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『月とコーヒー』 私だけが知っていれば良い、生きる糧【読書感想文】

こんばんは。みなさん、おやすみ前の読書は好きですか?

はい、どうも、最近はしっとりとこっそりと、吉田篤弘さんの小説をすこーしずつ読んでいるんです。

はぁ…。吉田篤弘さんの作品、めっちゃ好き。

夜寝る前に、読書灯のほんのりとしたやさしい灯りに照らされてページをめくる。
考えごとをしていた日中。頭の中が赤とか青とか真っ黒な毛糸玉でこんがらがっている。
そんな日に、寝る前にベッドサイドに置いてあった『月とコーヒー』を読む。
そっと目をとじて、今日はゆっくり休んで明日考えればいいよ。
今は物語の中に入って、優しさに包まれて眠ればいいよ。
ってそっとささやいてくれるような、そんな本でした。

吉田篤弘さんの小説は、眠れない夜に、ベッドで目を瞑りながら羊を数える作業に、なぜか似ている気がする。


『月とコーヒー』は、24編のお話が入っている小説。
どれも、ふわふわっとはじまって、誰かと誰か(なにか)が出会って、あとちょっと…!のところで終わってしまうんだけれども、幸せな気持ちにさせてくれる。

なんていうか…これから続いていくストーリーを読者に想像させるのが上手だな、と思う。
しかも、その後のストーリーは、おそらくどれも幸せで、コーヒーの湯気のようなふわっとした雲の色。夜寝る前に、にっこりしてしまう物語。


『鳴らないオルゴール』は、最後の最後にぶわぁっと音が聴こえたような気がして、目の奥からチカチカと素敵が溢れた…。

『ミヤンザワ・キートン』は、自分の中のもうひとりの自分の存在が、今わたしの中に、どれだけ占めているんだろう。と考えてしまって、わたしも大した欲だらけの人間だなぁと…。うん。きっと、いつか痛い目見てしまうんだろうなぁと思う。
変わらずに続けていける人は本当に素晴らしいと感じると同時に、それだけを続けていくことで色を失ってしまうものも。
やはり、バランスも大事なんだなぁ、なんて。


いちばん好きだったのは、吉田篤弘さんのあとがきかな。

わたし、「あとがき」って結構好きで、小説を読んだ後に、どんなに眠くてもそのままの勢いでよんじゃうんだよね。

本当、「あとがき」最高だった。



わたしは、太陽よりも月が好きで、今流行りの音楽よりも昔好きだった人の音楽がずっと変わらず好きで、今も昔も、踊らせてくれたあの空間が人生で1番の幸せな瞬間だったなって思うんだ。


もう、あの空間は無くなってしまったけれども、ふとした時とか、あの時買ったCDを聴くたびに、いつでも戻れる感じがある。
たった3曲しか入っていない、短いアルバムなんだけれども、しかも、多分、良い思い出はほんの数ミリなんだけれども、やっぱ最高だったなーって思うのは、なんでだろうね。

良い思い出よりも嫌な思い出の方が、色濃く、そして多く残るんだけれどもさ、その分幸せだったことって際立つのかな。
それならいっそ、わたし自身最高に最悪な女として、誰かの記憶に残ってみようかな、って思うこともあった。

優しい人は、恐らく、私という黒くて引き摺り込んじゃうモノを無理やり引き剥がすことなんてできないから。
嘘をついたり、酷いことをしてみたりして、離れた方が良いって思われないといけない、気もする。
そうゆうことやめた方がいいよ、危険だよって言われたことがあるんだけれども、もうどうしようもなかったんだよなぁ。ああするしか無かった。



うーんと、ちょっと話がズレちゃったかな。
これもご愛嬌ってことで。

さて、最近のわたしは、なんだか『誰にも気持ちを知ってほしくない』って思いが強くて、自分の現状とか抱えている思いとか、読んでいる本だとか、知ってほしくない、というか…言うのが怖いっていうのもあるなぁ。

なんだろう。そうゆう時期じゃないとしか言えない。わからない。

好きなところは、自分ひとりだけ知っていれば良いんだって思っちゃうところもある。これは、もともとの性格だ。

だから、みんながこぞってワイワイやっていることが殊更興味がなくなってしまったり、冷めてしまうなんてこともしばしば。
「次。新しいこと探そう。」ってなってしまう。「みんなで同じもの」とか流行とか、そうゆうの興味ない。


また、次のたのしいこと見つけようかな。


最近話がまとまらない。

ではまたね。


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