現代のイエス研究とブッダ論は興味深い共通点がある。キリスト教の歴史を見ると、戦争や暴力を容認してきた一面がある。たとえば、宗教改革者マルティン・ルターは「殺戮し強奪し放火することがキリスト教的であり愛の行為だ」と述べていた。しかし、二度の世界大戦後、イエスの教えが非暴力と平和主義に基づいていることが明らかになった。イエスは貧農の出身で、階級や差別を否定する平等思想の体現者だった。また、聖書には女性蔑視の記述があるが、キリスト信仰が真のフェミニズム思想の根拠になり得ることも指摘されている。
これらの発見には賛否がある。イエスが平等主義者であったとの見方には、現代の民主主義を時代錯誤的にイエスの時代に当てはめているとの批判がある。聖書をフェミニズムの根拠とする考え方に対しても、「聖書にはフェミニズムに反する部分もある」との指摘がある。
本書ではこれらの研究成果の是非については議論しないが、イエスやブッダを「理性的現代人」として捉え直す試みは、近現代の仏教研究とも共通する。ブッダやイエスの時代には現代的な平等主義やフェミニズムは存在しなかった。彼らをこれらの価値観の先駆者と見なすのは、歴史の問題ではなく、解釈学の問題であると認識する必要がある。
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