見出し画像

五音の春(物語3)

前回

https://note.com/fuuke/n/n6ec3cb3dd608

五音は自己の抱えた矛盾と戦っていた。目の前の老齢の男を殺さずしてなんとする。これは怒りか義憤なのか。

自警団が人間を殺して何になる。しかし目の前の生き物と相対して五音は自分を見失う。

五音にも大切な老齢の者はいた。世界は疫病に犯されて、その時に人口の大半を失った。その中には五音の家族も友人も恋人もいた。五音はすべてを失った。命を救われて自警団に加入した。

五音はこの老齢者と目が合った時、得も言われぬ殺意に全身を覆われた。

疫病から逃れた人々は地下深くに潜った。年月が経ち少しずつ地上に戻り始める人が現れ始めた。

明文律として防塵覆(マスク)を装備することが義務付けられた。科学も衰退し、大気中にどんな作用を起こす物質が残留しているかが判明していないためである。

仮に疫病がなくなっていたとしても、未知の病原体で地上に還ってきた人々が時限性の死を与えられた場合その時はその時であるとして人々は地上に戻った。

長く人間の介入がなかった地上には得体の知れない生物が増えていた。自警は夜になると現れる奴らとも戦った。

目の前の老体は防護覆を持たずに広場で運動しており、草(煙草)をふかして塵を地面に捨てていた。

五音は理解しなかった。周りには桃色の桜が咲いている。およそ蟄居に耐えきれず、周辺を闊歩しているだろうことこそ、かつて拾われる以前の五音と同じではあるものの、この「眼の前の生きている塵」のしていることは徒に大気内の正体不明な物質を取り込み、くさとともに周囲に撒き散らすことである。

更にはその塵自身の塵をその辺に放っている。蟄居に耐えきれず動かした身体は健康を求めている。一方でその直後にはいずれ身体を苦しめる嗜好品である草を吸っては残骸を撒いている。この自己矛盾した生き物を殺さずしてなんとする。

桜が敷き詰められた一面の隅には不燃場がある。五音の視界にはそこに金属バットが捨てられている状況が捉えられていた。

目の前の塵と目が合い、五音はその金属棒を手にするべきだろうと逡巡した。目の前の塵は悪びれる様子すらなく五音を睨み返す。五音の怒りは頂点に達した。

五音は目の前の命を奪い取る決意をした際に管理官が自分を自警団に加入させた時のことを思い出す。

自警団のひとりが人殺しをすれば自警団の面子だけでなくその後の人生はどうなるか。五音はそれがわからぬほど子供ではなかった。

そこで五音はこれが春の所為であると理解した。春はそれまで縮こまって何もしていなかった生き物が現れ、圧倒的な気候の変化に壊れる季節である。五音は自分もまた身体が全く身体の外に追いついていないことを理解した。危うく団の加入者すべての信頼を地に落とすところだった。

ということを日報に書いて管理官に渡した五音は、長い精神的療養休暇を寄越された。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?