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【物語】二人称の愛(中) :カウンセリング【Session62】

※この作品は電子書籍(Amazon Kindle)で販売している内容を修正して、再編集してお届けしています。

▼Prologue
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Index

※前回の話はこちら

2016年(平成28年)08月14日(Sun)

 朝眼が覚めた学は、昨日の気仙沼の夜空のことが気になっていた。それは自分の生命(いのち)とおじいちゃん、おばあちゃん、そして亡くなった全てのご先祖様について思い起こしていたからである。自分がこうして今あるのは、ご先祖様から今日まで自分と言う生命(いのち)のリレーがあったからだ。そして今、学はこうして生かされているのだ。
 しかし自分の両親のことを思い出そうとすると、身体はそれを拒絶しようとする。そして自分の中にある嫌な経験を思い起こそうとしてしまう。自分を産んで途中まで育ててくれた両親のことを学は今でも受け入れることができない。学は過去に何度か自分の両親について向き合ってみたのだが、身体がそれを拒むのだ。だから学はこのことについて触れないよう何時もこころがけていた。そして時々瞑想を行って、自分のこころの振れ幅を元に戻していたのだった。
 学が食堂でそんなことを考えながら朝御飯を食べていると、みずきたちが食堂に現れた。そして挨拶を交わしたのだ。

美山みずき:「おはようございます倉田さん。昨夜は良く眠れましたか?」
倉田学:「おはようございますみずきさん。ええぇ、まあぁ」
みさき:「おはようございます倉田さん。昨晩外に出掛けましたよねぇ?」
倉田学:「おはようございますみさきさん。ええぇ、まあぁ。星が綺麗でしたから」
ゆき :「おはようございます倉田さん。流れ星とか観えたんですか?」
倉田学:「おはようございますゆきさん。ええ、この時期はペルセウス座流星群が近づくので沢山観れましたよ」

 学がこう三人に告げると、三人は口々にこう言った。

美山みずき:「倉田さん。誘ってくれれば良かったじゃないですか」
みさき:「倉田さん、ずるいですよぉー。ひとりだけ抜けがけして」
ゆき :「倉田さん。今日も観られるんですよねぇー」
倉田学:「今日も天気がいいので、きっと綺麗に観られると思いますよ」

 学がこう言うと、みずきは学に向かってこう言ったのだ。

美山みずき:「倉田さん。今日は石巻に行きますから皆んなで観ましょう」
倉田学:「はい」

 こうして四人は食堂で朝食を食べ、そして石巻に行く為に部屋の荷物を纏めて玄関のフロントロビーの所で落ち合ったのであった。学はみずきたちより先に玄関のフロントロビーに降りて来ると、女将のさちえの娘であるまゆが玄関の式台から三和土(たたき)に足を投げ出して座っていた。そして学が近づくとこう言ったのだ。

清水まゆ:「トトロのおじさん、トトロのおじさん」

 この言葉を聴いた学はまゆにこう言った。

倉田学:「まゆちゃん。確か、小学一年生になったんだよねぇー」
清水まゆ:「そおぉー、そおぉー。おじさん、そおぉー」
倉田学:「まゆちゃん。トトロ好きなのー」
清水まゆ:「まゆ。まゆ、トトロすきぃー」

 この言葉を聴いた学は自分のカバンに手をやり、そして何かを探し始めたのだ。そうだ、学が取り出したのはオカリナであった。それを観たまゆは学に向かって叫んだ。

清水まゆ:「トトロ、トトロ。おじさんトトロ」

 学は嬉しそうにオカリナで、となりのトトロのテーマ曲である『となりのトトロ』を吹いたのだった。そこにみずきたちがやって来てこう言った。

美山みずき:「倉田さん、朝からオカリナですか? うるさいって、叱られちゃいますよ」

 そこにすぐに清水旅館の女将さちえもやってきた。そして学にこう言ったのだ。

清水さちえ:「倉田さん、他のお客さんいまずがら」

 学はさちえにこう言われるとオカリナを吹くのを止め、こう言ったのだった。

倉田学:「すいません。つい喜ばせたかったので」

 その時、スマホの着信音が突然鳴ったのである。その着信音はさちえのスマホの着信音であった。そしてさちえは電話に出たのだ。その電話の相手はさちえの夫であり、まゆの父親の信夫であった。

