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(株)クリーチャーズを退職して(自称)インディーゲームクリエイターになりました

2022年8月31日に株式会社クリーチャーズを退職しました。
入社したのは2005年の春なので17年以上在籍していたことになります。

クリーチャーズについて簡単に説明するとポケモンのカードゲームやデジタルゲーム(ポケモンレンジャー、ポケパーク、名探偵ピカチュウなど)、ポケモンの3DCGモデルを制作している会社です。
ゲーム業界で就職先を探している人がいたらお勧めの会社ですが、以前から挑戦したかったオリジナルのゲームを作る機会が訪れたので、退職してそちらに集中することにしました。

生活や収入の安定を考えると、世界的に人気のIPを持つ会社を辞めてインディーゲームを作るのは賢くない選択だと思います。
とはいえ100%合理的な判断をしても人間はいずれ死ぬので、目標に挑戦する機会とか、好奇心を刺激されることがあったら、人生の定石から外れてみるのも悪くないと考えています。

この記事では主にクリーチャーズで経験して良かったことや面白かったことを書くつもりなので、「辞めるなんて馬鹿だな」と思われるかもしれませんが、世界中に(おそらく)何十万人もいるゲーム開発者の一つの事例として読んでいただければ幸いです。

クリーチャーズに入るまで

クリーチャーズに入社する前の経歴も簡単に振り返ります。

子供の頃からゲームの映像や音楽、世界観の表現に惹かれていて、学生(美術系や工学系ではなく早稲田の文学部でした)の時にゲームや3DCGを雑誌に投稿して賞金や原稿料をもらったことから現在まで続くゲーム開発者の道を歩き始めました。

卒業して最初に就職した会社はコーエーと合併する前のテクモです。入社初日に上司が「うちではゲームを作品ではなく商品と呼びます」と言ったのが印象的でした。
新入社員は本社から電車で30分くらい離れた場所で研修を受けていたのですが、個人で作ったCGを持参するように言われ、見せたら早々に同期と引き離されて開発チームにドナドナされました。
聞いた話によると、開発職として採用されても適性がないと判断された人は遠くの商業施設のゲームコーナーなどに配属されたそうなので、(自分が開発者になれたのは良いですが)企業と従業員の関係については冷めた見方をするようになりました。
テクモが作るゲームは嫌いではなかったですが、モラルや価値観が合わなかったので、ツールの使い方を覚えて1年ほどで転職しました。(昔の話なので現在は全く違う会社になっていると思います)

転職先はコントレイルというSCEI(ソニーコンピュータエンタテイメント)のサテライトカンパニー(開発子会社のSCEI風の呼び方)でした。
当時SCEIのサテライトカンパニーは4社あったのですが、グランツーリスモのポリフォニーを除く3社は独立スタジオとして際立ったビジョンや特徴がなく、入ってから1年も経たない内にホールに従業員が集められて解散が伝えられました。
会社が無くなることに驚きはなかったですが、出社しなくても半年先まで給料が保障されていたのはさすがソニーの関係会社と感心しました。
その後の数ヶ月はCG雑誌の原稿を書いたり、広告用のCGを作ったり、CGアニメを作ってDoGAという団体が主催するコンテストに参加したりして自由にすごしました。

次に入ったのは任天堂と電通の共同出資で設立された、NDキューブという任天堂のセカンドパーティー(開発子会社の任天堂風の呼び方)です。オフィスは秋葉原からも御徒町からも浅草橋からも遠い任天堂浅草橋ビルの横の少し古い銀行を改装した建物でした。
当時のNDキューブは役員が癌で亡くなったり、パチンコやパチスロのROMを開発したり、組織が分裂して大半の人が離脱したりと、社名をエヌディキューブからエヌディーキューブに変えた理由がわからなくもないような混乱があって、3年くらい在籍したところでほぼ解散となりました。(現在は別の体制でコンスタントにゲームを制作しているようです)
最後の数ヶ月はほぼ放任されていたので、ゲームキューブの開発機材やMayaを使って自主的にデモやゲームを作っていました。

振り返ると会社の選択を間違えているようですが、安定した会社で決められた仕事を続けるより、先が読めない状況で開発者として生き残るために、自分からツールや技術を身につけていけたのはむしろ幸運だったと考えています。(何よりメンタルが鍛えられました)

簡単に振り返るつもりだったのに長くなってすみません。

クリーチャーズの求人に応募してみる

クリーチャーズという会社の存在はNDキューブで一緒に働いていた企画の人から聞いて知りました。
ポケモン関係ではなく「ちっちゃいエイリアン」という変わったゲームボーイソフトを作った会社として話に出てきたので、クリーチャーズの求人を見たときは就職したいというよりどんな会社なのか見てみたいという好奇心が先にきました。

