「何もしない」難しさ
何もしないって難しくないですか?
私たちは常に、何かしらの方向性を持っているわけですよ。
良い方向。
高い方向。
多い方向。
もしそれにアンチするなら、
悪い方向。
低い方向。
少ない方向。
そしてその何かしらの方向に引っ張られていく。
気づけば何かをしてしまうわけです。
それは仕事でも、子育てでも、人生全般でも。
その方向の先に何かが待っている。
そう信じて、その前提を疑うことなく、その力学に巻き込まれて、何かする。何かをし続ける。
私たちは止まることができないわけです。
何もしない。
これがいかに難しいか。
最高の教育は、何もしないことかもしれない。
「何もしない」ということもしない。
その意図すら手放す。あらゆる意図を手放す。
そうすると、そこにあるのは存在のみであり、存在と存在の対話が起こり、相互の存在承認が起こる。
そうすれば、いかなる問題も、方向も、取り組みも、努力も、頑張りも必要でないし、必要でないことを腹落ちする。
何もしない、を極めてみよう。
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