清水信夫:「おらっちゃ、今仕事あがるっちゃ。海がら帰るがやぁ」
清水さちえ:「あんだ、ぎおずげてぇ~」

 この電話のやり取りをしている間、まゆは嬉しそうにこう言っていたのだ。

清水まゆ:「トトロだ、トトロだ、トトロだぁー」

 まゆが何を言いたいのか他の皆んなもわかった。それはさちえのスマホの着信音が、さっき学の吹いたオカリナのトトロの曲と同じ『となりのトトロ』だったからだ。まゆが皆んなにそう言うと、学はまゆに向かってこう言った。

倉田学:「まゆちゃん。まゆちゃんはメイちゃんと同じで、本物のトトロに会えるんじゃないかなぁー。それは僕たち大人には観ることの出来ない。子供だけの『形のないプレゼント』だから・・・」

 そう学がまゆに言うと、まゆは学に向かってこう言ったのだ。

清水まゆ:「ほんとぉー、おじさん。わたし猫バス絶対のるぅー」
倉田学:「まゆちゃんなら、きっと叶うと思うよ」

 こう学はまゆに告げ、そして学たちは清水旅館の女将さちえとまゆに別れを告げたのだ。さちえとまゆは、学たちの乗る車が停めてある駐車場まで見送りに来てくれたのであった。そしてみずきが運転する車を最後まで見送っていたのだ。学やみさき、ゆきも車の窓を開けて手を振った。さちえとまゆは、学たちが乗る車が見えなくなるまで手を振っていたのだ。そしてこう言ったのである。

美山みずき:「まだ、冬にくるちゃ」
倉田学:「さちえさん、まゆちゃん。僕は気仙沼で、冬の夜空のシリュウスが観られるよう頑張ります」
みさき:「ありがとうございました。わたしの故郷も復興に向け頑張ります」
ゆき :「お世話になりました。美味しい海の幸をありがとう」

 こう四人が別れを告げると、もう声にならない思いが学には込み上げてきた。別れとは何度味わっても悲しく切ないものだ。それは学がおじいちゃん、おばあちゃんの死と向き合った時に味わったものと同じである。でもそれがあるからこそ、出逢いと言うものが、ひとしお嬉しくもあり喜ばしいことでもあると学には感じられたのだ。わたし達はこの連続を経験することで自分の人生を豊かにし、また自分の感情と言うものに対して、改めて向き合い再確認しながら生きているのかも知れない。それは学も例外ではない。そしてそれが今の学と言うひとりの人間を司っているからだ。そんなことを車の中で学は自己分析し、次の目的地であるみずきの故郷の石巻市へと向かったのである。

 四人が向かった先は石巻駅に程近い「石巻立町復興ふれあい商店街」であった。そこは学たちが今年三月に訪れた場所で、その商店街の会長を務める佐藤さんはみずきの叔父にあたる。そして佐藤さんは「石巻立町復興ふれあい商店街」で『さとう電気店』と言う電気屋を営んでいるのだが、学たちがその商店街の奥の方にある『さとう電気店』に近づいて行くと、何やら音楽が聴こえて来た。春訪れて時と同じで、お店からは懐かしい曲が流れている。そしてみずきは、その『さとう電気店』のお店の扉を開けた。

美山みずき:「おんつぁん、ひざじぶり。げんぎだっだが?」
佐藤さん:「みずきひざじぶり。よぐぎたっちゃ」
倉田学:「こんにちは佐藤さん。お久しぶりです」
佐藤さん:「倉田つぁんも、東京からきたっちゃ」

 こう挨拶を交わし『さとう電気店』のお店の中に四人は入っていった。する前回と同様に佐藤さんはお店の中の音響を操作してレコードを流したのだ。その曲は中島みゆきの『最愛』と言う唄だった。そして佐藤さんはこう言った。

