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あなたを天才にするスマートノート(2011/2/25)/岡田斗司夫【読書ノート】

岡田斗司夫が10年以上かけて作り上げたノート術、「スマートノート」のシステム、始め方、続け方を伝授!簡単に始められ、続けられる。楽になる。面白い人になる。「わかる」瞬間が来る。そしてあなたはいつしか「天才」に。

助走 31:40 離陸 34:50 上昇 38:33

自分の日記を採点する」という行為、なにも考えずにまず1週間、試してみてください。すぐに効果があらわれ出します。つまり……点数の低いことを徐々に避けるようになるわけです。これ、さっき書いた「平均点数を上げることを目指さない」と矛盾してるように聞こえますが、違います。無理に楽しいことばかりするんじゃなくて、自然と得点の低かったことは避けるようになる。 それだけのことです。

実は私たちは、毎日脳内で「考える直前」までの作業をしてるんです。
だからワンフレーズ、たとえば「あ〜イヤだ」「あ〜面倒だ」というワンフレーズは心の表面に出てきます。でも「なぜ?」と聞かれると、よくわかんない。あわてて心の中を見ても、なにも残っていません。
「なぜ記録するだけで10キロ落とせたのか?」がポイントではない。
「太る行動を無意識に避けるだけでやせる」のである。 つまり、太っているのは、毎日まいにち「太り続けるための行動」を繰り返している成果なのだ。『レコーディング・ダイエット』の岡田斗司夫が伝授する、新しいノート術! 発想法から、「楽」に、「面白くなる」ための方法まで。


僕はこんなノートをつけてきた
まえがき ノートで「楽に」天才になる
なぜノート術が続かないのか
無理せず楽しく続ける
「天才」の条件とは?


「天才」とは、以下の3つの能力を兼ね備えた人です。
1)発想力
2)表現力
3)論理力
このそれぞれに関して高い能力を持ち、それが強い主体性によって1つの人格の中にまとまっている状態。 これを「天才」と言います。

2つの能力を持った場合
能力3つと2つの差
個々の能力の重要性
なぜ「天才」を目指すのか
同時に3つ鍛える理由

スマートノートの段階(フェーズ)進行

1.5行日記(行動記録)……基礎
2.今日はどんな日?(行動採点)……基礎
3.毎日いち見開き(論理訓練)……論理力・表現力
4.見せてお話(表現訓練)……表現力
5.臨界突破(脳内リンク開始)……発想力
6.知識→教養→見識(統合)……統合的人格
7.世に出る(私によれば世界は)……自覚と覚悟

●第1フェーズ:5行日記をつける!

フェーズの重要性
名詞と動詞で
書いたあとは忘れる
第1フェーズのポイント
【コラム】ノート不要論に答える
私が見つけた”勝ち目”
自信と思いこみのせいでメモが”武器”という確信
【コラム】ノートは手書きで
効率を考えすぎない
発想のリミッターを外す

●第2フェーズ:行動採点をする!

点数を気にしすぎない
”レコダイ”との相似
6段階評価にする理由
多様な評価の必要性
なぜ右側からなのか?
ノートでウツ症状が消えた
ノートに残された”ルール”
第2フェーズのポイント
【コラム】悩みの”ジャグリング”をやめる
その時のカーネギーの行動苦しさの本質に気づく
なまじ頭がいいせいで

●第3フェーズ:論理訓練を始める!

ノートの大きさの重要性
使っているグッズ
「感じている」から「考えている」に

さて、これからは毎日、「感じたこと」「考えたこと」を書きましょう。右ページいっぱいに、です。
なんでもかまいません。連想するままに、あるいは深く考えて、なんでも書いてください。
読んだ本の感想や、テレビで気になった情報を書くのでもかまいません。「面白かったこと」や「腹が立つようなこと」でも、気になったことを書きとめてみてください。「つまらなかった」ことを書くときは、そのつまらなさを忘れないように、いつでも人に話せるように書きましょう。どんなにつまらなかったかを、いつでも思い出せるように具体的に書いてください。
これを毎日繰り返すと、普段の自分が実は「考えている」のではなく、単に「感じている」のだというのがわかります
毎日、自分は「考えている」ような気がしますよね?
でも、いざ書こうと思ったら書けない。

実は私たちは、毎日脳内で「考える直前」までの作業をしてるんです。だからワンフレーズ、たとえば「あ〜イヤだ」「あ〜面倒だ」というワンフレーズは心の表面に出てきます。
でも「なぜ?」と聞かれると、よくわかんない。あわてて心の中を見ても、なにも残っていません。
だから「なんとなく」と答えるしかないんですよ。
本当に考えるためには「あ〜イヤだ」というフレーズが心の中に浮かんできた瞬間に「なにがイヤなんだろう?」「なぜ、いまこう思ったんだろう?」と心の中を探る必要があります。
でも、それをせずにアクビだけしてたら、心の中にずっと霧がかかったような状態になっちゃうんですよね。

