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【短編小説】 ファイア・イン・ザ・ストマック2

前回のファイア・イン・ザ・ストマック

-1990年 -

遠藤 理仁(まさひと)は、夕飯を食べ終えるとすぐに自室へ行き勉強机に向かった。部屋の電気は点けず、机の細長い電灯だけで勉強するのが理仁のスタイルだった。

宿題は作文だった。「将来の夢」を書いてくるように相川 近(あいかわ ちか)先生は言ったけれど、理仁にとっては考えるべくもなかった。ギターでもベースでも良い。とにかくバンドを組んでCDを出す。それだけだ。

ロックが良い。あのときの事は今でも鮮明に思い出せる。

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先月、夏休みで母方の祖父の家に行ったとき、車のラジオから聞こえてきたのがBOØWYのマリオネットだった。

最初の音から、いつも聴かされている歌とは違う高揚感を覚えた。リフと呼ばれる同じメロディーが1つまた1つと繰り返されて、いつ歌が始まるのかと焦れ出す頃に少し尖ったボーカルの声が吠え出したのだ。

もしかしたら父親の勝哉(かつや)は聴いていたのかもしれないが、理仁は普段学校に行っているし、勝哉も同じように仕事へ出かけていたから、車に乗ること自体が週末に家族総出で行く買い物くらいなものだった。

カーオーディオはカセットが入れられる。何かカセットテープを入れるとしても、だいだい母の聡子(さとこ)が好む選曲でユーミンや山下達郎だった。それに倣って上の姉がよくリクエストしたものだから、どうしても車での音楽は限定的になってしまう。

確かにメロディーはポップで良いが、ラブソングや、人生を歌った歌詞の意味は理仁にはまだ早すぎて、とても気分ノリするものとは言えなかった。

こうして音楽に囲まれていたけれど、車に乗るときはいつも胸の内で耳に残った踊っているようなベースの音をハミングしながらも、窓の上に広がる雲が混ざった青空を見上げては目的地を待った。

そんな理仁は教育テレビの歌を流すほどには幼稚ではなく、かと言って大人の恋愛も知らない、自分でもよく分からない性格、気質があったようだ。

テレビは碌に見たことがない。“シティー・ハンターと北斗の拳”が夕方、立て続けに放送されている時間帯は宿題をしているか、そうでなければ、すぐにスーパーファミコンを付けて憎きベガを倒すべく、技の練習に明け暮れていた。そこだけが子供らしい部分だった。

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母の実家へと向かう高速道路の県を跨(また)いで通っている長いトンネルの中で、母のカセットが終わりラジオに切り替わった。そのとき流れてきたのがマリオネットというわけだった。

「聴こえない!」 理仁はそう言ったつもりだったが、実際は家族によれば何を言ったか解らないほどの奇声に聞こえたらしい。

トンネルの橙色の電灯が車内を照らすたび、雷に打たれたような衝撃が理仁の全身に走っていた。自分がこれほど脳天を貫かれているのに。どうしてみんな平気なんだ、と理仁は苛立ちさえ覚えた。

家族が車の中でワイワイ騒ぐから、理仁はラジオから流れてくる曲を聴きたいがために、つい大きな声を上げてしまった。

家族は下の姉以外は3人とも驚いていて、運転していた父親も危うく握っていたハンドルを左へ取られかけて車は小さくうねり、車内にいた誰もが左右へ揺さぶられた。

雅仁はそんな事はつゆ知らず、刺激に荒ぶる身体を抑えつけるように、両手で助手席の脇をしっかり掴んで、席の間から顔を突き出した。まるで『愛する人を殺された男が、偶然に犯人を見つけたときのような形相』で、映像が出てくる訳でもないカーオーディオを睨めつけていた。

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将来の夢はこのとき決まったのだ。理仁は宿題の作文にこう書いた。漢字は書けないものもあったから、補正して記すとこうなる。

『将来の夢 3年7組 遠藤 理仁

これは将来の夢とは違います。僕はバンドを組んで音楽活動をしています。これは決定しています。本当の未来予想図です。ボウイのマリオネットみたいな格好良い男らしい曲を出して、たくさんCDが売れています。ロックというジャンルだそうです。

21世紀を何年か過ぎたあと、僕たちは第二第三のボウイになったのです。3曲目くらいがミリオンヒットしました。そして10年以上音楽の最前線にいる事になります。

コピーバンドじゃなく、もちろん僕たちの世界が詰まったオリジナルの新しい曲です。ビデオも撮ったから、たくさんの人が僕たちを見ています。

バンド名は「青い空か似た色」の外国語にしました。僕は青空を見るのが好きです。ポツポツと雲がある空だともっと好き。見ていて落ち着くからです。

今は何というバンド名になっているかは言えないけど、空みたいにみんなを包み込むような、大きな存在のバンドになっています。』

子供は不思議なほど万能感に満ちている。自分がなりたいものを見つけると彼・彼女たちは知識も技術もすっ飛ばして、サッカー場でプロチームのユニフォームを着てボールを蹴り、ケーキ屋の棚の向こうで笑顔を振りまいているところを夢想する。

とりわけ1990年付近の子供たちの可能性は無限大であり、青空に揺蕩う雲のようにフワフワとしていた。


 続く

 


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