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どうしても「絶対にやる」とは言えなかった

「今度からちゃんとできる?」
「うん、覚えてたらね」


「絶対守るって約束できる?」
「覚えてたら守るよ」


「絶対忘れないでね」
「いや……覚えてたらやるけど」


ここで
「絶対やるよ」とは
どうしても
言えない子どもでした。

とはいっても

「万が一覚えてたら
   やるかもね」

みたいな適当な気持ちで
「覚えてたら」と言ったのでは
ありません。

気持ちとしては
「絶対に」という人たちと
変わらなかったでしょう。

ただ
どんなに強く
意識しようとも

人間の脳が
絶対に忘れないという保証は
ありません。

保証もできないのに
軽々しく「絶対やる」
と口にするのは

相手に対して
あまりにも不誠実に思えて
仕方がなかったのです。

だから
もし万が一のことがあって
果たせない可能性もある
という事実に嘘をつかず

自分の意思に反さずに
無事覚えていることが
できたのなら
必ず果たそうという
強い意志はある

そういう意味を込めて
「覚えていたら」
と言ったのでした。

☆いや、その意味伝わらないよ──!
と思われた方。
まったくもってその通りです(苦笑)


多くの人から

なんて厄介で
頑固な考え方だろう

とか

事実ではなく
意思を問うているのに
そんなことも
わからないのだろうか

とか

思われそうな
考え方だなあとは
常々思っています。

だから今は
家族との会話以外では

あくまでもやる気の度合いや
意思の強さを示すための言葉として
認識するようにしています。

この考えを人に押しつける
厄介者になるつもりは
ありません……(笑)


ただ

どうしても
心の奥底にある違和感だけは
拭いきれないままでいます。

絶対、必ず、100%
そんなものは
この世に存在しません。
(それを実現するために
   意図的に集めたものでもない
   限りは)

これでもかというほど
手間隙と金を費やした
研究の成果とて
99.9%と言うことが
限界でしょう。

ましてや
不確かな要素の多い
人間の意思など

その時はいくら
やる気・守る気に
満ち満ちていたとしても

何らかのうっかりや
イレギュラーにより
「絶対」を反故にしてしまう可能性は
存在しています。

脳が一時的に
忘れる可能性もあるし

どんなに強い気持ちも
いつ何が原因で
変えられてしまうかは
わからないし

また

病気や事故など
不意に体に不都合が生じれば

いくら強い意思が残っていようと
果たすことはできなくなります。

相手に対して
真摯であればあるほど
誠実であればあるほど

「絶対」なんて
軽々しく言えない。

残る数パーセント
あるいは
零コンマ数パーセント

その可能性を
確実に示さなければならない。

意思を示したいのなら
もっと別の言葉を
使えばいいのに
どうして「絶対」などと
言ってしまうのか、とか。

ちょっと嫌なことが
あっただけで
「最悪」と言うのと
同じくらい

「絶対」を
軽々しく消費している
ではないか、とか。

どうも割り切れず

きっと
そういうことでは
ないのに

「適当だ」「不誠実だ」と
思ってしまう自分がいるのです。

どうにも昔から

言葉の意味を
そのまま受け取って使いたい

という感覚が強く
それに逆らうことが
できません。


何に対しても
真っ直ぐすぎるのか
何なのか

活かしどころがないわけでは
ないけれど

実に厄介な性質を
持ってしまったなあと思います。

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