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『"It"と呼ばれた子』の、心の傷と一緒に幸せになる言葉③-1~被虐待者の逆襲

里子になって新しい住宅地に引っ越したとき、ある女性にこんなことを言われた。「あらまあ、あんたがあれね――あの<里子>ってやつね。なんだってこんなふうになったんだか知らないけど、ちょっと忠告しておくわ。自分をわきまえなさい。成功しようとがんばったところで、がっかりするのがオチよ。でも、そんなことにもずいぶん慣れているようじゃないの、え、どうなの?」目の前にいる相手を見つめながら、自分がただの虫けらになったような気がした

『"It"と呼ばれた子 指南編 許す勇気を生きる力に変えて』デイヴ・ペルザー p238

この女性のように、これから前向きに生きていこう!と心の中に燃えはじめた火に、バケツで水をぶっかけるようなことをする人がいます。

こういう人は非常にやっかいです。人生において、できれば出会わないで済むにこしたことはありません。

ですが、こういう人よりもずぅっとやっかいなのは、傷を負ってしまった他でもない自分の心が、自分自身の心の火に対して水をかけてしまうことです。

どういうことかというと、例えば「将来に向けてプログラミングを学びたい!」と思ったとします。
そう考えた瞬間、心の中にやる気の火が燃え立ちます。ですがそのあとすぐに、
「どうせ他の人の方が優れた技術を持っているし、自分に大したことはできないから・・・。それに自分が上達する頃には、誰でも簡単にできるプログラミング言語もできてるかもしれないし・・・」
と考えることで、せっかく燃えはじめた火が消えてしまう、ということです。

こういうことは、いろんな場面で起こりますよね。

「おもしろいことが浮かんだ!友達に共有しよう!」(燃え!)
「・・・でも、すべるかもしれないし、やっぱ言わないでおこう」(鎮火)

「よし、今度こそ彼女を誘おう!」(燃え燃え!!)
「・・・今忙しい時期かもしれないし、迷惑かな?まぁ今はおれも"どうしても恋愛したい!"というほどの気分じゃないし・・・」(鎮火!!)

自分の中で燃えはじめた火に、自分で水をかけることが習慣になってしまうと、人生をよりよくしていこうという決意や、行動しようという意志が砕かれてしまいます。
そのような状態で、一体全体どうやって幸せになればよいというのでしょうか?

このような心の状態になってしまう理由の多くは、過去に親から自分の人生そのものを否定されたとか、そこまで深刻でなくても、大人たちから「それはダメ!」と何度も何度も言われ続けた、といったことです。

親や教師が言った「ダメ」を、「はいそうですか」と受け流していられるうちはいいのですが、言葉というものは耳から入って、心の奥深くにある潜在意識に残ってしまいます。

そうやって何十回も何百回も、場合によっては何千回も「ダメ」を聞いているうちに、いつしか自分自身が、勝手に大人の先回りをして、自分に対して「ダメ」と言い始めるようになってしまいます。

なんて悲しいことでしょう。

私も、そうやって自分にダメと言い続けている人をたくさん見てきました(特に女性に多いですね。女性は幼い頃から賢い分、大人の言うことをよく聞いてしまうのかもしれません。女性の皆さんの苦労、お察しします)。

では、自分の心に「ダメ」が入り込んでしまった人は、もう幸せになることはできないのでしょうか?

もしそうだとしたら、私がこの文章を書くのはすべて「無駄無駄ァ!!」ということになってしまうでしょう。
決してそんなことはないから、「オラオラオラオラァ!!」と書いているわけです(スタープラチナッ!)。

冒頭の引用文にある体験をしたデイヴ・ペルザーさんは、"カリフォルニア州史上最悪"と呼ばれた極悪非道の虐待を体験してきました。
4歳から小学5年生まで、毎日のように殴られ、食べ物も与えられず、母親から名前さえ読んでもらえなかった彼の心には、どれだけたくさんの「ダメ」が入っていたことか。

そんな彼でも、大人になってからはアメリカ空軍のパイロットにもなり、その後は著述や講演の分野で成功し、私生活では父親として幸せな家庭生活を築くことができるようになりました。

心に膨大なマイナスを抱えていたデイヴが人生をプラスにした秘訣。それは誰にでも役に立つものだと私は信じています。
特に、過去の経験によって心が傷ついた人ほど、「心の傷があっても成功や幸福をつかむことができる」のだと知ってほしい。
そんな想いで、今この文章を書いています。

