モンゴルの草原でウンコを拾ったらまだ幼い中学生の息子と結婚させられそうになった話から環境・リサイクルを楽しむ方法ついて考える
「糞(ふん)を拾ってきてくれ」
家畜の匂いで充満したモンゴルのゲルの中で、忙しく追われた調査書の校了も終わり鼻歌まじりで料理する私に、遊牧民のおじさんがニヤニヤしながらこう言って大きな麻のずた袋を手渡した。
カラ晴れの誰もいない草原に私はずた袋を持って歩き出した。今日の草原は無音だ。家畜の鳴き声も風の音もしない。ただ下を見て、糞を探す。
糞ってそこらじゅうに落ちてそうなのに。全然ない。ゲルの周りを軽く歩けばすぐ拾い集めれると思って軽く返事したことを少し後悔した。
私は、モンゴルの遊牧民の研究をしている。遊牧民の家を転々としながら、草原の利用方法や家畜の行動、植物の調査をしている。遊牧民と共に寝起きしながら彼らの生活を知れるのが調査の醍醐味だ。
この遊牧民の家に来て数日経った頃、家の主人に昼食を作る前に糞を集めてきてと頼まれた。この糞とは、牛の乾燥した糞のことで「アラガル」とモンゴル語でいう。「アラガル」は、乾燥させると燃料になり、粘土を混ぜると建築材料となる。「アラガル」はモンゴル人にとってただの糞ではないのだ。
モンゴルの家畜は500種類以上の植物を採食していて、そのうち70〜80%は薬草だそうだ。その排泄物の「アラガル」の煙が微生物や細菌を殺菌するらしく、肉を長期保存する手段がない遊牧民が「アラガル」の煙で肉を燻したりする。疲れ切った人に「アラガル」を焚いてあげると体のエネルギーが回復して、気持ちが落ち着くらしい。幽霊やお化けを退治するのにも使うみたいだ。
「アラガル」を探しに出たものの、ゲルから50mくらい離れてもまだずた袋はいっぱいにならない。風もなくただ照りつける太陽の下で黙々と下を向いて歩いていると、首の後ろがジリジリやけて痛い。誰もいない草原で一人で牛の糞を拾っている自分がなんだか面白く思えて、手に持った糞を見つめフンって笑った。
どれくらい経っただろうか。ようやく袋いっぱいの「アラガル」を持ってゲルに戻る。
「guihamshigtai!!! (すごい!)息子をあげるよ!」
遊牧民のおじさんがにこやかに言った。意味がわからなかった。横に目をやると、その息子は聞こえないふりをしている。息子はまだ中学生だ。そして私は20代半ば。流石に息子はもらえない。不思議そうな顔をしている私を見て、おじさんが話し始めた。
「アラガルはね、お茶を沸かしたり、料理をしたり、ゲルを暖めたり、毎日毎日使うんだよ。この辺りには木々がないから、アラガルは大事な燃料なんだ。遊牧民にとって毎日毎日アラガルを拾ってきたり、集めて乾燥させたりするのは大変な仕事の一つ。それを嫌な顔しないでちゃんとできたから、お前を遊牧民として迎え入れることができる。もし遊牧民と結婚したくなったら息子をあげるよ」
なんだか嬉しかった。一人で調査をしている私を労って言ってくれたのかもしれない。けれど、モンゴルに魅了されて、遊牧民の研究を始めて、彼らの生活を少しでも良くしようと頑張っているのが認められた気がして、嬉しかった。
拾ってきた「アラガル」を火にくべながら、羊のスープをくつくつ煮た。いつも食べているスープと同じはずなのに、すごくおいしく感じた。
牛の糞をうんこだと思えばうんこでしかない。「アラガル」だと思えば、幾通りもの使い方がある。きっと日常の中にも不要だと思って捨ててしまうものでも、自分が知らない使い方ができるのものがたくさんあるのだろう。
リサイクルやリユースの進化版といえる考え方で、アップサイクル(upcycle)というものがある。アップサイクルとは、本来であれば捨てられるはずの廃棄物に、デザインやアイデアといった新たな付加価値を持たせることで、別の新しいものにアップグレードして生まれ変わらせることである。
