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Queenのブライアン・メイの書いた論文を読んでみるーー東大出身の理学博士が素朴で難しい問いを物理の言葉で語るエッセイ「ミクロコスモスより」⑭

昨年末にNHK紅白歌合戦に出演したQueenは、誰もが名前を知っているロックバンドでしょう。そのギタリストであるBrian Mayさんは、2007年にインペリアルカレッジ・ロンドンで宇宙物理学の博士号を取得したことでも知られています※1。その記念碑的な博士論文はSpringer社から出版されており、購入すれば誰でも読めるようになっています。
https://link.springer.com/book/10.1007/978-0-387-77706-1

※1 音楽に造詣が深い物理学者としては他にも、ピアノ演奏に長けていたボルツマンや、ピアノ・ヴァイオリンを演奏したアインシュタインが知られています。

今回はその話題性に便乗し、この博士論文を解説してみましょう。とはいえ、私は宇宙物理学についての知識がほぼゼロであり、ほかにある程度詳しい解説を上げておられる方もいらっしゃるので、かなりざっくりした内容だと思っていただければ幸いです。


【本文に入る前に】


原題は ” A Survey of Radial Velocities in the Zodiacal Dust Cloud” で、無理やり和訳すれば「黄光道塵雲の視線速度についての調査」です。「黄光道塵雲」と「視線速度」は専門用語ですが、タイトルだけではさっぱり分からないので、本文で確認することにしましょう。

宇宙物理学者以外にとって、この博士論文の白眉は「はしがき」の部分でしょう。May博士の指導教員となったMichael Rowan-Robinson教授が、博士論文執筆の経緯を述べています。博士論文のネタとなるデータや結果は、彼が博士課程学生として研究をしていた1970年代前半には既に揃っており、あとはまとめるだけの状態だったようです。30年たった今、この分野の研究が進んでおり、博士論文にはその内容も盛り込まれているそうです。まだ現役で音楽活動を続けるMay博士は、忙しい仕事の合間を縫っての執筆になったため、その苦労の様子も記されています。


【内容】


さて、気になっていた「黄光道塵雲」の「視線速度」とはどういうことなのかを確認することにしましょう。「黄光道」とは、「偽の夜明け」とも呼ばれるもので、日没時に西の空に、あるいは日の出直前に東の空に、うっすらと見える円錐状の光だそうです。私も含め、見たことのない人がほとんどではないでしょうか。それもそのはず、黄光道は非常に弱い光なので、快晴で月の無い夜空で、街の明かりやオーロラもない環境でないと見ることができません。


アメリカのユタ州で撮影された黄道光の写真が載っている


黄光道とは何に由来するのか

この黄光道が何に由来する光なのか、古来より人々は色々な説を唱えてきました。
キリスト教の聖書や、千年前のペルシャの書物には、夜明け前の「光の筋」に関する記述が見られます。500年ほど前になって西洋でもこの存在が意識されるようになり、1850年代にようやく研究が始まりました。そのころには既に、太陽光が何かしらの物質で散乱されて見えているのが黄光道である、という説が提唱されていました。

この説は、20世紀中盤になって実証されることになります。黄光道の光スペクトル※3が太陽光のスペクトルと同じであることが発見されました。しかも、光を散乱している物質が、動きの激しい電子などではなく、ゆっくり動く何らかの「塵」のようなものであると分かりました。もしも激しく動き回る物質で散乱されていたら、その運動によるドップラー効果により光スペクトルは「なまる」はずですが、そのようなものは見られなかったからです※4

※3 天然に存在する光は、様々な波長(色)の光が混ざり合っています。どの波長の光が、どれくらいの強度で混ざっているかを分解したものが「スペクトル」です。
※4 観測者方向に向かってきている(から遠ざかっている)物質で散乱された光は、本来の波長よりも短い(長い)波長で観測されます。電子のように乱雑な向きで速く運動する物質で反射しているならば、本来の波長に比べて短い波長も長い波長も等しい確率で観測され、しかもその割合が多くなるため、本来であれば単一の波長で鋭いピークになっていたスペクトルが、なだらかなピークに広がるはずです。これがスペクトルの全体に対して起こるため、結果的に砂場を均したようないわゆる「なまり」が見られます。つまり、横軸を波長、縦軸を強度としてスペクトルを表した時に、その分布が下の図の黒線から赤破線のように変化します。