佐藤叔父さん:「これはおらの好きな歌っちゃ。おらも大切なひとを、あの震災で失ってしまっちゃよ。『好きっちゃ!』なんて、失っちゃもう二度と言えないっちゃよ・・・」

 そう佐藤さんは言って悲しそうな姿を学たちに観せたのだ。それは学たちが春に訪れた時と違って、佐藤さんの本心を物語っているように学には感じられた。東北の冬の訪れから春を経て季節は移り変わり、こうして夏のお盆を迎えることで気丈に生きてきた佐藤さんが、今まで大切にして来たもの全てを失い、その大きさを物語っているように感じられたからだ。学は佐藤さんの表情を観て、改めて自分の無力さを痛感させられた。

倉田学:「僕たちは、この東日本大震災(3.11)で被災された方や亡くなられた方たちとどう向き合い、そして希望の光を照らすことが出来るだろうか?」

 そう学は答えの無い問を自分に問い続けていたのだった。他の三人も色々な思いが交錯し、自分ごととして考えていた。

美山みずき:「わたし達は亡くなった方たちのためにも、しっかりと前を向いて生きていかなければ・・・」
みさき:「どんな形であろうと、わたしの故郷である福島県 南相馬市への思いと家族の絆を」
ゆき :「お姉ちゃんの名前みきのように。わたしもこれから幹木(もとき)として、家族を支えて行くから心配しないでね。お姉ちゃん」

 四人は佐藤さんに別れを告げて『さとう電気店』のお店を後にしようとした。ちょうどその時、『石巻駅前 Café&Bar Heart』で店長をしているゆうが『さとう電気店』のお店に入って来たのだ。そしてゆうはこう言った。

ゆう :「久しぶりー。みずきさん。皆んな」
美山みずき:「ゆうちゃんも久しぶりー」
倉田学:「お久しぶりです。ゆうさん」
みさき:「ゆうさん。久しぶりですねぇー」
ゆき :「ゆうさん。ご無沙汰ですー」

 ゆうがお店に入って来たら、さっきまでの暗い雰囲気が明るくなるのだから不思議だ。ゆうはすごく前向きな女性で、みずきが石巻にお店を出すと言う話を仙台のBarで働いている時に聞きつけると、自分も地元の石巻の力になりたいと言い、みずきから石巻にある『石巻駅前 Café&Bar Heart』の店長を託されのであった。

 その当時、みずきが石巻にお店を出すと言う話を聞きつけたゆうは、わざわざ仙台から東京のみずきのお店『銀座クラブ SWEET』に乗り込んできた。そして半年間、みずきのお店『銀座クラブ SWEET』でお店の経営や正しい接客とはどういうものか教わったのだ。両親を東日本大震災(3.11)で失いながらも、彼女もまたみずき同様に故郷のためにと言う思いがあった。だからみずきたちと再会する今日という日を笑顔で迎えたかったし、また石巻の復興の姿を観て貰いたい気持ちがあったのだ。

 こうして学たちはゆうと再会し、逆にパワーを貰ったのである。それは佐藤さんも同じだったと思う。そして五人が揃い佐藤さんに別れを告げた。佐藤さんのお店にいるとき、みずきがスマホで誰かにメッセージを送っているのを学はみた。みずきがやり取りしていた相手は、今朝まで宿泊していたっ『清水旅館』の女将さちえであった。みずきは佐藤さんが流すレコードの曲を聴いて、自分の想いをさちえに届けたかったからだ。

 それは明日、中島みゆきが石巻にやって来て、『石巻 ワンデー・ナイトコンサート(One Day Night Concert of Ishinomaki)』が開催されると言うことで、石巻の街が盛り上がっていたからであった。そしてこの件について、みずきは複雑な思いがあったのだ。東日本大震災(3.11)の復興が進むにつれ、復興の進んでいる地域と進まない地域、また震災や津波の被災が少なかったひと達と大きかったひと達との間で、その格差が年数が経つにつれ大きくなっていたからである。

 そのことは、みずきやゆうそして佐藤さんも知っていた。同じ被災者だから分かり合えるだろうと思っていても、ひとそれぞれ被害の状況や抱えている問題、そして悩みは違う。それはカウンセリングにおいても同じで、本人しか自分の本当の苦しみを理解したり癒すことは出来ないからだ。心理カウンセラーが出来るのは、その苦しみにどう向き合い、自分の五感覚や無意識を引き出してあげるお手伝いをさせて貰うだけである。そして最後はクライエントさんを信じて待つしかない。

