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小学校4年生での出来事 父親が単身赴任で良かった話(中学)

幼稚園のときに出会ったR君 小4までクラス一緒でしたね・・

彼との行いは、いけないことです。そして、それを謝らずにいたことを後悔しています。

『画鋲事件』常に争ってるMさんに何かをされます。それを許せないと思った私はR君と一緒にMさんの、『のり』があったのでそれに画鋲をさしてしまいます。次の日、朝礼で誰がやったか話し合いになります。

学校って『誰がやった』『目をつぶって手を挙げろ』好きですよね。当然手を挙げません。しかし、Oさんという少しウざめ女子が近くにいたのを見たからやったの2人でしょと言います。しかし、その時私たちは否定します。今思うと認めて謝れば良かったと思いました。

その後、自分たちが犯人でないように私たちの体育帽子に画鋲をさします。それをOさんとN先生がいる場面で行いましたが、N先生に相手にされませんでした。きっとN先生には気づかれていたと思います。ここで怒らなかったのは犯人扱いをして違ったときのリスクを少しだけ考えていたのだと思います。これもあってN先生は、最後に私に爆弾をしかけます

Mさんあのときはのりに画鋲をさして申し訳ございませんでした。

『雪玉事件』私とRくんは通学途中、雪玉を歩道から歩道に投げる遊びをしていました。それを見た、女性(小学5年くらい)に追いかけられ弟が当たりそうになった危ないでしょと怒られました。それから私たちはやることはないのですが・・・ほんと危ないことをしていて、怒ってもらえてよかったなと思いました。

この時の自分は、何をしてるのかほんとわかってなかったです。言いたいことを言って言い合いになる→先生に怒られるのは自分、言い合いにあまり勝てないからものを傷つけるというやり口になってました。誰かに何かを気づいてほしかったのですかね・・・何かに悩んでいるという気持ちでもなかった気がします。なんだろう・・・ほんとわからない・・・

小学校3年~4年は、ほんと不思議なんです。少しだけ思うのは。何かができるという自信をつけるきっかけは必要なのかなと思いました。実際、自分は特徴がない人間でした。運動もふつう、勉強もふつう、できないこともなくできることもないという・・・何かできることが欲しかったんですかね・・自分の努力次第ですが・・・

日本人の特徴で英語を話せるって聞くと話せないっていう人が多いです。外国の方に、日本語話せる?って聞くと話せるよって言いますよね。少し話せたらできるって言う自信の持ち方や気持ちの作り方が大事ですね。強がったり自慢しない程度が大事ですが・・・

あとは、喘息もあってサッカー部に入りたかったのですが入れなかったことですかね・・やりたいことをやらせてもらえない感覚、買って欲しいものを買ってもらえない感覚。なんていうか思い通りにならない感じに納得していなかった気はしています。そこで気持ちや感情に悩みが生じていたのかな・・・

私の親は結構決めつけタイプで自分が正しいと思うので・・・結構難しかったですね。家で暮らすのもすごく嫌でした。自分がすこしづつ変わってくるのは中学かな・・・今でもほんと良かったって思うのは『父親』が単身赴任だったことです。中学や高校も一緒に暮らしていたらずっとストレスで最悪だったと思います。思春期は心に余裕やゆとりが少しは必要です。学校って結構ストレスですよ・・・ルールに縛られてますから・・・それで家でもあれやれ、これダメはもう疲れちゃいます・・・ほんと6年間『父親』がいなくてよかったです

しかし、なんとなくですが、親の影響で私も結構決めつけタイプだとは思います。そのため、意識してなるべく決めつけないようにしています。あ、思い出しました。N先生とのもう一つの事件

『ふつう事件』何かを決めるときに、『ふつうはこうだと思う』と言います。するとN先生が『あなたがふつうと言うと誰も何も言えなくなるでしょ』と言われました。これ実は今でもそうは思ってないです。そんなことありますか?私に影響力はなかったですし・・・私が言ったことで決まることが嫌だったんでしょうね・・・

中学の話がすこし出ましたが中学は中学で事件がありますのでその時に詳しくお話します

これでやっと『大事件』を記載できます。これを記載したいと思ってました。自分にとってこの事件に対しては自分が悪いから起きたことは間違いないです。でも納得できていない、悔しかった自分がいるのも確かです。

まずは、自分が整理をしたいということ、そしてN先生のような人が担任で悩んだ(悩んでいる)生徒がいたら気持ちを共有したい。そして私のような同級生がクラスにいて悩んでいる人、実は私みたいな人などに見てもらえたら嬉しいです


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