【まとめ】現代諸学と仏法/Ⅱ四句分別という論法④/4因明と四句分別との変遷【石田次男先生】
[出典:http://imachannobennkyou.web.fc2.com/19.htm]
4因明と四句分別との変遷
(1)竜樹以前と竜樹以後――古因明から新因明へ
四句分別と因明の関係
この記事では、インドの論理学である「四句分別」と「因明」の関係について説明されています。四句分別は西洋の論理学や弁証法との比較を経て研究されてきましたが、因明とその関連性についてはまだ十分に探究されていないと述べられています。因明は推理論に重きを置き、判断論(命題論)が不足していると指摘されています。
判断論の重要性
「判断論が欠けている」ということは、因明では記号論理学のような洗練された論理体系を生み出すことができないということを意味しています。命題論の欠如は、合理的思考の発展を妨げるとされています。
因明の歴史と発展
因明には、古因明と新因明の二つの段階があります。竜樹の時代は古因明であり、約250年後に陳那によって新因明が始まりました。古因明は仏様以前から存在し、段階的に発展してきましたが、類推法に基づく論理学的価値は限られていたとされています。新因明は演繹法に基づき、現代のチベットのラマ教徒にとっては必須の学問です。
因明の特徴と限界
因明は、人間の体験に即した論理を重視しており、現代の記号論理学のような抽象化や純粋形式化には適していませんでした。しかし、因明は仏法の理解や法門流布の手段として用いられてきました。新因明も古因明も形式化されており、仏法における論理学の一部として位置づけられています。
因明の現代的評価
現代では、記号論理学の台頭により、新因明は必要性が低くなっています。しかし、仏教の論理学研究において、陳那の役割は重要で、彼の論理学的アプローチは仏道修行と矛盾していなかったと評価されています。
この記事は、インドの論理学としての因明の発展と変化、特に新因明と古因明の違いについて詳しく説明しています。また、因明の限界と現代におけるその評価にも触れています。
(2)古因明は”ポロ”い――仮言三段論法の類推推理
古因明の概要と特徴
古因明の基本構造
この記事では、古因明の推理方法とその特徴を説明しています。古因明は「五分作法」と呼ばれる推理式を用いており、これには五つの要素(宗・因・喩・合・結)が含まれます。これは因明独特の推理方法です。最も古い記録として、チャラカによる内科医学書『チャラカ本集』があり、そこにも五分作法が記載されています。
新因明との違い
新因明では、古因明の五分作法から「合・結」を除外し、「宗・因・喩」のみを用いる「三支作法」に変更されました。古因明と新因明はどちらも三段論法に基づいていますが、古因明は仮言三段論法のように見えるが実際は定言三段論法であり、新因明はその逆です。
古因明の推理式の性質
推理式として、古因明は類推推理、新因明は演繹推理と特徴付けられます。古因明は複合仮言三段論法に基づく類推推理式であり、新因明は定言三段論法の演繹推理式です。
因明の役割と限界
因明は論理学の一部であり、仏法そのものではないとされています。真理の探求には役立ちますが、反省や自己認識には直接貢献しません。因明の推理は現量(直接知覚)と比量(推理による知識)に基づいています。
古因明の具体的な適用
古因明の五分作法は、宗(主張)、因(根拠)、喩(実例)、合(応用)、結(結論)の順に進むことが説明されています。しかし、宗と結は同じ内容を繰り返しているため、実際の内容は四分作法とも言えます。この方法は、直感的には説得力があるが、実際には単純な類推に過ぎず、論理的な弱点があると指摘されています。
古因明の評価
古因明は、一見すると論理的に見えますが、実際には類推に基づく仮言三段論法であり、その推理は必ずしも正確ではありません。このような古因明の特性が、新因明への発展の必要性を生み出したとされています。
(3)新因明は定言三段論法の演繹法
古因明から新因明への進化
古因明の時代とその限界
古因明は、初期仏教の上座部によって研究され、その後唯識派に引き継がれました。古因明の研究は、仏教徒の間で比量に基づく認識の傾向を強め、有部が「我空法有」という有論に傾く原因となりました。中観派は古因明にあまり重きを置かず、四句分別に基づく空観を重視していました。
新因明の誕生
新因明は陳那によって創始され、「三支作法」の演繹法として確立されました。古因明が幅広いが証明力に乏しかったのに対し、新因明はより厳密な論理学として発展しました。新因明では、古因明の「合・結」が排除され、「宗・因・喩」の三要素によって構成されます。
新因明の特徴と演繹法