 みずきはさちえに自分の想いをスマホのLINEメッセージに載せ、届けたのだ。その内容とは次のような内容であった。

美山みずき:「明日、楽しみにしていた中島みゆきさんのコンサート、一緒に行きたかったね。さっちんごめんね。いろいろとありがとう」

 そしてこのLINEメッセージの後に、音声ファイルをみずきは添付したのだ。その音声ファイルは中島みゆきの『眠らないで』という唄だった。直ぐにこのLINEメッセージは既読になった。そして少ししてこんなメッセージがさちえからみずきの元に届いたのだ。

清水さちえ:「わたし達はどこにいても、お互いの夢を歩いて行きましょう」

 この内容を観たみずきは、高校時代を想い起こしていた。その当時、みずきとさちえは石巻と気仙沼のそれぞれの高校に通っていたのだが、二人とも演劇部の部長をしていたのであった。そしてみずきとさちえは同じ宮城県出身であり、また地域も近かったことから演劇を通して交流があったのだ。

 二人とも高校時代は同じ舞台で何度か共演し、その当時はみずきもさちえも演劇の世界で舞台女優になるのが夢であった。だからみずきが東京に旅立つとき、みずきのことを最後まで自分のことのように応援してくれたのがさちえだったのだ。

 両親の反対を顧みず上京したみずきのこころの支えはさちえだった。またさちえも実家の『清水旅館』を継がなければならなかったので、自分の夢をみずきに託したのであった。普段自分の弱音や悲しみを表に出さないみずきであったが、さちえには本当の自分をさらけ出すことが出来る。そう言う存在だったのだ。遠く離れていても二人は、今ある夢に向かってこれからも一緒に歩んで行くのだろう。

 『さとう電気店』を後にした五人は石巻霊園へと向かった。この霊園には今年三月に、あの東日本大震災(3.11)があった日と同じ日に、学たちは訪れている。そしてこの霊園にみずきとゆうの両親のお墓があるのだ。五人はみずきの両親のお墓、そしてゆうの両親のお墓にそれぞれ線香をあげ手を合わせて祈った。この時、学の祈った思いだけ伝えておこう。

倉田学:「全てのご先祖様、苦しみも悲しみも風となって、その風をしっかり受けとめ感じます」

 こう学はこころの中で祈ったのである。すると学の頬に少し冷た風があたったように感じた。それは気のせいだったのかも知れないが、学はその風が遠い昔の出来事を自分の近くで感じさせてくれる風のようにも思えたのだ。そして生きとし生けるものの全ての魂(霊性)と同調していくような錯覚を覚えた。とても不思議な出来事で、自分の中のこころより深い部分に触れたような気がしたのであった。学にはそんな風に感じたのである。

 学たちは石巻霊園を後にして、石巻市内で昼食を食べることにした。お盆休みと言うこともあり閉まっているお店も多かったが、ゆうが行きつけのお店を紹介してくれたのであった。こういう時はやはり、地元に詳しい地元民の地の利とお勧めの穴場を知っているひとがいるのは本当に有難い。五人はゆうが勧めてくれた定食屋に入りお昼ご飯を食べたのだった。そしてゆうが他の四人にこう話した。

ゆう :「明日、待ちに待った中島みゆきさんのコンサートがあるんです」
倉田学:「そうなんですねゆうさん。三月にゆうさんが話してくれた、石巻に中島みゆきさんを呼ぶことが実現するんですね。他の皆さんも知ってましたか?」
ゆき :「ええぇ、まあぁ」
みさき:「はい」
美山みずき:「倉田さんには秘密にしてたんですけど、皆んな複雑な思いがあるのよ。被災した全てのひと達が、この復興に向けたコンサートについて 捉え方が違うから」

 学はみずきのこの言葉を聴いて何となく理解出来たのだ。それは学が「東北被災地の旅」で、各地を移動して観てきた風景やそこに住むひと達の様子からも伺えたからであった。そして改めて自分がこの「東北被災地の旅」で何が出来るのだろうかと、自分に問い掛けていたのだ。