近年、地域社会・地域経済といった社会の関わり方や、地球や自然環境に対する意識の高まり、SDGsの取り組みなど、個人や企業の意識が変化しつつあり、アップサイクルという概念が注目されるようになっている。
最近のアップサイクル商品はデザイン性も格段に進化していて見逃せない。
「PLASTICITY」
PLASTICITYは、廃棄されたビニール傘をおしゃれで実用的なバッグにアップサイクルすることで、日本のプラスチックゴミ問題に取り組みながら、人々のスタイルを斬新なものにすることを目指している。
傘の形状を生かしたデザインも魅力だが、丈夫で軽く、防水性があるのもうれしいポイント。バッグは、サコッシュやトートバッグ(サイズは2種類)と3つのモデルがあり、デザインも透明なものからカラーモデルまで選べる。いずれも、オンラインストアで購入可能。
10年後になくなるべきブランドと謳っているあたりも魅力的。
「THROWBACK」
THROWBACKは、「捨てられたモノを、社会に再び投げ返す」をコンセプトに、価値を失った、役割を果たした、余ってしまった産業廃棄物の中から可能性を拾い出し、発想と知恵を巡らせることで新たな価値を見立てる。そして、通常の生産システムからは決して生まれることのない新しいプロダクトとして流通させることをめざしている。
高速道路などで使われていた照明をフロアスタンドにしていたり、体育の授業でお馴染みの跳び箱をテーブルとベンチにしたり、今まで見たことのないプロダクト。プロトタイプという表記なので、すぐには手に入らなさそうだが、部屋にあると圧倒的な存在感であることは間違いない。
「Carton」
不要なものから大切なものへ。 捨てられた段ボールを再び大切なものとして使って欲しいとの思いから、世界中で拾った段ボールが財布やミニバッグに生まれ変わらせている。
段ボールで作られているので耐久性が心配になるが、2年は使用できるとのこと。国によって段ボールの質が異なり、日本は紙で作ったものが多く柔らかい質感、アメリカは資材に木材が使われることも多いので頑丈。柄だけでなく、質感で選んでみるのもいいかもしれない。
少しでもゴミや無駄を減らすために、3RのReduce(リデュース)Recycle(リサイクル)Reuse(リユース)の行動をしようとメディアで声高に言われている。実際は、分別めんどくさいな。とか、コンビニでビニール袋に入れて欲しいよ。なんてよく思う。それに、個々人が3Rを少しばかしやったところでどれくらいの効果があるのか不安になることもある。
けれど、環境破壊は影響が可視化されるまでにタイムラグがあるぶん、リスクも大きい長期的な問題。それを知ったうえで個人が自分に合った方法で行動をとるべきだろう。エコアクションは0か100かではないから、無理のない範囲で続けることが大事だ。
これを先ほどのモンゴルの草原の話に置き換えると、息子を貰わないくらいの糞を集めて生きていくのが正解ということになる。
なぜなら頑張りすぎるエコアクション(糞を拾うこと)はおじさんの気分を高揚させて、大事な息子の気持ちも考えずにまるでモノかのように息子を差し出させてしまう(問題が起きる原因になる)こともある。
その点上記のような取り組みは、おしゃれに可愛くできるというだけでエコアクションに対する心持ちを変えてくれる。ちょっとやってみようかなという気にもさせてくれる。
世の中がエコなムーブメントを継続していけるかどうかは、ストイックになり過ぎず楽しむのが大事なのだろう。これからもおしゃれにサステナブルを楽しんでいきたいと思います。
via:あんり(THE FUTURE CLUB)
この記事を書いた人
ONON(オノン)♀
環境のお医者さんを目指す、自然環境・民族の研究者。
遊牧民の行動様式を調査しながら、モンゴルに3年在住してました。
現在、自由な生き方を模索中。
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