「書く」という作業は、そういう「考える一歩手前」の想念を、無理やり固定化させる働きがあります
たとえ「あ〜イヤだ」であっても、ノートの右側に書いてしまいましょう。
すると、落ち着かなくなる。
なぜ自分はイヤだと思ったのか?何がイヤなんだろうか?絶対にこんなふうに考えちゃうんですよ。これが「考える」ということです。

まず「感じる」。次に「感じた理由を考える」。
私たちは感じているだけで、実は考えていない場合が多い。考えを言語化していません。
そのためにも自分の感覚や感情を日本語にする訓練をしてみてください。

「お題」をもとに、考える
上下水平方向に考える

論理その1「なぜ?」→なぜ→なぜ
論理その2「ということは?」→どうなる→どうする
論理その3「時間をさかのぼる」
論理その4「類似と連想」
論理その5「私はいま、こう考える」
ノートは論理の練習場
左ページの書き方(ツッコミ)
「面白い」を重視する理由
ノートに「面白い」を加える方法
第3フェーズのポイント
【コラム】とりあえず『面白くなる』で
ノートによる「見返り」
ムダな効率や資格よりも
【コラム】なぜノートを右側から書くのか?
右と左の違い

●第4フェーズ:見せてお話をしてみよう!

ホワイトボードとしての使用法
相談された時の使い方
ノートが機能するわけ
3つの関係の中立ちとして

1.自分の感情
2.自分の頭脳
3.他者
この3つの世界と「私」とは、コミュニケーション不全に陥りがちです。
「私はなにがしたいのか?」
「なぜ理解できない・思いつかないのだろう」
「どうすればわかってもらえるのか?」
こういう悩みは「頭の中で考えてるだけ」だから起こります。思考のジャグリング中は忙しすぎて、考えが回らないから。

無理なんですよ。ジャガイモや人参をジャグリングしながらカレーは作れません。ジャグリングを一度やめて、テーブルの上に素材を全部のせて(ノートに書き出して)みましょう。それからゆっくり、ジャガイモの皮を剥いて、お湯を沸かし始めればいい。不安になったら途中でレシピ本を見るとか。

強くなりたければ、ビデオを見るのではなく、地道に練習して試合に出るしかない。「手に入れる」とは自分の手で掴むこと。自分の体を使わないと技術は身につきません。同じく、思考は考えるだけではダメです。肉体化しなければ、脳に筋肉はつきません。
スマートノートが鍛えるのは「効率よく正しい情報にたどり着くため」の”賢さ”ではないのです。
そんな”賢さ”は「秀才」の人たちにくれてやりましょう。
私たちが目指すのは「天才」の領域、「私によれば世界はこう語れる」という英知の世界です。

第4フェーズのポイント
【コラム】脳という”魔法の財布”を活かす

スマートノートに限らず、あらゆるノートの目的は、「普段自分が考えていることを失わないため」です。
実は、私たち個人個人は自分で考えているよりも頭がいい。
しかし、せっかく考えたことを忘れたり、途中で考え続けるのをやめてしまいます。そのため、前にこの問題について考えたことがあると思いつつ、また一から考えることになってしまいます。
これが旅行であれば、1日目に10キロ、2日目に5キロ、3日目に10キロ歩いたとして、合計25キロ進んでいるとわかる。地図を見ると自分の達成度もわかります。
でも「考えたこと」は、どこにも地図がありません。
だから「どこまで考えたか」も忘れてしまいます。

ノートに記録しないと、自分がどこまで歩いたかわからなくなる。毎日毎日出発点まで戻ってしまいます。
毎日出発点まで戻っていては、絶対に10キロ以上遠くへは行けません。
確かに頭の中のものを「すべて書き込む」ことはできません。その時点まで戻れるわけではありません。
しかし、自分の考えをノートに書き貯めておくことによって、徐々に伸ばしていくことができます。
だからこそ、自分の考えを失わないために毎日ノートに書いた方がいい。

嫌な話になってしまいますが、私たちが日常で考えたり感じたりしたことは、自分が死んでしまえばすべて終わりになってしまいます。
歴史においても、過去の偉人たちが国を統一したりテレビを発明したといった記録は残るでしょう。でも、彼らが頭の中で考えたことはほとんど残っていません。
夕焼けを見て感動したことや、友人と面白い体験をしたこと。そんな脳内の思い出や、感じたことは、彼らの日記や書簡集などで残っているだけです。
それ以外は、すべて消えてしまいます。
そういったあたりまえの日常的な小さな発見や感動こそノートに残しておいた方がいい
死んで消えてしまうのはあまりにももったいない。
脳は魔法の財布だ、というのが私の考えです。

脳の容量を守るため
【コラム】ノートの効果が現れるまで

●第5フェーズ:脳内リンクが始まる!