 この日学は午後から、みずきに石巻市にある大川小学校の元生徒たちに、何かセラピーをしてくないかとお願いされていたのだ。学はこのお願いを、引き受けていいものかどうかすごく迷った。それは自分が本当に、大川小学校の元生徒たちの役に立てるか分からなかったからだ。しかし三月に、石巻の地元の代表から言われた言葉が、学のこころを突き動かした。その言葉とは次のような言葉であった。

地元の代表:「君の第二の故郷だと思って来るちゃ!」

 この言葉があったから学はまた、こうして再びこの地に来る決意をしたのだ。そして僕を必要としてくれるのであれば、被災者のために手伝わせて頂こうと、こころの中で固く誓っていたのであった。だから学は、大川小学校の元生徒たちに絵本セラピーを行うことにしていた。ゆうはその絵本セラピーで使うクレヨンと画用紙を用意してくれていた。

倉田学:「午後から大川小学校の元生徒に絵本セラピーをしますが、お願いしておいたクレヨンと画用紙はあるでしょうか?」
ゆう :「倉田さん。ちゃんと準備しておきましたから大丈夫ですよ」
美山みずき:「倉田さん。また宜しくお願いしますね」

 こうして一同は定食屋を出て、そして石巻市の大川小学校があった場所へと向かったのだ。そこは石巻市内から北上して、北上川と旧北上川に挟まれた場所にある小学校であった。あの東日本大震災(3.11)による津波で、多くの児童と教員が命を落とした場所でもある。その校舎に近づくと、流線型を彷彿させるコの字と円からなる造りの校舎が学には見えた。しかし建物から鉄骨は向き出し、コンクリートも剥がれ落ち無残な姿をしていたのだ。その当時の記憶がありありと蘇って来るようなそんな錯覚に陥り、あの震災による津波で、北上川を北上した津波は50分にも満たない間に、全てのものを飲み込み、そして攫っていったのである。

 学は校舎の近くにある慰霊碑と献花台を観て、自分が本当に子供たちの力になれるのか戸惑いを隠せないでいた。みずきは学たちを載せた車を大川小学校のすぐ脇に停めた。そして五人は車を降り、地元の代表と大川小学校の元生徒と親たちに挨拶をしたのだった。

美山みずき:「久しぶりだっちゃ。元気だっだがぁ!」
地元の代表:「みずきちゃんも久しぶり。元気だっちゃ」
倉田学:「お久しぶりです。宜しくお願いします」
地元の代表:「倉田さん、良くきたっちゃ。まぁだ、お願いだがやぁ」
倉田学:「あっ、はい」

 最初に学たちは、大川小学校で亡くなったひと達の慰霊碑に献花をし黙祷を捧げた。そして二度とこのような惨事を引き起こさないようこころに祈ったのだ。こうして学は、大川小学校の元生徒への絵本セラピーが始まった。 
 学は画用紙の中央に半径2cm程の円をサインペンで書き、それを集まった元生徒たちに手渡した。この日集また元生徒たちは、10名にも満たなかった。しかし学はそんなことも気にせず、元生徒たちに説明を始めたのだ。

倉田学:「初めまして皆さん。東京から来た心理カウンセラーの倉田と言います。今日は皆さんと絵本セラピーをしたいと思います。皆さんにお配りした紙に、僕がこれからお話する話を聞いて、感じたことや思ったことをクレヨンを使って自由に塗ったり描いたりしてみてください」

 そう学が大川小学校の元生徒に話すと、何を塗ったり描いたりしていいのかわからない子供たちもいて、戸惑った様子をしたのだ。そこで学はこうつけ加えた。

倉田学:「今から塗ったり描いたりして貰うことに、上手い下手はありません・。僕の話を聞いて、思ったことをそのまま描いてくれれば大丈夫です。一番大切なことは思ったことをそのまま描いて、そして楽しむと言うことです」

 そう言うと元生徒たちは、少し安心した表情を浮かべているように学には感じられた。こうして学の絵本セラピーは始まった。学が話した話はイソップ寓話の『北風と太陽』だった。この話はご存知の方も多いだろう。簡単に説明するとこう言う内容である。