タイトルの「被虐待者の逆襲」というのも、映画の『JOKER』のように、心に傷をつけられた人たちで徒党を組んで、社会に復讐しようということではありません。
「過去にどんなマイナスなことがあったって、私たちは幸せになることができたんだ!」と、デイヴにひどいことを言った女性のような人に見せつけてやるというのが「逆襲」の真意です。
とはいっても、成功したり幸福になったときに、わざわざその人たちを「見返す」必要もありません。
そんなことを考えているヒマもないくらい、どんどん幸福を拡大することだけ考えていればいいのです。

では、デイヴはいったいどうやって、自分の心の負債をきれいさっぱり返済し、幸福を増やす元手となる資産を得ることができるようになったのでしょうか?

その方法は、

自分自身に語りかける言葉に気を配る

p216

というものでした。

それでは、これからデイヴの著書である『"It"と呼ばれた子 指南編 許す勇気を生きる力に変えて』(ヴィレッジブックス 2003年 *原著は2000年)から、自分自身にどのような言葉をかけると良いのかを見ていきたいと思います。

この「指南編シリーズ」も、今回の記事"③"でいよいよ最後となります。

①と②を読んでいなくても問題なく読めますが、心の傷があっても幸せになるための考え方を知りたい方は、ぜひそちらも読んでください。

「無気力」はあなたの本当の性格じゃない

「現在地」「行動・手段」「目的地」

何をするにしろ、何を言うにしろ、自分に問いかけてほしい三つの大事な質問がある。これを提唱しているロジャー・クローフォード氏は、世の人々に勇気を与える一方、自分に語りかける言葉がどれほど自分に影響をおよぼすものか、身を持って知っている人でもある。その質問というのは、「自分は今、どこにいるのか」「何をしているのか」「どこへ行こうとしているのか」の三つだ。あまりにも単純すぎると思うかもしれないが、どれも子どものときからずっと、僕が唱えてきたものだ。

p226

心の火を絶やさないためには、「目的地を持つ」ことが大切です。
「目的地を持つ」とは言い換えれば、自分の人生で成し遂げたいことや味わいたい感情を明確にするということです。

あなたは、この人生でどんなことがしてみたいですか?人生の最後に、どんな気分を味わいたいですか?

そして、目的地を描いたら、自分が今いる位置から、一歩ずつでも、いや半歩でも、いや1cmでも、前に進んでいくこと。

これが、心の火を燃やし続けるために必要なことです。

努力することは、確かにすばらしいことです。
でも、やみくもな努力では、貴重なエネルギーを消費するばかりで、努力の先にある成果を得られなくなってしまいます。
そのような方向性のない努力は、心の火を弱めてしまうことがあるので、注意が必要です。

それでは、これから「目的地を持つ」ことの重要性を考えてみたいと思います。
もしかするとこの話は、比較的心の火が燃え残っている人の方が受け止めやすいかもしれません。
もう私の心の火は、ほとんど消えかけているよ・・・という方は、次の章の『「やる気」に関する心理学の実験』以降に心の火を強くする方法を書いたので、この章はいったん忘れてしまっても大丈夫なので、そちらをぜひ読んでみてくださいね。

旅行に行くときのことを、頭の中に思い描いてみてください。
一番最初に「伊勢神宮に行って、パワーをもらいたい!そんでもって、赤福食べて、日本酒も飲んだりしたいな~♪」と、行きたい場所と、そこで楽しく遊ぶイメージが浮かびます。
この場合、「伊勢神宮に行って楽しく遊ぶこと」が「目的地(ゴール)」になります。

「目的地」が浮かんで来たら、どれくらいのお金がかかりそうかとか、一泊二日で行くかそれとも日帰りで行くかとか、何の乗り物に乗って行くか、などを調べますよね。

そこで大切なことが「現在地」です。クローフォード氏の言葉に合わせるなら、「自分は今、どこにいるか」。
今自分がその旅行に使えるお金の量によって、現地でやれることも変わってきますよね。

伊勢神宮という目的地に行く場合、あなたの現在地が東京なら、新幹線を使って名古屋まで行き、そこからJR快速みえに乗って外宮のある伊勢市駅まで行くという流れになると思いますし、あなたが京都に住んでいるなら、新幹線は使わないでも行くことができるでしょう。
「目的地(ゴール)」は同じでも、あなたが今いる場所、つまり「現在地」が違えば、当然ゴールに行くための「行動」または「手段」も違ってきます。
この部分が、クローフォード氏が言う「何をしているのか」に当たると思います。