新因明は、アリストテレスの定言三段論法を逆順に用いた形式を取ります。これにより、古因明の「喩」が実例から全称判断へと変化し、より厳密な論理的構造を持つようになりました。新因明の進化は、仏教論理学の合理主義的傾向の強化を表しています。
新因明の認識論とその影響
新因明の認識論は、現量と比量の二量に整理され、その他の多くの量概念が排除されました。これは陳那の主要な貢献の一つであり、仏教論理学における合理主義と演繹法の明確化を促進しました。また、陳那以後、仏教論理学はインドで途絶え、新因明の学説は正理学派やジャイナ教徒によって引き継がれました。
新因明の限界と仏法への応用
新因明は、形式論理学としての演繹法であり、思考の適正を保証するものの、新たな発見や創造には不向きです。仏法では、演繹法は解脱への道を説明する手段に過ぎず、本質的な解脱には直接貢献しないとされています。また、仏教論理学は、世法から勝義(仏法)へ向かう過程として捉えられ、西洋論理学とはその目的と関心の点で異なります。
(4)解脱用の四句分別と『法華経』
四句分別と『法華経』の関係
インドの複雑な思考文化
この文章では、インドにおける四句分別と因明の使用についての歴史的背景を述べています。インド人が哲学や宗教の分野で優れた思考素質を持っていたことが指摘されています。特に、仏教の創始者である釈迦がモンゴロイドまたはその混血だった可能性や、アーリア人の分析的な性質が、この地域の思考文化の発展に影響を与えたとされています。
四句分別と因明の相補的関係
四句分別と因明は、仏法の中で互いに補完し合いながら発展してきたとされています。特に、四句分別の使用は、悟りへの道や実践的な修行と密接に関連しているのに対して、因明はより客観的な論理性を重視しています。新因明の時代にも、四句分別の重要性は衰えず、仏教徒にとって基本的な論法として扱われていたと指摘されています。
『法華経』における四句分別の使用
『法華経』では、四句分別は直接的にはあまり使われていませんが、経文の中で随所に見られることが説明されています。『法華経』は他の多くの経典を総括する特殊な位置を占めており、理論的な議論よりも実践的な指針としての役割に重点を置いています。『法華経』で特に理論的な内容が取り上げられるのは「方便品」が主であり、他の部分では主に実践的な指導や示唆が行われています。それにもかかわらず、四句分別は「安楽行品」や「寿量品」などで使用されており、仏法の理解を深めるための重要な手段として機能しているとされています。
(5)『法華経』の特殊性――大綱と網目
『法華経』の独特な位置と仏教界の見解
『法華経』の特別な地位
『法華経』は仏教経典の中で特別な地位を占めているとされ、この見解は一部の仏教学者や宗派には受け入れがたいものです。特に天台宗では『法華経』を高く評価し、一切経の総括として位置付けていますが、一般の仏教学ではこのような見方に懐疑的な態度を取ることが多いです。
仏教学界と宗派間の相違
仏教学界では『法華経』の特殊性を認めることに抵抗があり、多くの仏教宗派はそれぞれの経典の特性や教えに基づいて独自の解釈を持っています。過去の日本や中国の仏教では、宗派という概念が現在のように固定化されておらず、むしろ学派や研究グループのような性質を持っていました。このため、各宗派が独自の解釈を持つようになり、結果的に仏教学界の「一切経平等説」は多くの宗派に支持される形となっています。
『法華経』の解釈とその影響
『法華経』の特殊性を認めると、他の経典との関係が変わり、仏教の解釈に影響を及ぼす可能性があります。『法華経』は、他の経典と密接に関連し、仏教全体の理解に必要な経文とされています。『法華経』が諸経典を総括し、全体としての仏教教義を形成するという見方は、仏教学界や宗派間の解釈の違いによって異なる反応を引き起こします。
『法華経』と他の経典の関係
天台宗では、『法華経』が仏教の大綱を表しており、他の経典はこれを補完する役割を持っていると見なしています。これにより、『法華経』は「一実」としての地位を占め、他の経典と切り離して理解することはできないとされています。この相互依存の関係は、仏教経典全体の理解において重要であり、個々の経典がそれぞれの役割を果たすことが仏教教義の全体的な理解に不可欠です。
(6)爾前の経は『法華経』を離れず
『法華経』と他の経典の関連性
一切経との脈絡の重要性
『法華経』と他の仏教経典との関係は、一つの整合性を持つ脈絡の中で理解されるべきです。一人の哲学者の思想が時間を通じて変化するように、釈尊による教えも異なる経典を通じて進化し、統合されていると考えることができます。この脈絡の理解は、各経典の位置付けと解釈に重要な影響を与えます。
『法華経』の位置付け
『法華経』は仏教経典の中で独特の位置を占めており、天台宗などではこれを一切経の総括と見なしています。この経典は他の経典と切り離すことなく、全体の中でその重要性を理解する必要があります。『法華経』は、仏教の教えの核心を表し、他の経典はこれを補完する役割を担っているとされます。