【北風と太陽】
 ある日、北風と太陽のどちらが強いか口論となった。そこで力試しに、旅人の着ている服を脱がせた方が勝ちと決め対決したのだ。
 最初に北風がその旅人の着ている服を脱がせるのにビューッ!と思いきり強く旅人に風を吹いた。旅人は震えあがって服を押さえたので、更にビュー ビューッ!と風を吹かせた。すると旅人はもうたまらんと1枚上着を着込んだ。北風はもう駄目だと思い、太陽にまかせることにした。
 太陽は日差しを強くして、ポカポカとその旅人に日差しを照らした。すると旅人は暑くてたまらんと言って、上着を1枚2枚と脱ぎ始めたのだ。ジリジリと照りつける暑さに旅人は、最後には服を全部脱ぎ近くの川に飛び込み水浴びをした。
 ひとは何かをしてもらうのに、無理やりやってもうまくはいかない。
 太陽のように相手の気持ちになって考えれば、きっとうまくいくんじゃないだろうか。

 学がこのイソップ寓話の『北風と太陽』の話を子供たちにしている間、子供たちは学から渡された画用紙にクレヨンを使って思い思いに塗ったり描いたりしていたのだ。子供たちはそれぞの色を使って色んな色を塗った。最初に学が画用紙の中央に書いた円を太陽に見立てる子もいれば、雲や風を描く子もいたのだ。
 それぞれ個性溢れる作品が30分ぐらいで仕上がっていった。学はこの絵本セラピーをセラピーとして今回使用した。学の今回の目的はあくまでセラピー、つまり癒しと言う側面で使用したのだった。それには幾つか理由があった。その大きな理由として、ひとの心を診断のように精神分析的に使うのが好きでは無かったからだ。

 子供たちは絵本セラピーをやる前と、し終わった後では随分と口数も多くなり、表情も和らいでいた。そしてその姿を学たちに見せてくれているように感じたのだ。この表情を観ることが出来るから学は、心理カウンセラーとしてこれまで続けて来れたのかも知れない。そして改めてカウンセラー冥利に尽きると学は思っていたのだ。この今の子供たちの笑顔が自然と学に伝わり、学が今回の絵本セラピーで子供たちやそのご家族、そして関係者に伝えたいことが凝縮されていたのである。

 それは学が今回の絵本セラピーに『北風と太陽』を選んだことに関係する。学自身も太陽のような、そんな存在で在りたいと言う思いが強かったからだ。この絵本を通して、学の思いが伝わればとこころの中で思っていたからでもあった。こうして大川小学校での絵本セラピーは終わった。学たちが帰ろうとしたとき、子供たちから歌のプレゼントがあると地元の代表のひとに言われたのだ。

地元の代表:「倉田さん、ありがとだっちゃ。やっぱり来てもらって良かったちゃ」
倉田学:「こちらこそ、ありがとう御座います」
児童代表:「倉田さん。今日はありがとうございました」
皆んな :「ありがと御座いました。僕たち、わたし達は前を向いて頑張っていきます。倉田さんも、また遊びに来てください」
倉田学:「僕は『風の又三郎』。いつか皆んなの前からいなくなる。だけどまた風が吹いたら、その間だけ戻ってくる」

 こう学が言うと、大川小学校の裏山から風がビューッ!と学たちのいる場所に旋風(つむじかぜ)のように吹き、そして北上川の方へと抜けていった。そして学たちにお礼と別れの歌をプレゼントしてくれたのだ。その歌とは唱歌の『埴生の宿(Home Sweet Home)』であった。

 大川小学校の元生徒たちは、校歌は亡くなった生徒のことを思い出し悲しく辛くなるので、この『埴生の宿(Home Sweet Home)』を校歌の代わりに歌うのだそうだ。この歌を聴いて学は、亡くなったおじいちゃん、おばあちゃんのことを思い起こしていた。子供たちは皆んなでこの歌を合唱し、そして別れを惜しんだ。学は自然と瞳から涙が溢れ出し、それがさっきまで吹いていた風に当たり、自分のこころと此処にいる大川小学校の生徒たちの気持ちが重なり、分かち合うことが出来たように感じた。自分も前を向いてしっかり生きていこうとこころに誓ったのである。

