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  • インテリゲンチャのための読書クラブ

    密かに開催される怪しい読書クラブです。

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    古典に限らず

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    できればマイナーどころを攻めていきたい。

  • 臼杵研修ノート

    2019.7.10 まちづくり組織で臼杵に研修に訪れたときの話です。

  • 大学講義ノート

    2019.6.24 和歌山大学観光学部での講義ノート。 テーマは「地方における観光」

最近の記事

なぜ読書クラブは姿を消したか

A:主催が多忙のため B:内紛 C:飽きた(オワコン化) 事実としては「C」が最も近い。 が、一言で終わらせるのも、38も回数を重ねた会合の消滅の説明としてはちょっぴり寂しい。 恣意的に考察を述べようと思う。真理とは常々、手短な言葉で語られるものだとしても。 *** お気づきの方は(もしいたら嬉しい)第38回のクロポトキン「共産食堂」の感想が放ったらかしになっていることに不満を覚える(もしそうであれば幸甚である)かもしれない。 じつをいえば、わたしはこの100年ほど前に

    • 第三十七回 石原莞爾 『最終戦争論』

      旧陸軍の参謀であった石原の歴史観が見える第一章です。 日本の戦いは「遠からん者は音にも聞け……」とか何とか言って始める。戦争やらスポーツやら分からぬ。それで私は戦争の歴史を、特に戦争の本場の西洋の歴史で考えて見ようと思います というわけで、西洋の戦争史を(古代ギリシャ〜ナポレオン〜第二次大戦まで) 俯瞰した内容となっています。 この『最終戦争論』ですが、石原の「思想」の特異性が際立つのは、第二章以降で、 むしろ第一章は現代から見ても、かなりオーソドックスな「歴史観」に立

      • 第三十六回 カフカ 『罪・苦痛・希望・及び眞實の道についての考察 』

        ※中島敦訳(!) まず要約・解説を試みると(1)真実へいたる(まっとうな)道には「罠が仕掛けられている」  →何者かの悪意を疑う(人間不信&神の不在) (2)リンゴひとつとっても自由にできない人間もいる  →不平等・不条理 (3)でも、革命や改善なんて無意味だ  →虚無感&無気力 (4)現世は変えられない。「来世」を考えることが知性のはじまり  →(1)に反し、結局は神にすがるしかない自分の卑小さ (5)だから「現世つらい」って「神に選ばれしもの」ってことかもね  

        • 第三十五回 北村透谷 書評『罪と罰』、『「罪と罰」の殺人罪』

          https://www.aozora.gr.jp/cards/000157/files/45397_19347.html 今回のテキストはわかりづらかった!とクレーム入りました! すみません! 思うに文体の古めかしさ(明治25年)も然ることながら、 批評対象のドストエフスキー『罪と罰』についてのマニアックな 言及がハードだったかなあと思います。 罪と罰 そのあらすじ考えすぎで精神を病んだ貧乏な大学生が、 「不平等の解消」という思想のもと、金貸しの老婆(とその妹)を惨殺する

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        記事

          第三十四回 織田作之助『猫と杓子について』

          「戦中・戦後作家」。そんな枠でこの人を捉えるのはあまりにも独創性に欠けるでしょう。 織田作之助『猫と杓子について』を取り上げました。 https://www.aozora.gr.jp/cards/000040/files/46358_26691.html 「大阪」シリーズも熱くて今なお「新しい」ので、オススメです! 今回はやや変則的に関東からもリモートで参加していただいたので、 その方の感想を皮切りに。 ファッション文学は嫌いだ!大学院で文学を専攻していたこの参加者。

          第三十四回 織田作之助『猫と杓子について』

          第三十三回 坂口安吾『敬語論』

          坂口安吾流の「教育論」今回のテキストは前提として -- (1)言葉の乱れは行いの乱れ! (2)教科書がダラけとる!文部省、しっかりせい! -- という世間のバッシングに対する、 坂口安吾のアンチテーゼなのでしょう。 『堕落論』も戦後、 「未亡人がすぐ男つくりおって!けしからん!」 への反論で、 『日本文化私観』においても、 フランスの学者の「舞妓がディスコで踊っていて嘆かわしい」 に対して「今の日本が日本なんじゃ!」と啖呵を切っており、 まさに今回のテキストも坂口安吾の

          第三十三回 坂口安吾『敬語論』

          第三十二回 ボードレール『計画』

          或る日のデート妄想...と断定してしまえば身も蓋もない、というかネタバレなのですが、 「恋する男」が「女」との きらびやかな宮廷生活や、 南国のエキゾチックな生活、 いやいや、幸福は案外近くにあるものさ、と 夢想が2転3転する短編小説です。 ここで終わっておけば、まあいい話風なんですけど、 最後の最後で 「私は今日けふ夢に、同じ様な楽しみのある三つの棲処すみかを得たのだ。私の魂はこんなに軽々と旅をするのに、なぜ私の身体からだの居場所を変へなければならないのだらう! 計画だ

