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私にとっての"書く"こと

昨日の記事の続き


私が小学生のときの"書く"行為は人に見せられない辛い気持ちを、汚い言葉で書き殴ることであった。

だから人に見せるような作文、宿題の絵日記は嘘の方が多かったなと見返してみても思う。将来の夢とか家族のこととかは当たり障りのない言葉で埋め尽くすことだけをした文章。

パパありがとう、ママありがとうが当たり前の学校教育の中で自分の悩みを誰かには言えなかった。別に暴力を振るわれた訳でも暮らしに困っていた訳でも無い。自分の悩みは大したことがないから自分が間違っているんだと思い込むことで気持ちを押し殺した。

そうやっているといつしか自分は何もできない、何をやっても無駄と思うことの方が多くなる。そんな自分を認めるのが怖くて、向き合いたくなくて、私は書くことを自分と向き合うことを辞めてしまった。


人に依存する人生は楽だった。


けれど自分が分からないから感情的になってコントロールできなくて、感情の爆発を繰り返しては自分を自分で苦しめた。

それが今、自分を苦しめるのを辞めようと思って行動できるようになってから、少しずつ自分が変わり始めている。


1人では行動は出来なかった。

紛れもなく今まで出会ってきた全ての人のおかげ。

そして辛かったあの頃を乗り越えて今生きている自分のおかげ。生まれてから、今後離れたとしても自分がどんな決断をすることになったとしても一生変わらない、親が私を産んで、育ててくれたおかげ。

全部が繋がるんだと気づけたのは書くことをまた始めて、自分と向き合い続けているおかげ。


向き合うことでの辛いことだって沢山ある。見える景色も物に対しても人に対しても見え方や考え方が変わって戸惑う日々。

そんな戸惑いも"書き"続けて、言葉探しのために"読み"続けて、人に会って"話して"、相手の思いを"聞いて"くことでどんどん自分が鮮明になっていく。

だが鮮明になっていっても答えは分からず、まだまだ迷い中の自分。

そんな自分も今のところそれで良いと受け止めてこれからも書き続ける。


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