Wikipedia “Doppler Broadening” より


なんらかの「塵」が地球の周りに漂っていて(これのことを「塵雲」と呼んでいる)、それによって黄光道が発生していることは分かりましたが、その「塵」の正体が何か、ということが問題です。宇宙に飛んで行ってかき集めてみることができれば分かりますが、そう簡単なことではありません。そもそも、宇宙飛行士を宇宙に送り出す際に、この塵に衝突してしまっては困るので、地上から塵の素性をまず調べなければなりません。

それ以外にも、この「塵」の正体を探ることの意義を、May博士は述べています。塵雲の現在の素性は、太陽系の形成の歴史や、太陽を取り巻く環境についての情報を含んでいるかもしれません。より広く見れば、宇宙の進化の歴史、生命の誕生についても、何らかのかかわりを持っているかもしれません。


塵の素性を調べるには

では、この「塵雲」の素性を調べるには、どのような方法が良いのでしょうか?
May博士が選んだのが、ドップラー効果を用いてその「視線速度」を測定する、という方法です。「視線速度」とは、「こちらに向かってきている/こちらから遠ざかっている物体の、速度の視線方向成分」のことです。これの観測によって、塵雲内での速度分布を直接測定することができるというのです。これによって、塵雲がどのように分布していて(地球を取り囲んでいるのか? あるいは太陽を取り囲んでいるのか? 惑星の間にまんべんなく広がっているのか?)どのように動いているのか(地球と同じように太陽系を周回しているのか?太陽に近づいたり遠ざかったりしているのか?)を明らかにすることができるかもしれません。


黄光道の光スペクトルを調べる

さて、ここからいよいよ研究の実際の内容に入っていくところですが、専門用語だらけで200ページを超える博士論文を読み込むのはあまりにも大変なので、May博士が共同研究者とともに出版した二編の投稿論文を参照することにしましょう。

一編は、博士論文の題目でもある、黄光道についての調査そのものについての論文です:

T. R. Hicks, B. H. May, and N. K. Reay, “An investigation of the motion of zodiacal dust particles – I. Radial velocity measurements on Fraunhofer line profiles,” Mon. Not. R. astr. Soc. (1974) 166, 439-448.


黄光道の光スペクトルを調べるために、わざわざカナリア諸島に実験小屋を建て、その中に「ファブリ・ペロー干渉計」と呼ばれる装置を作って置きました。

これは、二枚の鏡を向かい合わせに設置したもので、鏡の間隔に応じて特定の波長しか透過しない性質を持ちます※5。黄光道の光には様々な波長が含まれていますが、鏡の間隔を少しずつ変化させながら透過した光の強度を観測することで、どの波長の光がどのくらいの強さで混ざっているかを測定することができます。


この研究では、塵雲の運動によるドップラー効果で、光スペクトルがずれることを観測するため、ずれが見やすい特徴的な構造に着目するのが重要です。そこで、地上で太陽光を観測した時に、透過強度が極端に減る波長(「フラウンホーファー線」)の一つである、Mg I線(518.36 nm《ナノメートル》 )に着目することにしました。ただでさえ暗い黄光道を観測するために、他のフラウンホーファー線に比べて黄光道以外の余計な寄与が無いことがこの線の利点ですが、実はこれが二編目の論文につながってきます。

