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戦争の得意な男がモテるからいつまでも戦争が終わらない(閃光のハサウェイ感想)

 とてもすごく前略、友人に勧められて映画『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』を観てきた。友人への返礼として感想を書いておく。


 先に私のガンダム知識の前提を述べておく。
 私の履修記録は『機動戦士ガンダム00(ダブルオー)』『同2ndシーズン』『同劇場版』、以上である。

 『00』が西暦ベースの作品で、他作品の多くがいわゆる「宇宙世紀」なる暦で展開されていることだけは知識として知っている。
 『00』は世代的なタイミングでたまたまきちんと放映当時に観たのだが、しっかり一喜一憂しているし、ピンクのカーディガンを買いに走り、狙い撃つところでは枯れるほど泣いた。先日まさかの舞台版も配信を拝見し、結末を知った上での件のシーンは「狙い撃つんじゃない!!」と叫び出したくなることを痛感している。いくつになっても、死んだ男の死にざまは忘れないものだ。

 ほか、ガンダムについて知っていることといったら、
・アムロとシャアの間には筆舌に尽くしがたい感情が存在する
・ハサウェイさんは「二度ぶった人」の息子さんらしい(先月SNSに話題が流れてきて知った)
 ……これくらいである。シャアが赤くて3倍速いことと、母になってほしい女がいたことだけ、ほぼネットミームとして知っている状態だ。知らないよりいっそヒドイかもしれない。

 ガンダムではないが、ほかロボット的なものに乗る作品といったらまともに見たのはエヴァとコードギアスだけである。エヴァがロボットなのかどうか議論があることは知っているので勘弁してほしい、ロボット門外漢の人間で申し訳ない。

 門外漢の人間の感想でも、中には「他人の目、新鮮な感覚からの感想美味しい!」と思ってくださる方がいるかもしれない。私は、20年連載が続いて15年舞台化し続けている某作品のファンだが、いつだって初見の誰かの感想を求めている。新鮮な目線からの解釈を得られるのは幸いなことだ。
 きっとガンダムのファン層の方の中にもそういう方がいらっしゃるはず……と思い、友人向けに書いていたものだったが、note公開に踏み切ってみる。

はじめに

 留意事項のようなものばかり続く。
 これは閃光のハサウェイを「男と男と女のミステリ」的に受け取った人間の感想である。
 機体の区別が色でしか付けられない、戦闘シーンに対する解像度の低い人間の感想のため、この点、作品ファンの方には申し訳ない。申し訳ないと思うのも本当だが、「私がこのように受け取った」は私だけのものなので良し悪しや優劣ではないと思うのも本当である。

 ところで、『00』ではもう少し見分けがついたのにな、と思って初めて、私が観たことのある西暦の宇宙は機体が色鮮やかだったと気が付いた。
 そしてまた、宇宙世紀の夜空は暗いじゃないか! ということにも気が付いた。
 夜間の戦闘の描写はとても美しく、機体の区別が付かないために悲鳴でしか戦局が分からなくて申し訳ないのだけれど、都市の明かりの煌めくさまが美しかったのは確かだった。市街地でモビルスーツ戦をやるやつらはクソッタレである。それだけは分かる。民間人を巻き込むな。

嗚呼、ギギ・アンダルシア。

 劇場を出てまず思ったことは、開始5分で思ったことと同じだった。

 これって「女に翻弄される男の話」じゃないか? ちがう?

 私も女性として社会生活を送っているのだが、しかし、ギギ・アンダルシアに翻弄され続けてしまった。
 ケネス大佐への切り込むような口ぶりはさながら抜き身の刀のようだし、理論立てた才女かと思えば、もっと直感的でカルメンのように自由。どこか意図を含んでも見えて、なにも意図しない、ただの無邪気であるようにも見える。
 一瞬ごとに興味の対象が移り変わっているような気まぐれさ、本気で空襲を怖がる一方、終わればまるであっけらかんとして「怖かったね」とは。
 なにより、「瞬きの後にはどんな顔をしているか分からない」女に対しての、CV上田麗奈といったら怪演というほかない。すばらしい。一人の女の中に揺らめくまるで別人のような表情の醸し出し方たるや、ずっと画面が美しいことも相まって本当にすばらしい。
 翻弄されずにはいられない。