序分、正宗分、流通分の概念
仏教経典は、序分(予備知識と準備段階)、正宗分(教えの核心部分)、流通分(教えを後世まで伝える部分)という三段構成を持つとされています。『法華経』においては、天台宗の解釈によれば、『無量義経』と序品が序分、方便品から分別功徳品までが正宗分、それ以降が流通分に相当します。
一切経と『法華経』の融合
一切経は、仏教教義の全体を形成する一つの大きな流れの中で位置付けられます。この中で、『華厳経』や『阿含経』から『般若経』までが序分、『無量義経』や『法華経』が正宗分、『涅槃経』が流通分としての役割を果たします。この構造を認めない学者もいますが、全経典にわたる一貫した脈絡が存在するという観点は重要です。
根源的な悟りと『法華経』
仏教の教えの根源的な悟りは、『法華経』の寿量品に示されているとされ、これは全ての仏教経典の根幹をなすものとされています。この悟りは、仏法の深遠な真理を表しており、『法華経』はこの真理を最も明確に示している経典とされています。
(7)一代説法本来一経
『法華経』と一切経の統合的理解
一切経の統一性と『法華経』の役割
『法華経』は一切経の中で特別な位置を占め、全ての仏教経典が形成する一つの統一された体系の中心に位置づけられます。この観点から、一切経は釈尊の教え全体を網羅する「一経」として理解され、『法華経』はその核心を表しているとされます。
経典の三段構成と役割分担
仏教経典は通常、序分(導入部)、正宗分(核心教義)、流通分(教えの普及部)の三段構成を持っています。各経典はこの三段構成の中で特定の役割を担い、仏教教義全体の理解に貢献しています。『法華経』はこの中で「正宗分」としての重要な役割を果たし、他の経典はこれを補完する形で配置されます。
仏教経典の脈絡とその重要性
各経典間には明確な脈絡が存在し、それぞれが仏教教義の異なる側面を照らし出しています。例えば、『阿含経』が仏教の基本的な教えを示し、『華厳経』や『般若経』がより深い教義を明らかにし、『法華経』がこれらを総合し、全体の中核を成します。この脈絡を無視すると、各経典の真の価値や意義を理解することは難しくなります。
『法華経』の包括性と一切経の統合
『法華経』の教えは、他の経典の教えと深く連動しており、一切経の教義を包括的に理解するための鍵となります。『法華経』は他の経典を離れず、他の経典も『法華経』を離れないという関係性が、仏教教義の全体像を理解する上で重要です。また、一切経が一つの大きな法理体系を形成し、仏教の深遠な真理を体系的に示していると理解されます。
(8)序・正・流通・三段の脈絡と役割
『法華経』の役割と一切経の統一性
一切経の三段構造と『法華経』の位置づけ
一切経が持つ序分、正宗分、流通分の三段構造は、仏教経典の脈絡と役割分担を示しています。この構造において、『法華経』は核心部分である正宗分に位置づけられ、他の経典はこれを補完する形で配置されています。『法華経』が仏教経典全体の中心的な役割を果たすことにより、大乗非仏説の議論は根拠を失うことになります。
諸経と『法華経』の関係性
『法華経』は、他の経典と深く関連しており、一切経の統一性を支える重要な要素です。各経典はそれぞれ完結した体系を持ちながらも、『法華経』へと繋がる準備段階としての役割を果たしています。これは、教育システムにおける小学校から大学院までの段階的な教育過程に似ており、各段階が次の段階への準備を行うように、諸経典も『法華経』へと導くための準備過程を形成しています。
『法華経』と諸経の相互依存
『法華経』は、仏教教義の全体像を理解する上での鍵を提供し、他の経典は『法華経』の教えを具体化し、補完する役割を果たしています。この相互依存の関係は、経典間の一貫性と統一性を保証すると同時に、『法華経』を中心とした仏教経典の体系を強化します。
経典研究における偏りの是正
現代の仏教学界において『法華経』の研究が不足しているとの指摘がありますが、『法華経』が持つ重要性を理解することで、経典研究の偏りを是正し、より全面的な仏教理解に寄与することが可能になります。『法華経』の深遠な教えが諸経典の理解を豊かにし、仏教の全体像をより明確にすることが期待されます。
(9)天台の四句全面受用と日蓮大聖人
天台宗と日蓮宗における四句分別の使用
天台宗の四句分別の活用
天台宗では、因明の手法を直接使うことは少なく、代わりに四句分別を広く活用しています。天台自身が『法華経』の解釈において、四句分別に基づいて説明を行っています。このアプローチは、『法華経』の法門理解において特に顕著で、四句分別を用いることで深い洞察を達成しています。
円融三諦の理解と四句分別