さて、実際にMg I線のスペクトルを観測したところ、本来ピークが見られる波長から、ドップラー効果によって最大0.2 Å(およそ秒速12 km 相当)くらいずれていることが確かに分かりました。しかも、日の出の頃にはピークのずれが負に最大(「こちら側に向かってくる」場合のドップラー効果)になり、日の入りの頃には正に最大(「離れていく」場合のドップラー効果)を迎えることが分かりました。そして、この挙動は「塵雲が太陽を囲む円盤状に分布していて、地球と同じ向きに太陽の周りを周回している」と仮定した数値的なモデルと見事に一致したのです。直接的な証拠ではないながらも、黄光道の起源に迫る重要な一歩となりました。


※5 このような機構を一般的に「光共振器」と呼びます。鏡は一般的に光を反射するものとして使われますが、その反射率は当然、厳密に100%ではありません。
向かい合わせになった鏡に外側から光を入射すると、ほんのわずかながら入射面の光を透過する光があり、そのうちさらにほんのわずかの光が2枚目の鏡を透過して出てきます。ここで、光の波長と入射の仕方、さらに鏡の間隔がちょうどある条件を満たすと、鏡の中で光が増幅されます。すなわち、様々な波長を含む光を照射しても、そのうちの特定の波長成分だけが鏡と鏡の間で増幅され、よく透過するようになります。透過する光の強度を測りながら鏡の間隔を少しずつずらしていけば、どの波長がどのくらい含まれているかを調べることができるわけです。


二編目は、黄光道の調査を行う中で偶然発見された現象についての論文です:

T. R. Hicks, B. H. May, and N. K. Reay, “Mg I emission in the night sky spectrum,” Nature 240, 401 (1972).

黄光道の観測をするにあたって、余計な背景事象※6が無いスペクトル線であるMg I 線を使っていたわけですが、そのピークをよくよく見てみると、実は予期していなかった背景事象が見つかりました。本来はMg I 線にぴったり合う波長でファブリ・ペロー干渉計を透過する光は最も弱くなるはずなのに、想定されるほど弱くなっていないのです。これは、何らかの要因でたまたまMgが増えたことを意味します。

観測のタイミングから、こと座流星群が観測されると背景事象が強く現れることがわかりました。この流星群は定期的に地球に降り注いでいることから、それを引き起こす流星物質にはMgが含まれており、地球上に存在するMgの一部はこの流星群に由来しているらしいということが明らかになりました。

※6 観測しようとしている事象と起源はまったく異なるにもかかわらず、観測上は区別できない事象のことを「背景事象」と呼びます。
黄光道の場合だと、水素原子に起因する Hβ線を使って観測することも可能でしたが、 黄光道に起因しない光が同じ波長に現れることが過去の観測により知られており(P. H. Hindle, N. K. Reay, and J. Ring, “Hβ radiation in the spectrum of the night sky,” Planetary and Space Science 16, 803 (1968).)、May博士の観測ではより背景事象が少ないMg I 線を選択しています。


【読んでみての所感】

博士論文の末尾には、May博士の研究前に想像されていた塵雲の分布と、論文執筆時の観測事実に基づく塵雲の分布を描いた絵が掲載されています。長年の研究により、曖昧な輪郭が明瞭になっていくさまが一目瞭然で、May博士の仕事の重要性が実感できます。

まだコンピューターが現在ほど小型で高性能になっていない時代の仕事なので、解析や計算のためのコードもとても味があります。今では Google Colab を使えば、ものの数分でガウシアンフィットなどできますが、パンチカードを使って同じことをするのは相当大変なことだったことでしょう。


パンチカード
出典:コンピュータ博物館



それにしても、音楽でも物理でも世界を変える仕事をしてしまう(しかも学生時代に!)とは、驚くばかりです。富は税金制度によって再分配されますが、どうも才能に関してはとてつもない格差があるようです。我々凡庸な民にも、その幾分かを分けてもらいたいものです。


プロフィール
小澤直也(おざわ・なおや)

1995年生まれ。博士(理学)。
東京大学理学部物理学科卒業、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了。
現在も、とある研究室で研究を続ける。

7歳よりピアノを習い始め、現在も趣味として継続中。主にクラシック(古典派)や現代曲に興味があり、最近は作曲にも取り組む。


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