第三十六回 カフカ 『罪・苦痛・希望・及び眞實の道についての考察 』

※中島敦訳(!)

まず要約・解説を試みると

(1)真実へいたる(まっとうな)道には「罠が仕掛けられている」
 →何者かの悪意を疑う(人間不信&神の不在)
(2)リンゴひとつとっても自由にできない人間もいる
 →不平等・不条理
(3)でも、革命や改善なんて無意味だ
 →虚無感&無気力
(4)現世は変えられない。「来世」を考えることが知性のはじまり
 →(1)に反し、結局は神にすがるしかない自分の卑小さ
(5)だから「現世つらい」って「神に選ばれしもの」ってことかもね
 →ネガティブが一周回ってポジティブに(?)

苦悩に寄り添うネガティブ思考

前回の読書会で「やる気が出ないときの対処法は?」
という議題がでたときに

絶望名人カフカの人生論

この本が浮かんだのでした。

著者が難病で大変だった時期に
カフカの超人的に後ろ向きな思考
によって救われた、と。

もちろん、明るい「応援歌」で励まされる部分はあるでしょうし、
一般的に・商業的にニーズ高いのもそちらのようです。
(オリコンとか見てると。そんなに知らないですけど)

ただ、多分に逸脱癖・逃避癖のある私や周囲を観察すると、
「いやしとしてのネガティブ」はなかなか効果的なのでは、と考えられます。

「他者のネガティブに落ち着く」
その心理を分解するとだいたい以下の4パターンくらいですかね。

(1)「自分は孤独ではない」と共感を得る心地
(2)「自分はまだマシ」と集団心理で安心する
(3)「野次馬的サディズム」で時間稼ぎ
(4)「自分がしっかりしないと」とヒロイズムが湧く

せっかくなので本や映画とからめて。

(1)「自分は孤独ではない」共感系文学

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ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』。
わたしが高校を辞めたとき読んだ本。

そんまんまやんけ!」というツッコミは正しい。
共感カテゴリの作品は自分の境遇に近ければ近いほど、
処方箋としての効果は高いでしょう。

逆に言えばその境遇を離れてしまえば、グッとこなくなる。

仕事をやめる前後であれば邦画の『オーバー・フェンス』は
癒やし効果高いですね。

失恋したときは鉄板の『若きウェルテルの悩み』(?)
著者ゲーテの望むところは扉にあるように
「ウェルテルを読者の心の友にしてほしい」
と、共感のための処方だったようです。

しかしウェルテル効果という現象も起こってしまい、
そういう意味でも
このカテゴリは4つのなかで「劇薬」なのかもしれません。

(2)「自分はまだマシ」と集団心理で安心する

自分よりも悲惨な境遇をみて安心する
「人間ってヤダなあ」と思う反面、
でも機能として「集団心理」が組み込まれているのだなあ、という話。

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そういう意味では『夜と霧』は現代日本人の想像を絶する一冊。
はかりしれない苦悩。これほどまでの経験は望んでもできないだろう...。

限りない絶望を与えつつ、しかし希望の書でもあるのですね。
どんな状況下でも心の持ちようは自由だ。理性の力でコントロールできる、と。

そのなかに、かつて政治犯として囚えられたドストエフスキー
からのこんな引用がありました。

「私の恐れることは私がこの苦悩に値しない人間だ、ということだけだ」

(3)「野次馬的サディズム」で時間稼ぎ

これは(1)と反対に自分自身と境遇が似ていないほうがよいかもしれません。
「共感」はむしろ邪魔になります。

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ミヒャエル・ハネケ監督『白いリボン』。
エキゾチックで。ドライで。不穏で。
絶対悪いこと起きるぞーと思いつつ、目が離せない。
ホラー映画もこの枠に入ります。

このカテゴリの処方、そのココロは自然治癒です。
根本治癒でなしに、時間稼ぎにしかならない。

のですが、やっぱり「時間が解決する」という月並みな真理は馬鹿にできないので、個人的にはこのカテゴリに一番お世話になっています。

(4)「自分がしっかりしないと」とヒロイズムが湧く

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サン・テグジュペリ人間の土地』。
サン・テグジュペリが遭難したときのエピソードです。
・飛行機が砂漠で壊れる
・食料と水も乏しい
・救援のあてもない
という絶望的な状況で、テグジュペリらはどう生き延びたか?

「みんなが俺たちを助けてくれるんではない、俺たちの助けを待っているんだ!」
という意識で持ちこたえたそうです。

はじめ読んだときは全然意味がわかりませんでした。
ようするに人間、
自分のために生きる」よりも
誰かのために生きる」ほうが生命力は強いようなのです。

まとめ

カフカの
「苦悩から知性は生まれる(バカは苦悩しないさ)」
理論は一理あるような気がします。

古今東西において、人間は悩み、それを解決しようと知恵を絞った。
そういう意味では、古今の名作を読むことはよい処方なのでしょう。

個人的にはその人が「知恵を絞る」プロセスそのものに浄化はある、
とも思うのですが。

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