ちっちゃいエイリアン。略してちゃいりあん。

履歴書とポートフォリオを送って、面接と実技試験に呼ばれたのが3月3日で、砂を吐かせている間に情が移って食べられなくなった蛤を浜松町で東京湾に逃してから東京駅の八重洲口方面にあったクリーチャーズのオフィスを訪ねたのを今でも覚えています。(同じビルの1階にポケモンセンターの1号店があったのでクリーチャーズの場所は分かりやすかったです)

実技試験は「SoftImage3DかMayaを使って1時間以内に人が歩くモーションを作ってください」という内容でした。
普通に歩くモーションを作っても面白くないので「太った偉そうなおじさんが歩くモーション」を15分くらいで作ったら、後ろで見ていたデザイナーの人に「クオリティの高いものを見せてもらいまして」と言われて、社長(作曲家としてご存知の方が多いかもしれません)面接に進みました。

入社直後の仕事

入社当初はゲーム業界に絶望していたので、クリーチャーズに対しても特に期待はしていませんでした。

当時のクリーチャーズのオフィスは視線を遮るものや雑然と積み上げられているものが多くて、自分の作業環境に篭るのに良さそうでした。
儲かっているはずなのに建物が古くてそれほど広くないのも印象が良かったです。(その後2回引っ越して、引っ越す度に新しく広くなりました)

最初はゲームキューブ用のカイオーガの3Dモデルをポケモンカードのイラスト向けにハイポリゴン化したり、ダイヤモンド・パールの世代で先に公開されていたルカリオをモデリングしたり、レッド・エンタテイメントが企画してクリーチャーズが開発に協力していた『プロジェクトハッカー 覚醒』というゲームのミニゲームやイベントシーンのCGを作ったりしました。
それまでの職場が不安定だったので、適度なペースで目標がわかりやすい仕事は精神に優しかったです。

カイオーガのCGを作ったらスタートデッキをもらえました。

3DCGの仕事以外にゲームの企画を提案する機会が何度かあって、変な企画をいくつか出したことが、数年後に企画やゲームデザインやシナリオの仕事をする流れにつながったような気がします。

SoftImage3DからMayaへポケモンのお引っ越し

ポケモンスタジアムとポケモンコロシアムに登場するポケモンは既に開発終了が決まっていたSoftImage3Dで作られていたので、将来のプロジェクトに向けて大量のデータをMayaへコンバートする必要がありました。(僕はゲームキューブ向けの開発経験やSoftImage3DとMayaの両方でキャラクターモデルやアニメーションを作ったことがあったので、この作業には向いていたようです)

エクスポート用に社内で作られたプラグインがありましたが、多くのモデルは手作業による修正を加えないとモーションを再現できないため、3人くらいで手分けしつつ、赤緑、金銀、ルビー・サファイア世代のポケモンをMayaにコンバートしていきました。
初期のポケモンの3Dモデルは作る人によって独特な骨の組み方やUVの使い方、アニメーションのつけ方がされていてパズルのようでしたが、一体一体に作った人のこだわりが見えて作業をするのは面白かったです。(アンノーンだけは数が多いうえにゴムのように伸び縮みするモーションがつけられていて大変でした)

ポケモンバトルレボリューション

Mayaへの移行が終わるのと前後して、Wiiと同時期に発売されるポケモンバトルレボリューション向けに、ダイヤモンド・パール世代のポケモンのモデルとモーションを制作するプロジェクトがスタートしました。
ゲーム本体はジニアスソノリティさんが開発していたので、プロジェクトの初期に何度かオフィスにお邪魔して仕様の打ち合わせをしました。

写真ではわかりにくいですがWiiのロゴがメタリックになっています。

ポケモンレンジャーと開発時期が重なっていたこともあって社内のデザイナーが足りなかったので、このプロジェクトのために神保町に借りたオフィスで、20人くらいの派遣のデザイナーさんたちとダイヤモンド・パールに登場する107種類+古いモデルからのアップデートが必要な数十種類のポケモンを制作していきました。
クリーチャーズからは僕と、ポケモンスタジアムの頃からポケモンの3Dモデルを作っていた人が常駐して、ディレクションや進行、データの管理を担当しました。

自分でゼロから作業したモデルは多くないのですが、64時代のポケモンは初期のイラストの頭身で作られていたので、ミュウツーやリザードンを新しいイラストに合わせてモデリングし直したりもしました。