 と同時に、同室だがギギへの態度が淡白な序盤のハサウェイもまた比較的好ましい。

 しかしよりによって「キルケー部隊」は"ギギにあやかって"付けた名だったとは。
 ※私は完全なる宇宙世紀初心者のため、観に行く前に「せめて登場人物くらいは」と公式サイトを眺めていた。本当に登場人物紹介しか眺めていない。このとき「キルケー部隊」と機体名「ペーネロペー」だけは単語として覚えていた。

 キルケーといったら魔女の名だ。太陽神の血を引く女神、とのみ劇中では説明されているけれど、同時にたいへん優れた魔女だとされている。加えて、恋多き女(キルケーが男性に恋をするが報われない、というエピソードが多いようだ)(神話知識もwikipediaと各種ゲームの読みかじりなのでご容赦の程を)。
 恐ろしき魔女、力ある女神、恋多き女、いずれも周囲を翻弄する。そもそも神話の神様なんてろくなもんじゃないのだけれども。女神になぞらえられてしまったファム・ファタール。いったい彼女は何者なのだろう。

 正直、ほぼ「この女はなんなのか」という謎を追う視点で観てしまった。
 私はこんなにも「ギギは結局何者なのか」が気になっているのに、これはもしかして「ギギが何者なのかは別段明かされない」あるいは「特に何者というわけでもない」結末ではなかろうか? という予感もある。
 明かされなくても構わないと思って、翻弄されるのが楽しいというのは、なるほどこういうことかと思わないこともない。

「検証:戦争の得意な男がモテないようにすれば戦争なくなる説」case1:ハサウェイ・ノア

 空襲から逃げ惑いながらもギギを置いていかない、置いていけない描写でうすうす感じてはいたが、最後の最後で間違いないと踏んだ。公式サイトにも彼女がいるって書いてあった。
 ハサウェイおぬし、さては「煮え切らないのになぜか常に薄っすらモテ続けている」系譜の男か……!!

 ごく、ごく単純に考えてほしい。
 組織のトップないし幹部ないしエース級パイロットに対して、複数名が同時多発的にほんのり情欲を含む感情を寄せていたら、組織の崩壊まっしぐらだと思う。
 しかし、ざっくりロボットもの・メカ系のもので戦場を駆る作品……の素養があまり無い立場での発言だけれど……において、この手の「ある側面(戦争においての突出した能力など)では優れつつも未熟さを抱え、かつ態度の煮え切らない男」が「組織内外や戦場にいるか否かを問わず薄っすら常にモテている」という構図、多すぎやしないだろうか。
 そういう作品群だと言われれば、そうなのだろう……。(あまり作り手側の男女の別などで雑多に語るべきではないと思うので、このあたりにする。)

 いっそ空襲の中、ギギを置いていけたほうが、ずっと行動には筋が通っていたように思う。そりゃエメラルダも舌打ちくらいする。私がエメラルダの立場ならなら辞表を出している。少女を空襲の最中に置いておくこと自体が、人道的ではないとしても、そもそもマフティーは人道的なことをやっていないようだし。
 そりゃ、ギギを置いていけないのはそういうことじゃないんでしょうねえ、という気持ちで私は観ていた。
 友人たちの感想でなるほど、「マフティーとしての彼」と「ハサウェイとしての彼」の揺らめきがあるのか、と気付く。ギギを置いていけない彼はハサウェイなんだろうか、マフティーなんだろうか。
 置いていけないというべきか、置いていかないというべきか。

 けれどその上で、ぱっと手を離れて大佐の元へ駆け寄ってしまうのがギギ・アンダルシア!! ああ自由な小鳥よ! 地中海を臨む都市の名の君だ! こんな「魅惑が服を着て歩いている」ような少女を、本当に手元へ置けると思うんだろうかケネス大佐は!
(さすがにこの時はハサウェイを少し不憫に思わないこともなかった。戦火の中をあんなに……あんなに必死に……)

