく。

夫と手を繋ぎながら。

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