ウィンカーの出ない車にはLOVEのブランケットが一枚重なっている
ターキーについて考える。ヘッダ画像をお借りしています。
この前鳥をイメージした歌が多いと言ったが、ターキーってもうガン鳥でしたね。それをこの前触れなかった。
鳥について触れたのはこっち。
ターキーって最初食うあれをイメージしたんだけど、七面鳥そのものを指すとは知らなかった。自称英詩ラッパーのくせに情けない限りだ。
つまり飛べない生き物然とした生き方をしていて、飛べる鳥に憧れる。だけど七面鳥に言わせれば、「鳥になりたいだ?じゃあはなから飛べない俺はどうなるっていいやがる」という。
あまり歌詞について触れるのは野暮すぎるのでしたくないんだけど、飛べないターキーが舌打ちする。
ここまで鳥をコンセプトにしてきた千葉にとって、ターキーという歌はあまりにも重大な意味を持っていたんじゃないんだろうか。衛生から見た地球の姿を見て、てめえらは何も思わないのか。
それなのに、最終的には宇宙はどこにもありはしないと否定する。つまり、衛生から見れば地球とは地球人が勝手にそこが地球であり、それ以外は宇宙だとのたまってるにすぎない。だから宇宙はどこにもありはしないのだ。
ああ、思いっきりぼくが大嫌いな人の書いた歌詞を分析する内容になってしまっている……が、思いついたものは仕方ないので最後まで話します。
国境線を引いているアホどもよ、聞いているかと。宇宙はどこにもありはしないんだから国境線だってあるわけがないのに、そんなことで争っている。かつて中村達也はロデオ・タンデム・ビート・スペクターがリリースされる2年ぐらい前、つまりBLANKEY JET CITYが解散する2年ぐらい前に世界地図は血の跡という題名のEPをリリースした。
国境とは地球の傷である。さらに言えばその数年前……5~6年前にリリースされたBLANKEY JET CITY自身のベストEPの題名が国境線上の蟻だった。国境線を造った連中に死ねと言っているのか?流石にそこまではわからない。
でもそいつらがいる限りLOVEもPEACEも実現しないっぽいことが読み取れる。2001年のYOYOGI RIOTのオープニングでは、その日のコンセプトと無関係の更に次のEPに入る歌であるサンダーバードヒルズが歌われ、その日こそまだ歌詞がついていなかったが、後日つけられた歌詞ではこの世の中に青と赤しかなかったら立体はすべて存在せず偽物であると言っていた。
そして同年の9/11に何が起きたかは野暮なので言わないが、当人は本当にそうなってしまった、と歌詞を悔やんでいたことから、YOYOGI RIOTがあった2001年春頃~2001/09/11の間にサンダーバードヒルズの歌詞は完成していた計算になる。あるいはすでに完成していたが、何らかの理由でYOYOGI RIOTでは半分しか演奏しなかったのか(YOYOGI RIOTはモッシュする馬鹿のせいで一時中断したが、それとは無関係だったと記憶している。実際に中断したのはその次の歌のシトロエンの孤独)。
LOVEとPEACEが違うことについて、最後に出されたシングルであるGIRL FRIENDでは別な感じのことが歌われているがそれについてはまた今度。そしてターキーはラップだとぼくは思っていると上記リンクで述べたが、それはロデオ・タンデム・ビート・スペクターがTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTのラップ体験を完成形に導いたことによるものだという考えもまた今度。しかしながら。コンセプトEPとして別にロデオ~はラップとかマジで何の関係もない。だって最後の歌が赤毛のケリーだから。思いっきりメロディ先行型の歌です。
そして言いたいことを言い切って気が済んでしまったから、近いアプローチのブラッディパンキービキニでまたいつもどおり女のことを歌い始めた。近いアプローチと言えるかどうかはぼくが勝手に決めたことなのでそれもまた後日である。
千葉のインタビューを読んでからというもの、もはやこの文はちばゆうすけについて書かれたものです、みたいな前置きすらなく書くようになってしまったが、分かる人にとってはそれこそ野暮だからこのままでいいか。
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