ポケモンバトルレボリューション用のモデルの制作以外にも、Wiiで発売されるスマブラ向けに形状の参考用のデータを提供したり、ポケモンバトリオにモデルを提供したりと他の会社とのやりとりが多い1年でした。

E3

ポケモンバトルレボリューションの制作中にE3を初めて見に行く機会がありました。(忙しい時期に何で?と思いますが、もともと予定されていた人が断ったので代わりに行くことになったようです)

2006年はPS3、Xbox360、ニンテンドーWiiが発売された年で、ハリウッドのコダックシアター(アカデミー賞の授賞式会場)でE3開幕の前日に開催されたWiiの発表会も観ることができました。
発表会後のパーティでは(The Black Eyed Peasのミニライブが行われたり)予算を豪華にかけすぎている気もしましたが、会場やE3の任天堂ブースでは既にWiiが大ヒットしそうな空気がありました。

WiiUや3DSが発表された年も含めて4回ほどE3を見に行きましたが、この年が一番強く印象に残っています。

サラリーマンの自由研究

ポケモンバトルレボリューションが発売されて次の大きなプロジェクトに入るまでの間に、毎日が自由研究みたいな期間が2年くらいありました。

本職のプログラマーではないですがコードを書くのは好きなので、社内で降りてきたアイデアを基にデモを作ったり、思いついたアイデアをドキュメントで共有してから実際に動かしたりしていました。

この時期に、任天堂の宮本茂さんがクリーチャーズにいらっしゃる日があって、どういう流れかその頃に作っていた(ゲームではない)デモをお見せすることになり、この機会を逃したら次があるかわからないのでファミコンのドンキーコングを持参してサインをお願いました。

マリオのイラストまで描いてくださいました。

後日、同じデモを京都で岩田聡さんに見ていただく機会もあり、ミドルタワーPCを持って新幹線に乗ったので2重の意味で肩の荷が重かったですが頑張って日帰りで京都へ行ってきました。

ポケパークWii ピカチュウの大冒険

会社員として関わったゲームの中では一番好きなタイトルです。

エンディングで虹をかけたいと提案したらタイトルロゴにも虹がかかりました。

ポケパークというタイトルは期間限定で開催されたポケモンのテーマパークが由来ですが、内容はピカチュウを操作して自然のフィールドを探索したり、ミニゲームに挑戦していくアクションアドベンチャーです。

開発に参加したのは初期のプロトタイプが破棄されて、コーエーから転職してきた高橋さん(後にOcuFesというVRのイベントを主催する桜花一門さんと同一人物)という人が仕様をまとめ直している頃でした。

僕はフィールドの設計(いわゆるレベルデザイン)とギミックの仕様を担当していたのですが、開発終盤になってから急遽ストーリーとメインフローを考えるという仕事が回ってきました。
ポケパークWiiはテーマパークを題材として開発がスタートしたので、複数のフィールドにミニゲームが点在するだけで、全体をつなぐシナリオやプレイヤーを誘導するルートが全く想定されていなかったのです。

今になって振り返ると、任天堂や株式会社ポケモンの担当者の人、ポケモン全般のプロデューサーで株式会社ポケモンの社長でありクリーチャーズの会長でもある石原恒和さんの了解を得ないとプロジェクトが先に進まないという割と重い仕事ですが、面白そうだし出来る気がしたのでやってみることにしました。

2020年に社内クイズに正解してもらった
石原恒和さんによる中国語版ポケモン言えるかな?の書(一部書き損じあり)

1人だと行き詰まりそうなので、社内のライターの人と、メイドインワリオを作ったベテランの開発者の人に話し相手になってもらいながら、既に実装済みのポケモンとの力比べやアトラクションのシステム、作詞家でマルチライターの戸田昭吾さんが考えた「ミュウからポケパークというポケモンたちの遊び場に招待される」という最初の設定を元に、10日くらいで全体の流れをまとめて関係者にプレゼンし、OKをもらいました。

そこからサブシナリオや詳細を決めて個別のイベントに落としていきますが、普通のペースで作業するとクリスマス前の発売に間に合わないので、朝5時台に起きて7時前に出社し、午後10時過ぎに退社するという生活をしていました。
ストーリーが入ったことで開発チーム全体の作業もかなり増えたと思いますが、テキストやスクリプトやグラフィックや映像を担当する人が上手く実装してくれて、童話のような雰囲気のある世界が出来ました。

発売から10年以上経ってもこのゲームを覚えてくれている人がいたようで、2021年のRTA in Japanの種目にも選ばれていました。
アナログスティックではなく十時キーで移動するので慣れないとピカチュウが蛇行して3D酔いしやすいという残念な点もありますが、興味があったらプレイしていただけると幸いです。
(ニコニコ動画やYoutubeの実況動画もありますが、開発に携わった側として「動画を見てください」とは言いにくいので)