アルキメデスも味わった快感

この世界の謎が一つひとつわかり、意味が少しずつ理解できる。それでもわからないことのほうが圧倒的に多く、やがて成長して成人になるころには「わかる」ことをあきらめます。「わかる」ことより「知ってる」ことの方がずっと多くなるから。
初めて経験するキスも、露天風呂の温泉も、デリバリーのピザもカラオケも、経験するよりずっと前から私たちはその存在を「知っている」。
いつの間にか私たちは「わかる」ではなく「知る」ことを求めるようになっている。
知識や情報を求め、検索し、調べ、流し見し、チェックする。
そんな「知る」ためのやり方ばかり続けていると、もっと複合的な、自分の中に取り込んだときに起きていた、あの「わかる」を忘れてしまうんですね。誰にでも得られるような情報を集めても、「わかる」は発生しません。

スマートノートに毎日書く、という行為は「あたりまえかもしれないことを、自分でいちいち言語化する」、つまり自分用にカスタマイズした「ことば」にする、という作業です。
自分で書いた「ことば」は、「知ってる」情報よりほんの少しだけリアルです。具現化とか受肉と言えばいいのかな?
ほんの少しだけ「呪」というか「魂」というか、オーラみたいなものを帯びている。

脳は工場ではない

私たちの脳は工場ではない。原料である知識や情報を搬入して、常に刺激を与えれば一定のアウトプットが得られる、そんな工業製品ではないからです。

脳から”収穫”を得るために(脳内の世界は農業)
効率追求の結果は

同時に、脳は工場ではない。生産ラインを作るに思考プロセスは作れない。だからみんな、身につけたはずの思考法がいつの間にか上手く作動しないことに気づく。
「はは〜ん、耐用年数が過ぎたんだな。どうれ、新型の海外製新思考法でも導入するか」と考える。
違います。「思考法が古くなって作動しない」ではなく、
あなたの脳内農場は「収穫物を促成栽培で作りすぎて、涸れ地になってる」だけの状態なのです。

なぜ”術”なのか

脳の開発は、農業です。だからこそ、私たちは「ムダに書いたページ」を大事にしなくちゃいけない。
ムダに書いたページや検索できないメモ、アイデアの断片や論理的思考の過程。それらの「これまでに書いたノートの中身」は、すべて膨大なノートのバックナンバーとなって、あなたの脳内に蓄積します。
これが豊かな腐葉土を作る。だから「忘れてもいい」「検索なんかしなくてかまわない」のです。
必要なのは「膨大なムダな書き込み」です。
いいアイディアとは、毎日毎日ムダなページを延々と使って、同じようなことを何回も何回も繰り返し考えて、ダメなアイディアを山のように積み上げた上にできあがるものです。
いわば、山のように積み上がったアイディアが腐って頭の中で腐葉土のようになるという状態です。
豊かな土壌は畑を耕してその中に腐葉土を混ぜることによってできあがります。

「収穫の秋」はいつまで続くか
脳内に生じる「構造」
オリジナリティは「左」に

ここで覚えておいて欲しいのが、ノートの左側が重要だということです。
実は、右側の論理の部分を増やしてもあまり意味がない。なぜなら、オリジナリティが広がらないからです。
論理の部分は、「頭が良くなる」という中間段階のために存在します。この部分は、ある程度突き詰めると同じような結論になってしまいます。
頭がいい人同士が話し合っても「わかる」「同じ問題で悩んでる」という話にしかなりません。頭の良さというのは、ある領域に達してしまうと凡庸、つまんないんですよね。
では、面白くなるためにはどうすればいいのか。
これは、論理や分析に対する異論を書いたり、ツッコミをすればいい。自分の組み上げた論理を俯瞰的に見て、もう一段階異なった発想をしてみることです。たとえ妄想だとしても、へんてこで面白い意見が出てくるようになると、これが実りとなっていきます。ツッコミや反論でなくても、「ヘンな実例」でも充分です。理想は前にも書いた「自分の失敗談」です。論理や理屈は、誰が書いても同じようなもの。ならばそれにオリジナリティを与えるのは「自分だけの体験」「笑えるような失敗談」が最強でしょ?

