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noteの更新し忘れたかなと思ったらいつの間にかしていた話

単なるぼけが始まっただけの話です。ヘッダ画像をお借りしています。

noteは登録して書き始める時に、とにかく継続をするべきだみたいなチュートリアルを表示します。プラットフォーム側でいくらでもそういう場所に表示する文は変えられるため、今もそうなのかどうかは知りません。

また多重アカウントも禁じられているため、改めてアカウントを立ち上げて確かめるつもりもありません。

だからぼくみたいな指示待ち状態、常に受け身状態の立場からすると「はぁ毎日更新しなアカンのですか」となりあと数日もすれば連続500日更新ぐらいになります。この何日という数字の高さがいかにぼくが指示待ち、受け身であることを示しているかと思うと背筋が冷えますね。

で、そのように毎日更新すべきだぞとnoteがわが言っておきながら「事前にnoteの下書きを創りまくって、時間が来たら勝手にアップロードされる」ような設定はできない。金を払わないと、ですね。

noteの有料会員になれば予約投稿のコマンドが使えるようになるはずです。毎日更新しろと言っていながら、それを確実に実行したいのであれば「顧客」ではなくユーザ止まりのユーザは、毎日プラットフォームにログインしてnoteのDAUに貢献するという態度を示しながら更新しなければならない。よくできたプラットフォームですね。Twitterは無料ユーザでも余裕で予約投稿が使える。

ぼくは今、この文を書き始める前に「あれ?今日はnoteにログインしてないんじゃないか」と思った。

となると上記のような連続更新記録も途絶えてしまうことを意味しており、何らかの喪失感を抱いてしまった。それだけnoteに使命感を持ってしまっていたのか、とまた別の――――――自分への?――――――失望感すら浮かんできた。まさに強迫観念をいだきながらnoteを更新していたのだろうか、SNSに命を握られているみたいだ、と思ってしまった。

noteを続けるには強迫観念を抱かないといけないのか?そんなことはない……といいますか、そんな「健康を害す」プラットフォームであってほしいとは思わない。連続更新みたいな概念をそろそろ消しても良い気がする。トータル何回と同じでいいんじゃないでしょうか。

とはいえぼくの習慣となると、睡眠、食べる、風呂、筋トレ、noteぐらいしかなくなってしまうのでいいんでしょうか?もちろん他にも習慣はありますが、いつなくなっても別に仕方ないレベルのものばかりです。YouTubeとか……

noteにログインした記憶が消えるほど時間が過ぎてしまっていたのは令和の虎というこれもまたつべの番組を観ていたからです。時間泥棒であるということがわかったため見るのをやめるでしょうということが本日得られた教訓でした。観なければならないYouTubeが増えてしまうことほど面倒なことはありませんね。

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