大衆娯楽という視点でプロレスを考えてみた

大衆娯楽とは何か?
色々と思うところがあって、大衆娯楽とは何か改めて調べてみました。大衆娯楽とは、『大衆社会的状況のなかでマス・コミュニケーションや他のメディアを介して,商業主義的な営利によって,多数の支持者を獲得することを目的とするような娯楽』と定義されています(コトバンク引用)

レッスルキングダム15大会テーマソング
これは本当に意外でした、木梨憲武さん(ドン木梨)が今回の大会プロモーターとして選出され、テーマソングも手掛けるということになりました。この告知を見てこれは今後のプロレス業界の方向性を決める試金石になるのでは?と思い少し考察してみました。今回運営側の意思というか覚悟のようなものを感じます。そのことについて説明していきます。

戦後のプロレス
先の大戦で敗北した日本という国にとって、大衆娯楽は本当に重要でした。国民は貧しく、日々の生活で疲弊していたため、その苦しみから少しでも逃避できる手段が必要だったと考えます(戦後の様々政策を考慮すると全て肯定できませんが)戦後のプロレスを作った力道山は屈強な外国人レスラーを空手チョップでなぎ倒しました。それを見て老若男女等しく熱狂し、何か日本人の誇りのようなものを取り戻すきっかけの1つだったのではないかと推測します。この現象は完全に『大衆娯楽』と定義できると考えます。

昭和後期から平成初期におけるプロレス
この期間、なぜかはよく分からないのですが、団体もファンも含め新参者を極端に排除しようとする業界体質になっていて、観戦するハードルも高かったように感じます。私も高校生あたりから新日を見始めた記憶がありますが、クラスで同じレベルで話ができる奴は1人か2人、マイナー競技のファンとしての疎外感を感じていました。
SWSは設立の経緯や内紛なんかがあるのかもしれないですが、TPG(たけしプロレス軍団)の事例はそれが顕著で、大衆側から来る部外者をファンが全力で排除した出来事だと考えます。この時点でプロレスは大衆側にはおらず、エリートとか知識人が見るスポーツに変容していたのではと想像できます。その後低迷期に入ったことはこれらの状況からすると当然だったのかもしれません。

平成中期〜令和の時代
ユークスが新日本プロレスの経営権を取得したことが大きなきっかけでした。それまでのどんぶり勘定から経営の透明性や利益を正しく追求する真っ当な経営になったこの出来事は、プロレスの歴史の中で本当に大きな意味を持ちます。
その後ユークスからブシロードに経営権は移り、NOAH/DDTはサイバーエージェントの傘下となりました。サイバーエージェントがプロレスの経営に参画したのは高木三四郎大社長と藤田社長の先見の明と個人的には思うのですが、コンテンツ配信をしているメディア企業とプロレスは非常に親和性が高く、この時代にプロレスはまた大衆娯楽の側に戻ってきました。

レッスルキングダム15
今Youtubeで大会テーマソングの配信を視聴できます。コメント欄は概ね好意的なコメントが多い印象です。最初はちょっとこれ違う感を感じた方も映像と合わせて見ると悪くないよね、といったコメントも散見されます。
プロレスの歴史を振り返ると、大会を思いっきり大衆側に寄せていくこの試みを通して、プロレスの面白さが広く新しいファンに刺さって、さらに大きく伸びるのか注目したいと思っています。

僕自身はやっぱりプロレスが大好きですし、もっと多くの人にプロレスの良さを知って欲しいと思っています。企画サイドの覚悟も伝わってくるし、1人のファンとしてしっかり応援していくのが責務かと。微力ですし、1.5の方に行くので、木梨さんは見れないのですが・・・

最後まで読んでいただいてありがとうございます。




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