第5フェーズのポイント
【コラム】論理という”執事”の役目
論理執事による懐柔
感情を抑え込むのではなく
【コラム】”大目標”を立てない理由
運や偶然の領域

これは日本ではあまりない事例ですが、ハリウッドではよくある仕事です。
ダイアログ・ライターと言います。セリフを直すだけの仕事ですが、いまではドラマでもクレジットされてます。

夢はスケジュールに入れない

●第6フェーズ:知識から教養、見識へ!

リンクが発展していくと(意見や仮説こそが財産)
「見識」はなにで成り立っているか(知識・人格・教養)

知識:情報を個人のフィルターで取り込んだ状態のもの
人格:取り込んだ知識をどう解釈するのかというスタンス
教養:アカデミックな場所で研究され、確立されている知識体系

ノートで「教養」は育つ?
ロフトプラスワンは「論」になるか
なぜ「見識」が重要か

「知識」……情報を自分の好き嫌いのフィルターで通した状態。
「人格」……知識を解釈する時のスタイル。
「教養」……パースペクティブがついた知識。
つまり、情報を自分なりに集めたのが「知識」。それを解釈するのに「人格」を使い、最終的に自分の中で「教養」としてまとめ上げる。
さて、この「教養」というのは頑張れば誰でも身につけられます。
どんな情報だろうが、ある程度集めて、あとはちょっと賢そうな本を読んだりネットで気の利いた意見を探して言っていれば、なんとなくそれっぽく聞こえる。
だから私たちは、「単なる教養」には興味ないんですね。「専門バカ」と言ったり、「オタク」とバカにしたりする。「教養」だけでは、まだつまんないんですよね。
なぜ「教養」はつまらないのか?
そこに「語り手の顔」が見えないからです。
「見識」とは、この「教養」に「立場」と「判断」を付けたものです。

そう思う根拠=「立場」

「立場」というのは、「日本人の、35歳の、男の俺としては」みたいな立ち位置のことです。
見識にはこのような「俺が」「私が」がないとダメ。
ブログなどで批評的、批判的な文章を読んでも、私は「弱いなー」と感じてしまいます。
その「弱さ」は、「自分の立場がない」ための弱さですね。
「なぜ俺はこう思うのか」という、”俺”の根拠がない。「俺はこんな奴だから」「自分は元々こんな奴だったから」
という表明です。
この「俺」が出せない意見というのは、やはり単なる意見であり「自分の判断を預けられないな」と思います。
私は「ネットの意見は匿名だから信じられない」という話をしているのではありません。「立場のある意見とは、扱いが違ってあたりまえ」という話をしているんです。
というのも、立場があると、あたりまえだけど「言えること」と「言えないこと」があるんですよ。
たとえば東芝に勤めていたら、東芝の商品に関して正直なことが言えない。これはあたりまえです。東芝に勤めていても、東芝に関して感じていることを包み隠さずバンバン言う人間は、信用できません。それは勇気があるのではなく、単に愚かな人です。部下や仲間に対して配慮できない、自分だけが目立てばいいと考えてる、愚か者です。東芝に勤めているから、全部言えないんだけど、でもこれは言わなきゃいけない、と思う。自分の立場を考えて、自分の発言を悩んで、そして工夫して出す。ここに責任感や説得力が発生します。その立場がない、足場がない人間の意見は、どんなに聞いても、やはり「ただの意見」です。

主体の重要性
【コラム】スケジュールはどうする?
検索できるようにする方法
【コラム】”師匠”から学ぶ方法
信者にならないとダメ
まず、全部写す
この本で破ったタブー
最低限の目標設定

●第7フェーズ:ついに世に出る!(私によれば世界は)

ふだん自分が考えていることを書いても、アクセスカウンターは上がっていかない。
あたりまえのことが起こったときに、面白いことが書けないから。知識を見識の段階までもっていけないからです。
見識の状態までもっていくと、紅白歌合戦を見ただけでも、単にあんドーナツ食べただけでも、焼肉を食べ過ぎただけでも、面白く書けます。
あの、なんでもないことを書いてるブログが面白い人、いますよね?
あれは「文章が上手い」だけじゃないんです。「ちゃんとした見識がある」から、普通のことを書いてても面白いんですよね。
ノートをつけ始めて、意見や仮説を書くようになる。それが脳内でリンクして、何を見ても人と違ったことを感じたり考えたりするようになってきたら、デビューのチャンスです。

「いきなりデビュー」しない理由
第7フェーズに至る過程
3つの能力を収める器
「主体」と「世界」の関わり
私たちの、3つの世界
「3つ目の世界」を得る方法




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