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罪悪感から自由になる方法

罪悪感は私たちを苦しめる

罪悪感も含む善悪感情は、親や教師、その他メディアを経由して知らず知らずのうちに私の中に積み上がっていく。

そして私は、自分の意思と思い込んで自分の中の善悪を振り翳す。

結果私は、私以外の他者が作り上げた善悪感情を自分の中に宿して、反応的に言動する。

ここに、本当の自由はあるのか?私自身は存在しているのか?

体調を壊して倒れてから、私はそんなことに気づいていった。

そこから私は、自分の中の全ての善悪感情を一度疑う事にした。

善悪感情はひどく私の中に絡みついていた。

善悪を外そうとすると私の心と身体は強く反応した。

悪を手放すと恐怖を感じたり、不安を感じたり。

一方、善を手放すと生きる意味を失ったり、虚無の底に落ちて行ったり。

そんな禁断症状を体験しながら私は善悪感情を手放していった。

私は、想像以上に無意識な善悪感情にコントロールされていた。

それは私だけでなく、私の周りの人たちを見ていても思う。

私の個人的な印象だが、女性の方が特に善悪感情が強いように思う。

これは文化的、社会的な背景が影響しているのかもしれない。

もしあなたが罪悪感に悩まされているのなら、善悪感情が原因で自分自身の人生を選択的に生きていっている感覚がないのなら、

私が取り組んできた善悪感情から自由になる方法を試してくれたらと思う。

前提

  • 善悪は、時代、場所、状況、人の捉え方によって変わる

  • 私たちの善悪感情は感情(快、不快)と深く結びついている

  • 私たちが想像する未来には、過去の経験から、期待や恐怖による妄想が必ず混ざる

方法

  1. 自分の中で「善い」もしくは「悪い」と思う事柄を取り上げる(例: 就職、結婚、子どもを持つ事、社会貢献、ズル休み、嘘をつく事、裏切り行為、等)

  2. 取り上げた事柄を「善い」「悪い」という言葉を使わずに、「なぜ善いのか?」「なぜ悪いのか?」を説明する

  3. その際、「誰にとって善い(悪い)のか?」「誰がそれを善い(悪い)と言っている(いた)のか?」「それをした(しなかった)際に起こりうる未来は何なのか?」を俯瞰した視点で解明していく

  4. 起こりうる未来を考える際、「それは本当に起こるのか?」「なぜそう言い切れるのか?」「それ以外の未来が起こる可能性はないのか?」という問いを自分に投げかけ、思い込みを外す

  5. 見えてきた起こりうる未来を自分の中で受け入れることができるのかを考える。受け入れられない場合はその理由を深掘りする(受け入れなくてはいけないわけではない)

  6. このプロセスの中で感情が反応した場合は、その感情をアイメッセージで(「私」を主語にして)言葉にし、感情を解放する

  7. 取り上げた事柄に関して、「それ自体に善し悪しはなく、するもしないも単なる自分の選択だ」と引っ掛かりなく俯瞰した自分で捉えられるようになったら、その善悪感情からは自由になった証拠

  8. 日頃の生活の中で善悪感情が湧き起こったら常にこれを行う

善悪感情から自由になった先の景色

これはあくまで私の個人的な体験だが。

自分を責めることも、誰かを責めることもとにかく減った。

誰かに反感を抱き責めるということは、その人と同じ行動を自分が選択できないことを意味する。

他者を責めることはブーメランのように自分に返ってくる。他者を責めることは自分を責めることだ。

こういった反感や善悪感情は、自分の中に何かしらの引っ掛かりがある証拠だ。

なぜなら私たちが見る世界は私たち自身を映す鏡だから。

私たちに無意識下で影響してくる善悪感情をここまで述べてきた方法で外すことができれば、私たちはより自由になれる。

善悪感情によって、選択しなくてはならない選択も、選択できない選択も、共になくなるからだ。

この自由が、幸せなのか、不幸なのか、そういったことは私は考えない。

むしろ善悪感情から自由になっていくと、そういった二元性すら超えていくことができる。

幸せかどうか。不幸かどうか。究極的にそんなことはどうでもよくなる。

そんなことより、今この瞬間瞬間の自分が自分自身で在れるかどうか。

そうした本質を自分の中に自然と持つことができる。

周りの人が自分に何かしらの影響を与えてきた時、もちろん感情の反応は起こる。

しかし、それを善悪感情として長く自分に影響を及ぼすストーリーとして蓄積せずに、すぐに解放できるようになる。

私は確かに他者と生きている。私は確かに社会の中で生きている。

しかし、他者や社会が私に与える影響のうち、何を選び、何を選ばないかは、私自身の選択なのである。

私はこうして本質で在り続けられる。

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