この「何をしているのか」という言葉は、翻訳のニュアンスでちょっとわかりにくい表現になっているのかもしれませんので、私なりに解釈したいと思います。
「何をしているのか」というのは、目的地に行くために「何の手段を使うのか」「どのような行動をするのか」を考えることだと理解してよいでしょう。
伊勢神宮(目的地)に行くために、東海道新幹線と快速みえ(行動・手段)を使う、ということですね。
これがもし、東北新幹線という「行動・手段」を選んでしまうと、伊勢神宮とは反対の方に行ってしまいます。
もちろん、間違いに気づいた時にはやり直すことができるのが人生なので、間違えることを必要以上に恐れる必要はありませんが、自分が今正しい方向に進んでいるかどうかを確かめるためにも、自分に対して「何をしているのか」(「何の手段を使うのか」「どのような行動をするのか」)を問いかけることが大切です。

また、もし旅行に行くお金がなかったら、旅行に行くというステップの前に、「ちょっと節約して貯金をする」というステップが必要になります。
でも、旅行に行くためのお金を貯めることをしなかったら、伊勢神宮に行くという「目的(ゴール)」を思い描いたとしても、それを実現することができません。
「貯金をする」という行動を取るのか、「貯金をしない」という行動を取るのかによって、伊勢神宮に行くという「目的」を達成できるかどうかが決まります。
これも、「何をしているのか」(「何の手段を使うのか」「どのような行動をするのか」)に当たりますね。

このように、「目的地(ゴール)」と「現在地」と、目的地に到着するための「行動・手段」の3つが揃って、成功に向けて歩いていくことができます。
もちろん、目的地のない旅だって楽しいですから、そういう人生だって大いにありです。
でも、もしあなたが成功者になりたいのなら、この3つを持っていた方が、「今、自分は確かに目的地に近づいている!」という手ごたえを感じながら、心をアツくさせながら歩むことができると思います。

しかしながら、
「自分は今、どこにいるのか」(現在地)
「何をしているのか」(行動・手段)
「どこへ行こうとしているのか」(目的地)
の3つは、ひょんなことでズレてしまいがちです。
なので、まぁ毎日は確認しなくてもよいかもしれませんが、自分が必要だと感じるときには、この3つを自分に向けて問いかけることが大切なのです。

(ちなみに、「ロジャー・クローフォード氏」というのはこの方です。

https://harleyinspiration.blogspot.com/2011/07/roger-crawford.html  より

クローフォード氏は、両手の指が3本、片方の足の指も3本、もう片方の足は義足。その上、プロ・テニスプレーヤーだった人です。
どのようなハンデキャップを背負っていたとしても、人間には無限の可能性がある。そのことを示すために、デイヴはクローフォード氏の言葉を引用したのだと思います。)

「やる気」に関する心理学の実験

そうはいうものの・・・

「目的地(ゴール)」を思い描いても、気持ちが萎えてしまって、そこに行くための行動が取れない、という人もたくさんいると思います。

そのような人は、自分のことを「無気力な性格」だと思っているかもしれません。そして「無気力な性格だから夢を追うのには向いていない」と考えるかもしれません。さらに、イキイキと夢を追って行動する人を見て、負い目を感じてしまうかもしれませんね。

ですが、「無気力」というのは決して生まれ持っての性格ではありません。
つまり、「無気力な性格」というのは変えることができるということです。
しかも、そのための具体的な方法もわかっています。これからそれを見ていきましょう。

実は、1970年代からの心理学者たちの研究によると、「無気力」や「やる気まんまん」といった、変えることが難しい"性格"だと思われていたものも、その人が育ってきた環境の影響によって形成されたものだということがわかってきました。

つまり、がんばってもがんばっても成果がでないという経験をたくさんしてきた人は、「がんばっても意味がない」という結論を「学んだ」ことで、無気力な性格になるのです。

子どものときからたくさんの「ダメ」を聞かされてきて、自分で自分にダメ出しをするようになってしまうのも、「ダメ」を学んでしまったことが原因です。
魅力的な目的地が頭の中に浮かんできて、そのときには心の火が燃え上がるのに、「どうせ自分はダメだから」と自分で自分の中の火に水を掛けてしまうというのは、とても辛いことですよね。

このように、心が「がんばっても意味がない」や「ダメ」を深く学んでしまった状態を、「心の傷」と呼ぶのだと思います。

そうなってしまった人のことを思うと心が苦しいです。
でも!ここから希望のある話をします。

「無気力」を学んでしまうのと同じように、私たちの心は、「意欲」も学ぶことができるのです!!

