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音楽はなぜ心地よいのか<後編>ーー東大出身の理学博士が素朴で難しい問いを物理の言葉で語るエッセイ「ミクロコスモスより」⑪

音楽の心地よさを数学的に考える今回のテーマ。

前編はこちらから。


ピタゴラス音律の構成を考えてみよう

実際にその構成を行ってみます。数字がたくさん出てきて面倒なので、基準となる周波数をν(ニュー)としましょう。
また、音が1オクターブ内に収まるように、適宜1オクターブ下の音(周波数を半分)に置き換えて考えます。

まずもっとも近い音は3倍音の1オクターブ下の音(3/2)νです。次に近い音は、その3倍音の2オクターブ下(9/8)νです。
このようにして、同じような操作を12回繰り返していくと、次の表のようにまとめられます。


基準となる音をν=440Hzとし、その音名をAとしたうえで、周波数が近い順にA,A*,B♭,B,C,C♯,D,E♭,E,F,F♯,G,A♭と音名を振っていきます。

12回目に名付けられるA*の音は、最初のAの音とほぼ一致しているため同一視することにすると、AからA♭までの12音によって1オクターブ(440Hzから880Hzまでの間)を分けることができる、ということがわかります※4
これがもとになり、西洋音楽では1オクターブを12音に分ける音階が一般的になりました。

※4 AとA*が異なるため、等間隔にはなりません。Aを無理やりAに一致させるために、特定の2つの音の間隔(音程)をわざと狭める必要があります。このジレンマを解消するために、「中全音律や「平均律といった、のちの時代の音律が考案されていきました。


これに加えて、古代ギリシャ時代で使われていた音階体系である「テトラコルド」を基にして、上記で命名された音高のうち「♯」や「♭」が付かない音の配列A, B, C, D, E, F, G が「全音階」として一般に定着しました。
ここまでで出てきた、12音音階についての基礎をまとめると、次の図のようになります。(音名は英語表記を採用することにし、♯や♭は、より典型的に使われる方を使うことにします。)


12音音階

音の高さを1オクターブごとに一括りに分けて、それを12音で分けます(環状に並んだ12個の青い丸)。そのうち、A, B, C, D, E, F, G と呼ばれる7音(オレンジ色の丸)は「全音階」と呼ばれ、西洋音楽理論が形成される前から伝統的に使われてきた「音階」に相当します。
各音にどの周波数を割り当てるかはいくつかの定義の仕方があり、弦の振動という物理的な背景を基に定義すると3倍音(5度)の音程がもっともよく響くようにできます(ピタゴラス音律)。

しかし、ピタゴラス音律で12音音階を組み立てていくと、2と3が互いに素(共通の約数が1だけ)であるために、1オクターブを厳密に決めることができなくなってしまいます。実用上は、あまり使わない音程をわざと狭めることで、演奏に用いることができますが、「使いやすい音程」と「使いにくい音程」が生じてしまいます。たとえば、D♯とF♯の間隔をわざと狭めたとすると、Aを基準とした全音階(A, B, C, D, E, F, G)のみを使って書かれた曲にはほぼ影響がありませんが、B♭を基準とした全音階(B♭, C , C♯, E♭, F, F♯, A♭)では、響きに違和感が生じてしまいます※5

※5 「音階」は本来、音と音の間隔のみで定義されます。
「〇の音を基準にした全音階」には、12の「調性」と8通りの「旋法」が定義でき、音階はある基準の音(主音)とそれに対する相対的な音程の配列によって定義されます。「調性」は、「12音音階のうちどの音を主音にするか」であり、1オクターブの中の12音のどの音をとっても構いません。「旋法」は、「音程の配列のうちどの音を主音にするか」であり、全音階に含まれる8音のどの音をとっても構いません。
ピタゴラス音律では、調性や旋法の選び方によって響きが汚くなってしまう恐れがある、というのが問題点です。

バッハ以降の西洋音楽で一般的に使われるようになった「平均律」では、12音音階の音高の振動数を厳密な等比級数として割り振ることで、どの調性や旋法でも音程が等しくなるようになっています。その代償として、ピタゴラス音律では物理的に最もよく響くように定義されていた5度音程が厳密な3倍音ではなくなり、響きが損なわれています。

ピタゴラス音律と平均律、どちらが優れている?

どちらが優れているかは一意に決めることはできませんが、すべての音が等価になり調性や旋法の個性が減ってしまった平均律においても、全音階のバラエティーの豊かさは減っていないということは特筆すべき点です。
すべての音が等価であるということは、意味を持つのは音程(音と音の間の間隔)のみであるということです。全音階のなかで恐らくもっとも多くの人が馴染んでいるC major 音階を模式的に表したものが、先ほども出てきた下図です。