 空襲後、大佐に促されてハサウェイがコックピット? に行くと、ギギがいるシーン。手渡されたカップの受け取り方が、口の付く部分をきちんと変えているところに、ようやくハサウェイの「対・女」のときの本音っぽさが出た気がした。(わざわざ「別のカップかと思った」までセリフにせずともよいのでは、と感じたけれど好みなのだろうと思う) 
 ギギとハサウェイのやり取り、絶妙で巧妙な言葉の選び取りように関しては最高というほかない。小野賢章と上田麗奈の好演、最高である。

軍なるものが無かったら狂人かもしれないケネス

 ケネス、怖っ…………。

 最初は気のいい真っ当な軍人だと思った。真っ当な軍人には違いないだろう、優秀なキレ者、前任者が嫌みを残したくなるのも頷ける。有能な上に声と顔がいい。
 いやでも、怖…………。

 取り調べの拷問を「楽しみ」と言い表したことが、誇張ではなく本心だと仮定するならば。
 部下の前でムチを手元でぺしぺしやっていたのが、どの程度本当でどの程度冗談なのかも分からないし、同じ理屈でいけば、ギギに対しての下品なほど明け透けな「俺と寝れば」云々という言い回しもジョークでもなんでもないんじゃないかこいつ。
 別に女に乱暴するとは思ってないけど(しないとも言えない気がしてるけど)、軍人、いや軍人ね……軍人……すぐれたる軍人であることは自らの内側に暴力性を備えていることと同義になるんですか? 軍人が出てくる作品の素養がなくてちょっと……分からないのですけれども……。

 そういえば市街地でモビルスーツ戦をしていたのは彼の部下であった。
 ロボットものに明るくない私でも、市街地でモビルスーツ戦を行うやつらは、両陣営ともクソの風上にも置けないということだけはハッキリ分かる。マフティーのパイロットがぎょっとしていたじゃないか。市街地を背にして、盾に取ったつもりだったんだろうな(それもそれでどうかと思う)。
 これでは部下の扱いが心配になる。レーン・エイムくんはその潔さから好ましく感じられたので、人質を自身の判断で返還したことを折檻などされないでほしい。次回作で一皮むけたレーンがハサウェイとばちばち戦ってくれることに期待しているのだから。

 もっと怖いのは、ケネスがその暴力性を上等なスーツ、どことなく泰然自若とした振舞い、懸命で賢明で熱意ある上官の顔付き……の内側に留めている点である。いかにも下衆の顔をしている下衆は、下衆である覚悟ができるだけマシはマシだ。
 この、そら恐ろしさがじわりと底から響くような諏訪部順一に感嘆するべきなのだろう。
 彼、ほんとうに冒頭でギギが感じたようなつまらない、お仕着せの言葉だけでしゃべるような軍人、なのだろうか。

じゃあ君たちのオデュッセウスは誰なの

 さて、wikipediaとゲーム読みかじり知識の神話の話をする。

 キルケーは前述のとおり女神であり、魔女とも呼ばれている。住処はアイアイエー島というところで、この島には、トロイア戦争の英雄が長い旅の途中に立ち寄ったとも言われている。
 キルケーはこの英雄一行を、初めは魔法の薬で動物に変えてしまおうとするが、オデュッセウスは魔女の思惑を打ち破る。キルケーは英雄をたいそう気に入って歓待し、一行も長く疲れを癒すが、英雄は里心が起こってアイアイエー島を離れる。
 キルケーは悲しみつつも、英雄たちの船旅に助けをさまざま与えたとされる。この英雄は名をオデュッセウスという。

 一方でペーネロペーは、トロイア戦争の英雄の妻とされる。
 それはそれは美しい女だったのだろう。夫が戦争に出かけ、そこから行方知れずで帰らない間、108人(wikipedia準拠)もの男に結婚を迫られる。彼女はあの手この手で策を講じ、どうにか再婚を逃れながら夫を待ち続けようとする。
 夫は戦争後、あれやこれやで苦難のなが~い旅をする羽目になるのだが、やっと妻の元へ帰ってきて求婚者たちを出し抜く。この夫の名が、オデュッセウスである。