「意欲は学びなおせるのかどうか」を確かめるために、8歳から13歳の子ども6名を対象に、25日間かけて行われた実験があります。

その実験では、参加した子どもたちは放課後に算数の問題を15セット解くように求められます(よくやってくれたなぁ!笑)。
この問題には合格基準があり、ほとんどの子どもが、15セットのうち2~3セットは合格基準に届かず「失敗」してしまうそうです。

この実験には教師もいるのですが、その子どもたちの「失敗」に対して、教師たちは声を掛けます。

そのときの声掛けがポイントです。
教師は決して「間違ってるわね、あんたダメじゃない」とは言いません。
失敗した原因は努力が足りなかったからで、気持ちを集中して努力しよう、と声を掛けます。
そして、そう声を掛けられた子どもは、気を取り直して集中して取り組んだ次のセットでは合格(=成功)できたのだそうです。
そのように、「努力すればできる!」という成功体験を、25日の間積み重ねていきました。

その結果、子どもたちは失敗してもあきらめずに挑み続けるようになり、成績も大きく改善されたのだそうです。

見事「意欲」を学び、意欲的な性格になった子どもたちですが、この実験のポイントは何なのでしょうか?

実はこの実験は、
「無気力な子どもは失敗の原因を自分の"能力"が不足していると考え、やる気のある子どもは失敗の原因を"努力"が不足していると考える」
という、心理学の理論を土台にして行われました。

だから、この実験では教師たちは子どもに向かって努力の大切さだけを伝えたのです。

では、もし教師が子どもたちの「努力(≒過程)」にフォーカスせず、「能力(≒結果)」に注目して声掛けをしたらどのようになるでしょうか?

例えば、あなたがテストで90点を取ったとします。
そのときに教師が「90点!すごいじゃない!」と言ったとしたら、あなたは「90点を取れたことがすごい」と学びます。
これは「90点を取れる能力があることがすごい」と学んでいるのと同じです。
しかし、ここには「結果」への注目しかなく、「過程」への注目がありません。
教師や親から結果ばかり求められている子はやがて、「過程は重要ではない」と思うようになります。
その結果、「努力」を軽んじるようになってしまうのです。
「努力」こそ、心の火を燃やしてくれるものだというのにね。
過程を軽視し結果だけを重視する人は、場合によっては、不正な手段を使ってでも結果を得ようとするようになる可能性がある、というのが、心理学の知見です。

でも、あなたがテストで90点を取ったとき、
「すごいね!よくがんばったね!」
と、結果ではなく、90点を取るに至った過程で、90点を取るためにあなたが努力したという事実にフォーカスして声を掛けた場合には、あなたは結果よりも、過程の重要さを学ぶことになります。
そうすると、あなたは次にテストを受けるときにも、「90点を取るためには何をしたらいいんだっけ・・? そうだ、努力をすればいいんだ!」と、「目的地(ゴール)」に到達するための「行動・手段」を思い出すことができるので、その「行動・手段」を取ることができます。

「90点を取れたことがすごい」と結果だけにフォーカスしていると、その結果を生む「行動・手段」がわかりません。つまり、何をしたらいいのかわからないのです。
しかし、過程にフォーカスすることで「行動・手段」がわかれば、もし次に90点が取れなかったとしても、
「あれだけ努力して90点を取れないなら、今回は問題が難しかったんだな、仕方ない!」
とさっぱり切り替えることができたり、
「今回は努力が足りなかったから90点いかなかったんだな。次は90点が取れるように、努力の質を変えてみよう!」
と、次に向かって一歩を踏み出すことができるようになります。

これこそ、心の火が燃えている状態ではないでしょうか?
ステキですね。

心の火を再び燃やすために!