 こうして学たち五人は大川小学校を去ることとなった。地元の代表のひとや大川小学校の元生徒たち、そして保護者に別れの挨拶をして車に乗り込んだ。最後まで手を振って言葉には出さなかったがしっかりと生きていこうと誓ったのであった。こうして学たちを乗せた車は石巻駅傍のホテルへ向かったのだ。
 そのホテルは今年三月に泊まったホテルと同じホテルであった。みずきは車を駐車場に停め、ゆう以外の四人はホテルのフロントロビーで部屋の鍵を受け取った。ゆうをロビーに残し学たち四人は部屋に荷物を運び、そして再びゆうの待つ1階のフロントロビーに降りてきた。そして五人が揃うとみずきはこう言ったのだ。

美山みずき:「皆んなで『日和山公園』に行きましょう。そう皆んなで、行きましょう」

 その言葉を聴いた学はこう訪ねたのだった。

倉田学:「みずきさん。今の言葉、『生きましょう・・・』って言うことですよね?」
美山みずき:「・・・・・・」

 みずきは学の質問に何も答えなかった。しかしここにいる誰もが学の感じていた気持ちと一緒だったであろう。そのことは、この言葉を聴いた皆んなの表情からも感じ取ることが出来た。そして学自身も同じ気持ちを抱いていたのだ。こうして五人はまた車に乗り込み、今年三月に訪れたあの「日和山公園」へと向かった。その場所はみずきが大切にしている場所で、両親との想い出の場所でもある。
  車は坂道に差し掛かり、みずきは前回訪れた時と同様にギヤを入れ替え、その坂道を車は登り出したのだ。その坂の横には、みずきが卒業したと思われる高校が見えた。そして坂道を登り切ると、一気に開けた場所が広がったのだ。学が春に訪れた時と違って、爽やかな風が吹いていた。みずきが車を停めると学たちは車から降り、最初に「日和山神社」へと向かったのだ。そして今年三月の時と同様に日頃の感謝のお礼をした。

 今回のお礼は学の中ではいろいろなものがあった。それはおじいちゃん、おばあちゃんから教えて貰った大切なものだ。そして学もそれを大切にして行こうとこころに誓った。おそらくみずきを始め他の三人も、こころの中で大切にしているものがあり、これからも大切にして伝えて行きたいと言うものがあっただろう。それは言葉にする必要はない。自分の中で強く思い、そして「形のないプレゼント」として伝わっていくのだから・・・。そう学は信じていた。

 こうして「日和山神社」や「日和山公園」のある高台で、しばらく時間を過ごしたのだ。学はスケッチブックと鉛筆で、「日和山神社」や「日和山公園」、そしてそこから観える石巻の景色などをデッサンし描いたのだった。        
 柔らかい鉛筆の線が、温かい陽射しと風に吹かれ、学の筆のタッチを走らせた。それはまるで周りから見ると、学と被写体が同化して行くような有様であった。この時の学は、カウンセリングでクライエントの「仕草」「呼吸」「表情」と合わせるのと同じで、その描いている被写体に物凄い集中力でいて自然体で向き合うことが出来たのだ。

 また学のその向き合い度合いが、学の描く絵に生き写しとして乗り移っているようにも思えたのだった。だから学は被写体と丁寧に向き合うことを何時もこころ掛けていた。それはカウンセリングでも同じことだ。自分がどれだけクライエントと丁寧に向き合ったかが、絵と同様に現れて来ると学は思っていたからである。
 つまり絵を描く姿勢とカウンセリングでクライエントに向き合う姿勢は同じで、それが絵の場合は自分の生き写しとして如実に現れると言っても良い。だからいい加減な姿勢で、学は絵と向き合ったことは一度もない。また失敗した作品なんて言うのもない。うまくいかないのは自分の絵の向き合い方が丁寧な向き合い方をしていないからであり、それもまた自分自身の生き写しだからだ。こうして学は何枚かデッサンしたのだった。この学の描く姿を観ていた四人は、学がデッサンを描きあげるとこう言ったのだ。