 それで、だ。
 なぜ「ペーネロペー」を擁する部隊に「キルケー」の名を付ける、なんて気味の悪いことをしているのだろう、ケネス・スレッグ氏は。
 あんまりにあんまりで、公式サイトを眺め見て唯一覚えている情報が「ペーネロペー」と「キルケー部隊」だったので、名付け親がケネスだと劇中で知って少し引いてしまった。
(前任者の名前を残すわけにもいくまいし、自分の名を冠するのは気が引けるのも分からいではないが、(言ってしまえば)行きずりの女を勝手に「俺の勝利の女神」と認定して彼女を女神になぞらえるのも大概だと思う。さておき。)
 そもそもペーネロペーがなぜペーネロペーと名付けられたのか分からないが……どれほど追われても"落ちない"ことにあやかったのかしら……。

 キルケーだけ、ペーネロペーだけならともかく、この2つの名前が出てきてしまうと自ずと「じゃあオデュッセウスはどこに?」と、思わずにいられない。ついさっきネタバレを踏んでしまった気がするけど気にしない。
 作中、キルケーという女神になぞらえて、「君には男どもを大人しくさせる力がある」なんてケネスは言っていたが。

 「キルケー」≒「ギギ・アンダルシア」ならば。
 彼女は、オデュッセウスに置いていかれてしまうんじゃないかしら。

 ケネスの口から「キルケー」の名が出たとき、私が思い出したのはついさっき見た、空襲の街に飛び出したハサウェイとギギだった。ハサウェイを引き留めたギギの細い指、私を置いていくのというギギの表情だった。
 その上、別れも告げずにハサウェイは"船"で出ていった。
 魔女は戦争の英雄をたいそう気に入ってもてなしたけれど、英雄は魔女の術にかからないのだし、英雄は生まれたところへ戻る。戦場へ戻る。空へ戻ってペーネロペーと相対する……。

 彼がオデュッセウスなら魔女との結末は推してしるべし、という気がしている。ケネスがオデュッセウスだって? そんなことあるもんか! オデュッセウスがキルケーをみっともなく引き留めるんじゃない!
 レーン・エイムくんにはハサウェイを釘付けにするようなパイロットとしての技量を今後期待したい。応援しています。

暴力の方法は許されないということ

 映画館を出て、ああ面白かったなあと思って、私は帰り道で本屋に寄ろうかどうか迷った。続きが(もといギギの素性が)気になって、原作小説を買って帰ろうかと思ったのだ。
 結局、先に読むべきか、映画の次作を待つべきかに迷って、本屋に寄るのは止めた。そうしてぼんやり、帰りの電車で「彼はどこへ行きつくんだろう」と考える。
 きっと「死」にしか折り合いが付かないのだろうな、と思う。

 作中で再三、テロリストの方法は人々に結局許容されない、ということが言われていた。
 現実社会においては当然だし、創作上においても、義にもとる方法を行えば(とりわけ法治国家が成立した後の世界観では)結局は受け入れられない。勝てば官軍、なんて価値観は最新のものとは言えない。
 夜神月は負けたし、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは自らが討たれることでこそ法治国家が保たれることを分かっていた(無論、いずれも手放しに褒められた人格ではないけれど)。暴力や蹂躙が許される方法であってはならないし、その方法を取った者は、どこかで自分に跳ね返ってくることの覚悟がなくっては己が道を完遂できない。完遂できればよいということではない。
(そう考えると『00』におけるソレスタルビーイングはどうなのか……)
 だとすれば、ハサウェイが、マフティーが何をどこまで行えるものかは分からないけれど、最終的に世界は彼と死でしか折り合いが付けられないんじゃないだろうか。

