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夢を操る:マレー・セノイ族に会いに行く (1996/11/01)/大泉実成【読書ノート】

自由自在に夢コントロール、その方法はあるのか! 「夢見の達人」を訪ねて、その秘訣をさぐる。怖い夢や悪い夢に悩む人へ――怖い夢や悪い夢で苦しんでいる人は、実に多い、もしそんな夢を、自由自在にコントロールすることができるのだとしたら……。マレー奥地に夢見の達人がいると聞いた著者は、彼らに会いに、大旅行を企てる。そして、そこで学んだものは、簡単な方法だった。はたして、このやり方が、万人にとっての特効薬なのだろうか? <『マレー獏は悪夢を見ない』(1994/7/1)改題作品

セノイ族の夢の見方・その原則

危険に立ち向かいそれに打ち勝つ:危険なイメージも、自分自身の一部だ。
夢の中では快楽を目指して進みなさい(性的な場面も含む):きわどい内容であっても、それはあなたの一部があなたと結びつくことを強く望んでいるからだ。臆せずに受け入れよう。
プレゼントや宝物をもらったり、ねだったり、みつけたりしなさい:あなた自身の中に秘されている何かいいものの探求だ。
夢の中の友達を得ること:あなたの分身といってよい。あなたを、夢の中で助け、導くイメージ。
夢の中で得たよいもの(宝、食べ物など)は、夢の友達と分け合いなさい。:夢の中の諸要素と仲良くしなさい。かわいがりなさい。そして自分自身をより統合されたものにしなさい。

夢を旅する:セノイ族の教えと私の変容(大泉氏の回想)

私は、大学の後輩、馬場君が作成した二冊のパンフレットを通じて、セノイ族の夢の技法に出会いました。これらの文書は、私の潜在意識との対話の扉を開いたのです。パンフレットは、「夢とは自分の心をまとめ上げたもの」として、夢が単なる幻ではなく、自己理解の手段であることを説いていました。私は、潜在意識に抑え込んでいた「傷」を、夢の中の敵対者として見ていました。しかし、これらの「傷」が恐竜として現れ、私に襲い掛かる夢を見るようになりました。

夢は私たち自身の創造物であり、シナリオライター、監督、役者であると同時に、観客でもあるとパンフレットは説明しています。この考え方は、私にとって、自分自身のより深い部分、つまり「自分のじぶん(myself of mine)」に迫る新しい世界を発見するきっかけとなりました。

セノイ族の夢の扱い方についての詳細な記述もありました。彼らは夢を通じて豊かな心を育み、社会的、人間的関係を築いています。夢を語ることで子供の頃から奨励され、その夢に基づいた社会的行動をとることが一般的です。この方法は、彼らのコミュニティにおける争いや社会からはみ出した者がいないという驚くべき特徴をもたらしています。

セノイ族は悪夢も、自分の一部として統合する必要があると考えています。「悪夢でも例外ではない」という彼らの見解は、私にとって新たな視点を提供しました。悪夢は、自分の内部にある問題に立ち向かい、それを克服する機会なのです。

この考えに触発され、私は夢日記をつけ始めました。夢の中での戦いや競争、そしてその中での「子供」のような無邪気さが、私の夢のパターンに現れていました。夢のシミュレーションを通じて、私は自己制約を越え、より積極的な行動を取るようになりました。

例えば、ある夜の夢で、私は都内の街角を歩いていましたが、突然「これは夢だ」と気づき、セノイの教えに従って積極的に行動しました。大阪弁を使って飛ぶことに挑戦し、夢の中で自由に飛び回ることができました。また、別の夢では、肉食恐竜に追われる中で、「危険に立ち向かいそれに打ち勝て」というセノイの教えを思い出し、恐竜を克服しました。

セノイ族の夢技法を学んでから、私の夢は変わりました。消極的な夢や、やられっぱなしの悪夢が減り、心の持ちようが変わったことで、精神衛生上、非常に快適になりました。潜在意識内の「トラウマ」がほどけ、身心のバランスが改善されました。

そして、私はセノイ族の夢技法についてさらに学びたいと考え、取材旅行の提案をしました。しかし、事前調査でセノイ族の夢の技法が事実でないとか、伝統が消滅している可能性があるという情報が入ってきました。

セノイ族の夢の技法は、私の心の旅において重要な役割を果たしました。夢を通じて、私は自己の全体性を回復し、自分自身と和解する道を見出しました。夢は、私たちが自己を発見し、成長するための貴重な機会なのです。




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