ポケパーク2 Beyond the World

ポケパークWiiのスタッフロールではプランナーとしてクレジットされている(ストーリーも兼任したので微妙にスペースを空けてプランナーの最後に表示されているらしい)のですが、ポケパーク2では初めからシナリオの担当になりました。

海外ではWonders Beyondという副題です。

前作より少し大人っぽくしたかったので最初はタイムリープと並行世界を背景にしたSF的なプロットを作っていたのですが、関係者から「わかりにくい」という意見が出て、幾つか作った代案の中から現実世界(ポケパーク)と夢の世界(ウィッシュパーク)を行き来するお話に変更することになりました。
スケジュール的に1度の変更で決めなければならないというプレッシャーはありましたが、世界観とプロットの作成という面白い作業を1つのプロジェクトで2回できたのはお得だった感じがします。

前作では「3D酔い」と「1人プレイ」が子供向けのゲームとしては欠点になっていると感じたので、「カメラの角度を固定して協力プレイできるようにしたい」という提案をしたのですが、そちらは一部のスタッフから反対があって実現しませんでした。

自由にフィールドやストーリーを作れた前作に比べると、ポケパーク2は障壁が多めのプロジェクトでしたが、大人の事情が作品に表れないように、作業をしている間は現実から意識を切り離してゲームの世界に集中しました。
原発事故で中断した時期も含めて1年半に満たないスケジュールで完成し、ほぼ予定通りに発売されて良かったと思う一方で、もっと余裕があればチャレンジできた可能性を考えてしまうタイトルでもあります。

「それぞれのキャラクターが自分の意思で自分らしく生きようとしている」ということを意識して作ったので、もしプレイする機会があったら、冒険の途中で仲間になるミジュマル、ツタージャ、ポカブや、前作からついてきたポッチャマをはじめとするポケモンたちの性格にも注目してみてくれると嬉しいです。

余談ですが、ニコニコの実況動画でポケパーク2のシャンデラのシーンについていた「ギャリーさんギャリーさん」というコメントからIbを知り、プレイしたら想像以上に素晴らしいゲームだったのでびっくりしました。

名探偵ピカチュウ

実写映画が有名ですが、クリーチャーズが開発したゲームが原作です。
初期の企画やプレゼンテーションは近くで見ていましたが、開発には参加する機会がありませんでした。(ポケパーク2のプランナーやプログラマーの大半がこのプロジェクトには入っていなかったと思います)

2011年に発売されたポケパーク2から名探偵ピカチュウのパッケージ版の発売まで6年以上間が空いているので、かなり困難が多いプロジェクトだったのではないかと思います。
ハリウッドで映画化されるのは強力な追い風のようですが、期待や注目を集めることで却って開発が難しくなる面があるのかもしれません。
(ポケパークWiiやポケパーク2も決して最初の計画通りに進んだプロジェクトではないので、何かの要因で開発期間が延びていた可能性を考えると他人事でもない気がします)

名探偵ピカチュウは純粋にプレイヤーとして遊べば楽しいのだろうと思いますが、遊ぶといろいろなことを考えてしまいそうなので未だにプレイできていないタイトルです。(映画は知らない人たちが作っているので気楽に観られました。面白かったです)

2014年の9月に思ったこと

クリーチャーズの話からそれますが、ポケパークWiiやポケパーク2を開発している間、世間ではスマートフォンがすごい勢いで普及していました。

僕もアプリを作りたかったので、ポケパークWiiの開発中にiPhone3GSを買って、忙しい時以外は夜遅くまでObjective-Cと格闘していました。
2013年の秋に個人で作ったArtomatonというアプリを公開すると、Webやテレビ番組で紹介されてたくさんの人にダウンロードしてもらえました。
翌年にはAppleから連絡がきて、次のiOSの機能を活用すればArtomatonがAppStoreでおすすめされるかもしれないという情報をもらいました。
新しい機能を使ったバージョンを作ると、iOS8がリリースされた2014年の9月18日にArtomatonがAppStoreのトップページに掲載されました。

同じ頃、クリーチャーズではaDanzaという音楽に合わせて動物やお相撲さんが踊るアプリが開発されていて、9月18日の夜に表参道交差点の近くのクラブでリリース記念イベントが開催されました。
社員は全員招待されたので、ライブを聴いたり無料のお酒を飲んで9時過ぎに会場を出ると、翌朝発売のiPhone6を買うために表参道のAppleStoreに並ぶ人の列が青山通りまで伸びていました。