 たぶん、私がいまひとつハサウェイをよく分からない、煮え切らない男だと感じるのはこの辺りなのだろう。
 死を覚悟しても見えないし、行動と結果を覚悟しても見えない。
 彼は何を行いたくて、何を守りたくてテロリズムを為しているのか。
 ここは予備知識がないゆえの無理解かもしれないが……。
 連邦政府が腐敗しているらしいことは分かった。
 しかし「地球に人が住めないから、人類はみんな地球を捨てて、宇宙に行きましょう」? とは、いったい? タクシーのおっちゃんと気持ちは同じである。明日のパンを調達する話をしたほうがまだ、身になるという感じがする。
 いや失礼、そんなことを言っているから海面は上昇するんだと叱られるかもしれない。だけどなんというか、ハサウェイは何を守りたくて、あるいは何を壊したくて、何が彼をここまで苛烈な(偽マフティーへの容赦のない対応と燃え盛る市街地を思い出しながら)テロリズムに掻き立てるのだろうか。

 腐敗した国家の「仕組みの深さ」を、相当に嫌っているのだろう。ギギから渡されたカードの厚み(薄さ)を前に「教えてくれよ」と独り言つシーン、とても印象的だった。
 でもなぜ仕組みの深さを壊したいのだろう。
 自分たちが安らかに暮らすためにしてはあんまり、仲間も含めて組織全体が最後には世界から排除される方法を取り過ぎている。(それともまさかそのことにも気付いていないのか? 本当に?)(はたまた世界から"居なくなりたい"ほうが真実なのか? そんなふうにも思えないけれど)(かといって、テロリズムとして最後は排除されることに覚悟を決めたようにもあまり思えない)
 たとえば家族や友人、恋人のためだとか、強い憎しみのためだとか、自分のためだとか、その手の“個人の生々しさ”みたいなものを私は汲み取れなかった。
 それともそれとも、あれが「理想」に生きるということなのか?
 だとしたら、あんまり……。
 そんなのあんまりだ。

 理想に生きて戦争が得意な男がモテる世の中、やめたほうがいい。
 ケネスの言った、マフティーに感じるある種の「清廉さ」が危なっかしいまでの理想主義に由来するものならば、ハサウェイとケネスが互いに「油断ならない相手」としての魅力を覚えたとして無理からぬことだけれど。
 それが男でも女でも、情念でも戦意だとしても、戦争が得意な理想主義者がモテる世の中はやめたほうがいい。ああ、そうとしか思えない。戦争があるからその手の男がモテるんじゃない、戦争の得意な男がモテるから戦争が終わらないんだ。私にはそうとしか思えない。
 ギギに夢中な口が何を言うか、とお思いですか。
 こっちが勝手に滅びるのと、市民の暮らしを滅ぼすのとじゃあわけが違うでしょう。

おわりに

 夜のホテルでギギが着替えている間、ハサウェイがケネスに対してずいぶん砕けた調子なのに一瞬ぎょっとした。ハサウェイのほうが歳は下に見えるけれど、童顔なのかしらなんて考えた。
 映画館を出てから気が付いた。
 あれ、「大佐」に話しているときは敬語なのか。
 現に軍施設でのシーン、調書にサインするシーンなどは敬語だった。
 一方で航空機内での冒頭、間一髪ケネスが助けに入ったシーンでは砕けた口調だった。

 ハサウェイは軍人であることを捨てられないから、あるいは軍属経験のある身として理解できるから、だけど軍人にもなりきれないから?
 ケネス「大佐」に接するときは敬語なのか。
 帰りの改札を通過しながら前髪を掻きむしってしまった。

 妙な縁、あるいは迂闊な判断によって結びついてしまったハサウェイとケネスとギギ。いったいどうなってしまうんだろう。ケネスもこのまま無事とは思えない気がするし。ネタバレを踏むくらいなら、先に小説を読んでおいたほうがいい、のかもしれない。
 だけど、なんの予備知識もなく映画を観る体験も捨てがたい。
 少なくとも、ハサウェイの完結までは、ハサウェイ以外のガンダムの知識はあまり仕入れずにおこうかと思う。殊更に拒否するわけではないけれど、今まで通りの距離感でいてみよう。
 どうやら唐突に我が家を潰した、赤だか青だか分からない色のモビルスーツを見上げる住人の立場に、おそらくはそれが一番近い。さぞ茫然としたことだろうと思う。

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