客は仕事を選べないが仕事は客を選べる
※ジョンウィックパラベラムの内容について知りたくない方はご注意ください。
ああ!なんということだろう。ジョンウィックを撮影する監督は変わってしまったのだろう。
(多分変わっていないと思いますが、そういう類の表現だと思ってもらいたい)
ぼくは、そのへんにいる映画ファンと同じくシネマのエンドロールなんて観ないため(倍速ではじめから終わりまでくまなく視線だけで追うことを「観ない」と表現されてしまうのであれば観ていない)本当に監督がかわっているかどうかなんてどうでもいい。ジョン・ウィックが永遠に失われてしまったことを思えば非常に些細な問題だろう。
ぼくはジョンウィックパラベラムを観終わった後、上記の言葉が心に勝手に浮かびました。意味はわからない。画像は公式noteから借りています。
作り方
ジョン・ウィックの1は恐ろしく優れた造りをしていると僕は思いました。
一体彼がなんなのかガチでわからない。すげー良い家に住んでいてやることはといえば車を他人の私有地みたいなところでかっ飛ばしまくるところ。
刹那快楽的な主義が垣間見えるが、そのへんのリーマンも持っていそうな趣味であるようにも見える。
そのミステリアスさだけでジョン・ウィック1の大半を構成していたことになんの不満もないしそういう映画だと理解できて面白がれた。
ちょっと後半で畳み掛けるようにジョナサン(ジョン・ウィックの名前)を痛み付けすぎじゃないのか、超回復能力装置や能力でも持ってない限り説明できないぐらいに蹴られ殴られ叩きつけられすぎじゃないのかと思った。こっちは別に海外の成人男がりょなられるところが好きで観ているんじゃないんだ。
ジョン・ウィックの造り方は「過去の遺産を延々と食いつぶしていく」というものです。
これを責めるかどうか。週刊漫画の造り方としては非常にスタンダードなものです。バクマンという漫画を読んでいれば書いてありますね。
つまり本段落の序盤で説明したとおり、丁寧に何者かわからないが魅力的なジョン・ウィックという男を描写する。
単純に映画を観たくて観始めた人、キアヌ・リーブスが観たくて観始めた人なんかを惹き付けるには充分です。ぼくが身を持って体験した。
しかしジョン・ウィック2からは「続きを作るための大義名分を確保するための造り方」がされているように見える。実際1→2→3はつながっているし、2→3(本題。パラベラム)なんて時系列が一秒も経過していない地続きのものである。
2から、キアヌ・リーブスの知名度を確固たるものとしたマトリックスでネオ(キアヌの役)の相棒ともいえるモーフィアス役だったローレンス・フィッシュバーンが出演した上に3(今回)ではさもその相棒そのままを表現したような痛めつけられ方をして、「3の続きを作らせてください」的な終わり方をする。なんだそれは
続きます。
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