私らしい人生ってなんだ
アラフォー既婚。子なし。夫とウサギと一緒に暮らし、小型水槽に魚を飼う。
職業:中学校教員。
今の自分がいるのは小さな選択を繰り返してきたからだ。
(書いていたら長くなったので、読み飛ばしてくれてOKです笑)
義務教育中は親の転勤で転校を繰り返した。これは選べなかった。
高校は家から一番近い公立高校に通った。
建て替えをしていて校舎が綺麗だったし、通学も負担がなかったし、学力的にもそこそこ。
部活は吹奏楽部に入った。先輩に一目惚れしたからだ笑
それでも3年間ほとんど休まなかったし、友人は多くはなかったけれど恵まれた。
大学からは家を出た。
親からは「道内の国公立でないと学費は出してあげられない。予備校費も自分で用意しろ」といわれたので、現役で受かりそうな国公立を選んだ。地方の教育大学だった。
その時から、教員になるんだなぁと思っていた。周りもほとんどが教員志望だった。
(教育大学なのだから当たり前だが)
正直、真面目な大学生ではなかった。必要最低限の単位を取ってアルバイトをしていた。
専攻が書道なので、用具や消耗品にお金が必要だったからだ。
同じゼミの同期(あまりソリは合わなかったけれど)には「そんなに勉強してない人が採用試験に受かるわけない」と言われた。
しかし、大学4年の春から2ヶ月の猛勉強で採用試験に合格した。
ゼミ生も教授もびっくりのどんでん返しだった。
なんとか単位を取り切って卒業し、大学の近くの中学校に赴任した。
初任校の学校は『不夜城』と呼ばれる学校だった。
連日深夜までの残業は当たり前。
辛くてやめたいと思った。
当時、付き合っていた人が結婚しようと言ってくれた。
でも「学費出してやったのにすぐに辞めるなんて親不孝」と親に言われたら従わざるを得なかった。
実際、奨学金も残っていた。返済もしなければならない。
その後、小学校に異動したり中学校に戻ったりした。
300キロの引っ越しもした。
そして去年、1400キロ離れた関西にやってきた。
働きながら『うつ』『抑うつ状態』と診断されること4回。
今回で5回目だ。
もう奨学金も返し終わった。
ここまで苦しんで働かなくてもいいんじゃないかと思い始めている。
親に学費を出してもらった分は、もう働いたよね。
両親に電話してみよう。
そして、ここからは自分の人生を歩むと伝えてみよう。
私のやりたいこと、取りたい資格
公認心理士
まだまだ現任者講習の途中。来年受ける人の中では遅い方だと思う。
ここから本気でやらないと間に合わない。
今まで本気でやった試験はちゃんと合格してきた。本気でやればできるはずだ。
今までの経験も、2回の採用試験も無駄にはしない。
コーチング
10月いっぱいはセッションを体調の悪化を理由に中止させてもらっているが、やっぱりコーチングで人と触れ合うのは嬉しい。
教員の方はもちろん、これからは保護者の方の相談も受けられるようになりたい。
公認心理士の資格と併せて、障害児育児で困っている方や不登校の生徒など、学校だけではできないことをやりたいと思っている。
教員であること、教員として勤めさせてもらったことに感謝しつつ、私は次のステージに進みたい。
人生の折り返しにもまだ届いていないだろう。
ここから先の人生をもっと楽しむために、私は次の道を歩みたいと思っている。
記録として、ここに残していこう。
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