とても楽しい一日でしたが、世の中がスマートフォンを中心に動いていることに少しだけ違和感も覚えました。
デジタルゲームが辿ってきた進化の先にはまだ大きな可能性があるはずなのに、ユーザー数や収益といった数の上の成長を追ってアプリのマーケットに特化した開発にシフトすると、本来あったはずの表現としてのゲームの進化が途切れてしまう気がしたのです。(現実にはそうならず、ゲームの世界や体験はより深い方向へも進化するわけですが)

ゲーム業界の流行が自分が望むのと反対の方向へ向ったとしても、作りたいゲームを作ることを目指そうと思った2014年の9月でした。

サラリーマンの自由研究2

名探偵ピカチュウの開発がスタートした頃、プロジェクトに参加していないプランナーやプログラマーは、個人や少人数のチームに分かれて次の企画のプロトタイプを作っていました。

この時期に経験や実力のある人が何人も退職したのですが、WiiUがWiiほど普及していなかったことや、モバイル系のゲーム会社が急成長していたこと、そういった環境の変化によってクリーチャーズのデジタルゲーム開発も先が見えにくい状況になっていたことが影響したのかもしれません。
その中で、VRの活動をしていた桜花一門さんが自分で会社を作って辞めていったのは良い退職理由だなと思いました。

僕自身は、スマートフォンアプリの開発は趣味で間に合っていたし、WiiUのコンセプトを洗練させたらもっと良いハードになる(任天堂はおそらくそうする)と思っていたので、本業をゲーム機からモバイル系の開発に乗り換える必要性は感じませんでした。

そこまで計算していたわけではないので結果的にですが、この時期にいくつもの企画やプロトタイプを作りつつ、Unityの新機能やいろいろなプラットホームを試していけたのは作りたいゲームを作るためのとても良い準備期間になった気がします。

もう一つ、クリーチャーズからインディーゲーム開発の道につながっていたと感じるのは、社内にSteamユーザーや尖ったゲーム好きが多く、日常的にインディーゲームが話題に上っていたことです。
普通の会社で働いていたらインディーゲームを作るために退職するというのはかなり突飛な選択ですが、クリーチャーズでは周りが(遊ぶ側としても作る側としても)インディーゲームに関心を持っていたので、自然に「それじゃあ自分が挑戦してみよう」という考えになったのだと思います。

最近の話

コロナ禍でほぼリモートワークでしたが、退職する前は少し大きめのプロジェクトに参加していました。
自分が担当した部分を完了させてマスターアップを迎える前に退職したので、リリースされたら1ユーザーとして完成版をプレイしたいと思います。

それとは別に、昨年の夏にゲームの企画をプレゼンする機会があって、事前に遊んでくれた人たちがシステムや実装面の工夫を評価してくれたり、シンプルに「楽しい」と言ってくれたことが嬉しかったです。

自由にやりたいことだけやってある日突然退職する……というのも悪いので、最後に仕事らしい仕事をできたのは良かったです。

いつかクリーチャーズを辞めるとしたら面白い理由で

と思っていたのですが、現実にそうなった気がします。

退職予定が決まった数日後に、会社のSlackで「インディーゲームを作るので辞めます」と告知したら、面白がって話を聞きにきてくれる人や「おめでとう」と言ってくれる人が何人もいました。

コロナ禍で最後に飲みに行けなかったのは残念ですが、クリーチャーズの中でも特にお世話になった人たちとは、最終出社日に昔の話や今の話やこれからの話をすることができました。

その時にもらったお土産(お菓子おいしかったです)
大理石のキャンドルホルダーは帰り道で重かったですが部屋はいい香りになりました。

既にクリーチャーズを辞めた人や、前に同じ職場で働いていた人からメールやメッセージをもらえたのも懐かしくて嬉しかったです。

誰かが退職したことで空いた席に新しい人が入り、その人が経験を積んでいつか自分がやりたいことにチャレンジする……そういう循環で世の中が前に進むとしたら、一つの会社に人が留まらずに入れ変わっていくのは良いことのような気がします。

クリーチャーズでもそれ以前に在籍した会社でも、たくさんの個性や才能のある人たちと出会い、それらの人を以ってしても容易ではないゲーム開発の難しさと奥深さを知ることができました。

クリーチャーズと、今までゲーム開発を通じて出会った人たちと、全てのゲームを作る人の未来に幸運が多いことを願っています。

企画書やプレゼンでお世話になったMacBookProたちと、
全社パーティーで当たった社長と行く焼肉券。


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