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自己探究日記

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2022年7月。 私は倒れた。全てがうまくいっている最中、倒れた。 パニック障害だった。 PCを開くと頭痛がして、スマホの通知が鳴ると発作がして、座っているだけで死の妄想が…
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2023年3月の記事一覧

私たちは誰もが一生、「子ども」である

学校を卒業しようが、成人しようが、就職しようが、社会人になろうが、結婚しようが、子どもが…

フトシ
1年前
18

傾聴とは、声の質感に全身を浸すこと

最近、仕事をする時に心がけていることがある。 それは、傾聴。 ただ傾聴と言っても、耳を使…

フトシ
1年前
8

違法は悪ではない

社会にとって合理的だと思われたものは、その社会の中で通念として捉えられる。 そしてそれは…

フトシ
1年前
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「何もしない」難しさ

何もしないって難しくないですか? 私たちは常に、何かしらの方向性を持っているわけですよ。…

フトシ
1年前
7

罪悪感から自由になる方法

罪悪感は私たちを苦しめる罪悪感も含む善悪感情は、親や教師、その他メディアを経由して知らず…

フトシ
1年前
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雨と少年

僕は待っている 雨が止むのを ずっとずっと 待っている ここは寒く 薄暗く 狭く  僕は…

フトシ
1年前
5

フロイトのエス・自我・超自我の考え方がおもろい

バタイユの入門解説本を楽しく読んでいる中で、フロイトの考え方が出てくるのですが、これが結構面白い。 どういう観点から面白いかというと、私の脱枠組みのプロセスに照らし合わせると結構うまく説明ができる。 以下は厳密にフロイト先生の言っていることとズレているかもだけど、私の理解範囲での説明。 まず自我というのは「私は〜」と記述できる、私が私だと思っているもの。 そして超自我は理想・理性・道徳・規範といったものを自我である『私』に押し付けてくるもの。 私たちはこの超自我を観

生きがいは社会の外に置く

最近、社会の内に生きがいを置くことの不毛さと危険さを感じたりする。 なぜならそれは、現代…

フトシ
1年前
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悪を抱きしめろ

恥を晒せ 罪を犯せ 意味を問うな 役に立つな 弱くあれ 逸脱しろ 社会という枠組にまみれ…

フトシ
1年前
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なぜ、悪を抱きしめるのか。

悪を抱きしめるのはなぜか。 社会は善しか追い求めないからである。 善の希求が社会の条件で…

フトシ
1年前
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悪口ノートのススメ

私はぶっ倒れました。 その時にやったことの一つは、汚い言葉で悪口を手帳に書きまくるという…

フトシ
1年前
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