12音音階

赤は主音を、オレンジは音階を構成する音を、青はそれ以外の音を、それぞれ示しており、音階は赤を起点として黒い円上を時計回りに回ってオレンジを辿っていくことで構成されます。この場合は、C, D, E, F, G, A. B です。
音名をこのままの位置に置き、丸を時計回りに順繰り回転させていっても、似た構造を作ることができます。
赤を置く位置(今の場合「C」)が「調性 (key)」、赤を起点として丸の色が円上でどのようなパターンになっているか(今の場合「橙青橙青橙橙青橙青橙青橙」)が「旋法 (mode)」に対応します。
すべての音を等価とみなす平均律を前提にすると、「全音階」という音階は音名とは独立に定義することができ、まさにこの丸の色が円上で「橙青橙青橙橙青橙青橙青橙橙青橙青橙……」と並ぶような配列のことを指します。
このことを踏まえて、「全音階」に含まれる音階をすべて書き出すと、次のようになります。


全音階において区別可能な音階をすべて描き出した表。KEYは調、MODEはメジャー(アイオニアン)、ドリアン、フリジアン、リディアン……といった旋法をあらわす

こちらの図は、上のC majorの模式図を、各行では図全体を1/12ずつ時計回りに回転させ、各列ではオレンジ色の丸の位置を反時計回りに回転させて(ただし、必ず赤丸の位置にはオレンジ色の丸が来るようにして)、考え得るすべての音階を描き出したものです。一つの列は一つの調性(赤丸の位置)に対応し、一つの行は一つの旋法(赤丸を起点に丸を時計回りに辿って行ったときに、青とオレンジの並び方のパターン)に対応します。旋法にはそれぞれ慣習的な名前が付けられています。
全音階の最大の特徴は、これら84通りの音階はすべて区別でき、重複が一つもないということです。

これは数学の問題に読み替えることができる

上の図は、
「C major 音階の図のように丸を円状に配置します。まず、赤は動かさずに、オレンジと青からなる円(数珠)を時計回りに適当に回転させます。次に、赤だけを別のオレンジの位置に移動させます。このような操作で、もとのC major 音階の図と異なる図はいくつできるでしょうか。」
という、れっきとした数学の問題として読み替えることができます。

この場合、「どのように異なるか」によって2通りの分類ができます。

1.  図全体を回転させて、オレンジの配置が元と重なるようにした場合に、ぴったり一致する(旋法は同じで調性が違う)
2. 元の図と赤の位置が同じだが、オレンジの配置だけが異なる(調性は同じで旋法が異なる)

全音階は、これらの思いつき得るすべての場合について、偶然一致するものが一つもありません。数学的に言えば、全音階の音の選び方は、回転対称性も円周上の並進対称性も最大限破っているということです※5

※5 「回転対称性」とは、あるものを回転させても、回転前の姿と区別がつかないことを意味します。360度未満の任意の角度で回転させて、元の姿と変わってしまう場合は「回転対称性が破れている」と言います。上の図の場合、赤丸を無視しても各行に含まれるパターンがすべて異なるように見えることが、回転対称性が破れていることを示しています。
「並進対称性」とは、(ここでは)ある規則性に沿って並んでいる列を、順繰り一つ隣へ移動させていった時に、元の姿と区別がつかないことを意味します。上の図の場合、赤丸を無視しても各列に含まれるパターンがすべて異なるように見えることが、円周上の並進対称性が破れていることを示しています。

このことが当たり前ではないということを実感するために、特殊な音階を考えてみましょう。次の図は、「全音音階 (whole tone scale)」と呼ばれる音階について、定義しうるすべての音階を並べたものです。各列の図はすべて完全に一致しているため、旋法は1種類しか作れないことが分かります。また、調性についてもCとDはまったく同じ音の並びになっているため、主音(赤)と主音以外の音階構成音は均質化し、実質的に「Cを含む調性」と「C♯を含む調性」の2種類しか作れないことが分かります。音階を構成する音の配置が極めて対称的になった代償として、音階のバラエティーが極めて少なくなってしまったわけです※6


「全音音階」で定義しうるすべての音階を並べたもの


※6 フランスの作曲家オリヴィエ・メシアンは、このような発想のもとで「移調の限られた旋法」という枠組みを考案しました。全音音階は、この移調の限られた旋法の第1番に相当します。

結論

モーツァルトや、「音楽の父」とも称されるヨハン・セバスティアン・バッハの音楽は、このような音楽の科学的な側面を存分に楽しめる好例でしょう。古典的な様式の厳しい制約のもとで、限られた語法を駆使しながら音を並べていく様子は、まさに職人技。

その中で音楽の起伏を作っているのが、いわゆる「音楽の三大要素=旋律・和声・律動」です。語法が限られているからこそ、「予期できるもの」「規則正しいもの」を定義することができ、そこから一旦離れて再び戻ってくる(音楽的には「解決する」)というストーリーを組み立てることで「故郷に帰ってきた」という安心感を得ることができます。これが、音楽の心地良さの一因なのです。

モーツァルトの作曲におけるポリシーは、「素人も音楽通も、どちらも満足させられる音楽を書くこと」だったそうです。それを成り立たせているカラクリにこそ、(原義とはかけ離れていますが)「モーツァルト効果」が隠れているのでしょう。


プロフィール
小澤直也(おざわ・なおや)

1995年生まれ。博士(理学)。
東京大学理学部物理学科卒業、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了。
現在も、とある研究室で研究を続ける。

7歳よりピアノを習い始め、現在も趣味として継続中。主にクラシック(古典派)や現代曲に興味があり、最近は作曲にも取り組む。


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