          第三十二回 ボードレール『計画』

          第三十一回 魯迅『些細な事件』

          ざっくりあらすじ(1)魯迅が都会にやってきて6年。国内外で戦争やら革命やら、  数々の大事件が起こったが、忘れられない出来事は、  ある日の「些細な事件」である。 (2)魯迅は急いでいて人力車を雇った。 (3)人力車が老婆と接触事故を起こした。 (4)大したことはなさそうなので、早く行くように促した。 →じっさい、厄介な、クレーマータイプの婆さんだったのだ。 (5)しかし、車夫は老婆の身を案じ、助け、身近の交番に自首する。 (6)魯迅は取り残されるかたちになった。車夫あての金

          第三十一回 魯迅『些細な事件』

          第三十回 太宰治『世界的』

          前回の読書会で 「知識が増えれば傲慢になる」という話を聞いて、 しばらく考え込んでしまいました。 キリストをバックにつける不良少年 『不良少年とキリスト』において坂口安吾は太宰治について  芥川も、太宰も、不良少年の自殺であった。  不良少年の中でも、特別、弱虫、泣き虫小僧であったのである。腕力じゃ、勝てない。理窟でも、勝てない。そこで、何か、ひきあいを出して、その権威によって、自己主張をする。芥川も、太宰も、キリストをひきあいに出した。 キリストをバックにつけて

          第三十回 太宰治『世界的』

          第二十九回 佐藤春夫『好き友』

          「すき友」って読むと、今っぽい感じですが(「ずっ友」みたいな、古いか)、 「よき友」です。 個人的に佐藤春夫は読んだことなかったのですが、 丸谷才一の『文章読本』の第二章「名文を読め」にて これまで十回以上は読んでゐると思ふが、わたしはこの機会に読み返して、今度もまたすつかりいい気持になつた。 と絶賛しています。 さらにこれがなぜ名文なのか?その理由を大きく3つあげています。 (1)論理的でわかりやすい文章である  →構造は単純なようで込み入っているにも関わらず整然と

          第二十九回 佐藤春夫『好き友』

          マルケス『予告された殺人の記録』

          ドストエフスキーの『悪霊』をギュギュッと凝縮してラテンのスパイスで味付けしたような中編小説。 ひとつのコミュニティの文化を多角的な視点で見るおもしろさ。 どんな人間にも、どんな共同体にも、「ロジック」があり、 それが「負のご都合主義」のドミノ倒しによって訪れるカタストロフ。 日本ではサークルクラッシャーは、どちらかというと女性(サロメ)の 印象が強いですが、本作(悪霊でも!)では引き金となるのは謎の美男子でした。

          マルケス『予告された殺人の記録』

          トルストイ『人生論』

          序盤はクールな分析が光りつつ、 もがきながら「愛」を説く、ウェットな後半。 トルストイの格闘の痕跡がみてとれます。 人間とはなにか?について、 トルストイは明確に3段階にわけています (1)物体:重力にしたがう  →寝っ転がってるのがしあわせ (2)動物:本能にしたがう  →食欲と性欲を満たせばOK (3)人間:利他精神をもつ  →「愛」によって、周りを幸福にするのが至高 これを見ると「人間らしさ」のためにはある程度の 余裕が必要だなあ、と。 疲れ切っていると、「物体」

          トルストイ『人生論』

          山下清『ヨーロッパぶらりぶらり』

          山下画伯によるオフビートなヨーロッパ旅行記。 包み隠さないストレートな切れ味と(とくに身内には辛口) 細部にどんどん突っ込んでいく視点が癖になります。

          山下清『ヨーロッパぶらりぶらり』

          沢木耕太郎『チェーン・スモーキング』

          エッセイには作者のエッセンスが詰まっている。 こちらも沢木耕太郎のエッジの効いた視点を存分にトレースできる一冊。 「都会愛」わかるなあ。 田舎に移り住んでからは、都会をアテもなくぶらぶらするのが、 たまの贅沢なのです。 『深夜特急』はその読みやすさから一気に読了してしまったけれど、 もうちょっと文章をじっくり味わってみてもよかったかもな、と。

          沢木耕太郎『チェーン・スモーキング』

          丸山健二『まだ見ぬ書き手へ』

          前回の『文章読本』と異なり、こちらは未来の小説家を相手にしています。 はじめて読んだ丸山健二作品だったので、 「メイキング」的な楽しみ方はできなかったのですが、 骨太なメッセージが、ずしんと響きました。 わたしは、ようするにペダンチック、の否定だと捉えました。 「文学とはなにか?」 じつに定義づけしづらい命題ですが、 「権威の文学者たち」が、 レトリックでやたらゴタゴタとめかしこんで、 「そうだ、文学とはこういうものなのだ」と、 生活や本質から遠ざかったガラスの向こうで、

          丸山健二『まだ見ぬ書き手へ』

          丸谷才一『文章読本』

          文章はどうやって書けばいいのか? 谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫など 多くの作家がそれぞれの方法論を著した時代がありました。 後発の、丸谷才一のこの一冊は、過去のそれらを一蹴します。 わたし自身は谷崎潤一郎の昔、ちらっと読んだかな、程度なのですが、 この本の述べるところにはうなずきっぱなしでした。 印象に残った3つポイントを。 --- (1)意味がわかるように書くべし (2)ちょっと気取って書くべし (3)名文に常日頃触れるべし --- ...とまあ、当たり前のようで

          丸谷才一『文章読本』