芸人が悲劇のヒロインぶるのか、悲劇のヒロインぶる事が芸なのか
浅草キッドという映画を観たのでそちらについて。サイト内機能でヘッダ用の写真をお借りしています。
浅草キッドは男同士の友情の物語だった。
前提
として、ぼくは北野武に師匠がいるということは知らず、せっかく北野が書いた自分の伝記なら北野自身に映画を作って欲しいと思っていた。北野武は映画を撮れる人です。
そして芸について。ぼくは関西のそれより関東のそちらに惹かれるがいわゆるテレビ東京深夜プログラム系はそうでもない。つまりさっぱり芸には詳しくないくせに、以下では色々書いている。お読みになられた方がもしいらっしゃったら、こと抵抗を覚えるかも知れません。
大泉洋に対する知識は、彼を有名にした北海道のローカル番組を最新のオンエアだけ観ていないような感じであり、1×8行こうよもしくはハナタレナックスはほんの少し観た程度。キー局に出演する様、演技をする人という様相には違和感しかない。憎まれ役を演じることにはいくらかの定評があると思っています。
ということもあり、北野武に師匠がいたのかという驚きから、深見千三郎についての来歴をあらかじめ調べてしまった。そしてこのことは浅草キッドの中核に触れるエピソードでもありました。
2人
浅草キッドは2人の立場が異なる男同士の友情の物語だった。ぼくははじめに北野武の自伝に他ならないと思っていた。
しかしそうではなく、北野武と「その先生として有名な男」深見千三郎、W主人公の話だということがわかった。だから最初に大泉洋の名前が出てくることに違和感を持ったが、観終わって消えました。
そして題名の浅草キッドは間違いなく北野自身を示しているとも思った……しかしながら、同時に「浅草最後の男」という意味で深見千三郎のことを表しているということがわかった。
驚くのは、W主人公および浅草キッドが、本来北野のコンビ相手であるビートきよしのことではないこと。明かりが見えない中にいた北野に一筋の光をもたらした、「奇跡的な存在」がビートきよしであるにもかかわらず、そのようには見えない。
もちろん、北野と2人で浅草キッド(きよしも北野と同じ舞台に属していたが一時期、袂を分かった)という見方だってできるだろうし、それを否定することはありません。
しかしながら、この実現しなかった深見と北野のコンビこそ───────現実の、北野がトップである事務所にかつて(北野は後年、その事務所からは脱退、いなくなった)所属していた同名のコンビの存在を一旦思考外に置いておくのであれば───────浅草キッドといえるのではないかと、映画を見終えてぼくは思うに至った。「浅草」の「キッド」たちですね。
切りが良いのでまた明日おめにかかりたく存じます。
お読みくださりありがとうございました。