心から無気力を追い払い、やる気のある心を取り戻すためには、「過程」である「行動・手段」にフォーカスすればよいということがわかりました。

だから、あなたが目的地に向かうために一歩でも進むことができたら、その結果がどうあれ、自分をほめてあげてください。
一回だけじゃないですよ。何度も何度も、自分をほめてあげてくださいね。

自信をつけるには、どんな小さなことでもいいので「これをやり切る」と自分で決めて、それをやり切ることが効果的です。
そして、決めたことに向かって一歩でも踏み出したら、「いいね!」と自分をほめてください。
決して「やり切ったらほめる」のではありません。もちろんやり切ったときにも「よくがんばったね」と、自分で自分をほめてあげるのですが、今大切なことは結果よりも過程にフォーカスすることです。
そうすると、脳にやる気回路ができてきて、消えかけていた心の火が、再び燃えはじめます!

私も、自分に自信を取り戻すために、超くだらないことですが実践してきました。
そのやり方を教えてほしいと言われても、今までは教えてきませんでした。
しかし、今日はあなたがやる気を出してこの文章を読んでいる・・・ならば、私も出血大サービスです。恥を忍んでみなさんにお伝えしましょう。

私がやっていたことは、名付けて「チョイス&プレイズゲーム」です。

特に何も予定のない休日、自転車に乗って、適当に街に出ます。
そして、曲がり角に来たら、自分に問いかけます。
「右か左、どっちに曲がりたい?」
一瞬考えます。「右!」自分で答えを出します。
そして右に曲がります。右に曲がったら
「自分で考えて自分で答えを出して、偉い!」
と自分を褒めます。
これを繰り返します。

くだらないかもしれないけど、まぁヒマだったんでいいんです(笑)。
それだけ必死だったということですね。

でも、ここには重要な現代社会批判があります。
なぜなら、私たちは小学校・中学校・高校と、何をするにも親や教師の許可を得ないとやってはいけない、というような教育で育っているからです。

本当は自分で「問い」を考え、自分で考えた「オリジナルの答え」を出さないといけないのに、教科書に書いてある問題や問題集を解くことばかり訓練させられます。
それに加えて、自分が考えた問いや答えは否定され、それが続くと、いつしか自分で考えることを放棄するようになってしまいます。

でも、幸せになるためには、自分で考えることが絶対に必要です。

だから私は、「問い」から自分で考えたのでした。
その「問い」は、「この曲がり角、右に曲がる?左に曲がる?どっち!?」という、誰でもできる小さなものでした。
小さくても大丈夫です。なぜなら、「自分で考える」ということが大切だからです。
そしてその答えを「自分で選び取る」ということ。
自分で選び取れば、間違ったって大したダメージはありません。
だって、成功するのも間違うのも、全部自分で責任を負うと決めているから。
間違いを恐れて何もしない人生よりはよほど幸せ。

そうやって自分で選ぶことを繰り返していると、自分が住んでいる街なのに、今まで一度も見たことがなかった路地で、小学生が無邪気に遊んでいる様子に出会ったりします。
「こんな何でもない路地でも、子どもたちにとっては最高の遊び場なんだな」
子どもたちは「ここで遊ぶ」と自分で決めて自分で遊んで、「ああ楽しかった」といって気持ちよく眠るだけ。
子ども時代、そのシンプルさが、はちきれるほど幸せだった。この光景はそのことを思い出させてくれました。

この「チョイス&プレイズゲーム」では、自分で自分をほめているので、気分よく道を走っています。気分がよいと、こういうセレンディピティ的な出会いも増えてきます。

「チョイス&プレイズゲーム」は、いろいろなことに応用可能です。
ファミレスや定食屋でご飯を選ぶとき、いつもと違う選択をしてみる。そして自分で意識していつもと違う選択をした自分をほめる。
などです。

自分で選ぶことが肝腎要です。
あなたを幸せに導いてくれるのは、「これがみなさんが考える"幸せ"なんでしょう?」と、世の中が押しつけてくる既製品の快楽ではありません。あなた自身の選択です。

もしあなたが、「自分で決める自信」を失っているのなら、その結果として心の火が消えかけているのなら、立派なことやまじめなことをしようとしすぎているのかもしれません。
そうではなく、むしろ「チョイス&プレイズゲーム」のような、「くだらない」ことからスタートしてみませんか?
くだらないことでスタートしたなら、後から振り返ったときに、かけがえのない思い出になるはずですから。

そして、あなたがありのままの自分の選択に自信を持てるようになったなら、目的地も自然と見えてくるはずです。

ただ、それでも「目的地(ゴール)のイメージができない」あるいは「自分には夢がない」という人もいると思います。
次の③-2の記事では、そういう人がどのような考え方で生きていくとよいのか、そのヒントを探してみようと思います。

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