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"花束みたいな恋をした"はホラー映画

この文章は映画批評ではなく、素人の自分語りです。

4年半付き合い、同棲していた恋人と別れた。
穏やかで優しくて、何よりも私を大切にしてくれる人だった。
私は穏やかで優しい彼を退屈だと思うようになっていた。
積み重ねた時間が長くなるにつれて、いるのが当たり前の家族のような距離感になり、いつの間にか気遣いができなくなり、反抗期の子どものように振る舞ってしまうようになった。
いつも変わらず優しく接してくれる彼に、素っ気ない態度をとってしまう。
あんなに大好きだった人に、こんなに酷いことをできてしまう自分が、苦しくて仕方なかった。


彼とは真剣に結婚を考えていた。実直に堅実な仕事に勤める人だった。家族を大切にし、家庭を守ることを自分の幸せと思える人だった。周りからは絶対に幸せになれると太鼓判を押されるほど、結婚に適した人だった。


それなのに、重いと思ってしまった。
私は安定した仕事と穏やかな家庭が幸せなのか、わからなかった。それは所謂幸せだが、"所謂幸せ"としか思えなかった。
それを手に入れたい理由は、みんなが欲しがっているから、以外にわからなかった。
子どもが周りの友達と同じおもちゃを欲しがるようなものだ。


私の気持ちの変化を察した彼の焦りが少しずつ伝わってきていた。
私は所謂幸せを手放すことにした。どこまでも自分勝手で最低だ。彼からしたら、いきなりはしごを外されたようなもの。酷い仕打ちだ。



私は好きな人ができた。
趣味と話が合う。好きな本や映画を勧め合って、感想を話す。他の人には伝わらない好きなものへのこだわりも、互いに理解し面白がれる。
天竺鼠の話をして、クロノスタシスを歌いたくなる。

この恋の結末は麦と絹と同じ道に繋がっているのだろうか。そんなことはないと言える隙が全然なかった。既視感のある幸せと不幸せに納得させられてしまった。

穏やかで優しい恋人との幸せのようなものを掴めなかった私は、麦と絹が歩んだ道をこれから歩いて行くのだろうか。
私が幸せになれるルートはどこにありますか。そういうルートはちゃんとありますよね?もしかしてどこにもない可能性もあるんでしょうか?

どんな恋もこの道に続いているような気がしてしまう。


20代の恋愛があまりにくっきりとした輪郭で描かれていて、尖った角が心に押し付けられる。
恋愛で右往左往している私は恐怖に突き落とされてしまいました。

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