円融三諦の概念は、四句分別の理解を深める上で重要です。これは四句分別の高度な応用形と見なされ、天台宗において四句分別がどのように使われるかをよく示しています。天台は『法華経』の中でも特に四句分別を駆使しており、『玄・文・止観』の論文形式でもその使用が顕著です。
日蓮宗における四句分別の位置づけ
日蓮大聖人は、四句分別について特に言及していないようですが、四句分別の重要性を認識していたと考えられます。ただし、日蓮大聖人の場合、四句分別を用いた具体的な説明はあまり見られません。これは、日蓮大聖人が主に『法華経』の解釈を通して四句分別を引き継いでいるためと思われます。日蓮大聖人の教えでは、四句分別よりも『法華経』の教えに焦点が当てられています。
四句分別の具体的応用例
日蓮大聖人は四句分別を直接用いることは少ないですが、その教えは四句分別の理解に深く根ざしています。例えば、日寛上人への手紙において四句分別に言及している部分があり、その際には四句分別を応用して説明が行われています。しかし、これは例外的なケースであり、日蓮大聖人の教えの中では四句分別が直接的に前面に出ることは少ないです。
(10)転迷開悟は否定(反省)から肯定(自覚)へ
転迷開悟と四句分別の役割
四句分別の特性と仏法における適用
四句分別は、仏法において古くから使われる伝統的な論法です。この論法は、単なる肯定や否定という概念を超えて、「当分」と「跨節」という面で理解されます。当分は、状況をそのまま受け入れることを意味し、跨節は、その状況を深く反省して次の段階へ進むことを意味します。四句分別では、肯定された事柄を全面的に否定し、深い反省に基づいて高次の自覚へと進むことが特徴です。
演繹法と四句分別の違い
演繹法と比較して、四句分別はより縦型のアプローチを取ります。演繹法は事態を横に並べて二者択一の判断を行いますが、四句分別では事態を縦に掘り下げ、肯定から否定、そして再び肯定へと進む過程を経ています。
四句分別の実用例
『涅槃経』は四句分別を頻繁に使用しており、竜樹の『中論』では、事理法の諸相を横に並べて縦型の四句論法で論破する方法を取っています。天台の場合、四句分別は転迷開悟を目指す解明の論法として、特に重要な役割を果たしています。これは、法の浅深を段階的に掘り下げていく手法として用いられています。
分別と無分別の関係
分別と無分別の関係において、分別は仏法の化導面で使用されます。しかし、最終的には分別を超えた無分別の領域へ入ることが仏法の目指すところです。無分別の領域は、無上智慧の無分別智と実践が一体化した状態を指します。
四句分別の適用の限界
四句分別は、仏教の教えの中で重要な役割を果たしていますが、最終的には仏教の無分別においては仮設に過ぎません。仏界から見れば、四句分別は究極的には仮設であり、真の無分別の領域には到達しません。この理解は、仏教における分別と無分別の深い理解に必要です。
(11)無分別を分別表現するオルガノン
円融三諦論と四句分別
円融三諦論:無分別の理論化
円融三諦論は、無分別の概念を分別の形式で表現する理論です。この理論の根底は、竜樹によって確立され、天台がこれを完全に形式化しました。釈尊の法が元々この考えを含んでいたため、竜樹と天台によってその真髄が明らかにされました。
四句分別の使用:竜樹と天台のアプローチ
竜樹は『中論』で四句分別を主に論破の手段として使用しました。一方、天台は『止観』で解行のツールとして四句分別を用い、その使用法において進化を遂げました。天台は三諦の理論を明示するために縦型四句分別を効果的に使用し、彼の手法は他の学者と比べて一歩先を行くものでした。
四句分別の暗黙の了解と使用規範
四句分別の使用には、暗黙の了解が存在します。通常は推理や叙述の際に横型四句分別が使われます。しかし、悟りを得た後でなければ、縦型四句分別を自由に使用することはできません。四句分別は両刃の剣のようなもので、乱用すると誤った結果を招くため、慎重な使用が求められます。実際、過去の仏教徒は四句分別を適切に使用し、無分別の理解を深めるためにこれを用いました。
言語道断・心行所滅の理解
四句分別は、無分別の状態を表現するためのツールです。しかし、これを誤解し無意味や虚無と捉えてしまうことは避けるべきです。無分別の状態では、有無の区別が消滅し、直接把握される真実が明らかになります。これは、一人称非合理命題の論理学的表現として理解されるべきです。
六師外道と現代の誤解
六師外道の教えは、本質論や実体論に基づくものでした。これに対し、仏教では反省自覚法を重視します。今日、仏法を誤解する現代の六師外道は、理論で仏教を解釈しようとする傾向にあります。このようなアプローチは、仏教の本質とは相容れないものです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?