ゆう :「倉田さん。絵を描くのうまいですねぇ」
倉田学:「僕は好きだから続けてるんです。うまいかどうかは僕にはわかりません。でも、嫌いなことは長くは続かないだろうし、好きだから描き続ける。僕はこれで十分じゃないかと思うんです」
美山みずき:「倉田さんらしいわねぇ。好きなことをやり続ける。これって単純そうで難しいから。わたしも演劇をやってた頃は倉田さんと同じだったから」
みさき:「いつもは『ペン』ですけど、今日は『鉛筆』なんですか?」
倉田学:「ええぇ、まあぁ。色もつけたいなぁ、と思ったので『鉛筆』でデッサンしました」
みさき:「これから色もつけるんですか?」
倉田学:「色は後からつけます。僕の瞳に色は焼き付けましたから、あとはこころの心情で描きます」

 こう学がみさきに答えると、みさきはこう言ったのだった。

みさき:「描きあがったらその絵、観せてください」

 すると他の皆んなもこう言ったのだ。

ゆき :「倉田さん、わたしにも観せてくださいよ」
ゆう :「倉田さん、石巻にいる間に描きあげてくださいね」
美山みずき:「倉田さん、描いた絵はどうされるんですか?」
倉田学:「そうですねぇー。『形のないプレゼント』が必要なひとに差し上げます」

 学がこう答えると、皆んなは揃ってこう言ったのであった。

皆んなで:「わたし達にも『形のないプレゼント』ってあるんですか?」

 学はこの言葉を聴いてこう答えたのだ。

倉田学:「皆さんには、もう僕からの『形のないプレゼント』は差し上げていますよ。今度は貰うのではなく、あげる番です。皆さんの『形のないプレゼント』がどんなプレゼントで、誰にあげるかは自由です。僕はただ、そのきっかけをプレゼントしただけですから」

 こう学が皆んなに言うと、皆んなは揃ってこう返事をしたのだった。

皆んな:「はぁーい。倉田さーん」

 学はとても嬉しかった。自分が大切にしているものに気づいてくれているひと達がいて、それを伝えることが出来ていると感じたからだ。そして学がおじいちゃん、おばあちゃんと約束したことを、ちゃんと守ることが出来ていると言うことがわかったからであった。

 学は「日和山公園」でのスケッチを終えると、自分のカバンにスケッチブックと鉛筆をしまい、何やらカバンの中に手をやり探し始めた。するとカバンからオカリナを取り出したのだ。学はその取り出したオカリナを自分の口元に持っていき、オカリナをこころを込めて吹いた。学の吹いたそのオカリナの曲は、ジブリ映画の魔女の宅急便の曲である『海の見える街』であった。

 学たちがいるこの「日和山公園」の高台は、石巻の街を見渡すことができる場所にあり、その街並みへと学の吹くオカリナの音色は風とともに届いていき、旧北上川が太平洋へと裾広に繋がるのが見渡せる場所である。そして太平洋から学たちのいる高台に潮風が少し冷たく吹いていたのだ。

 その風に乗って、学の吹く『海の見える街』の音色を遠くまで運んでくれているように学には感じた。『海の見える街』を吹き終わると、しばらく瞼を閉じ潮風を感じていたのだった。他の四人も学と同様に、しばら瞼を閉じ風を感じていたのだ。
 短い時間ではあったが、それぞれ想い思いにこの石巻の『海の見える街』の潮風を感じることが出来ただろう。どう感じたかは、それぞれ皆んな違っていても構わない。それは今まで自分の大切にしてきたこと、そしてこれからも大切にしていくことを再確認できればいいのではないだろうか。

 こうしてまた学たちは車に乗り、ホテルへと戻ったのだ。もう外は暗くなり始めていた。ホテルに戻た学たちは、みずきの叔父さんの佐藤さんから、一緒に夕食を佐藤さんの家で食べないか誘われていた。ゆうとホテルで別れ、またゆうのお店「石巻駅前 Café&Bar Heart」で落ち合うことを約束し別れたのだ。


 佐藤さんの家は石巻駅から歩いてすぐのところにある。そして学たちの泊まっているホテルからも近い。四人はホテルから歩いて佐藤さんの家に向かった。学たちは線路を渡った反対側にある佐藤さんの家にお邪魔したのだ。震災による津波で佐藤さんの家も流され、そして建物はまだ建てたばかりであった。みずきが佐藤さんの家の玄関の扉を開けてこう言った。

美山みずき:「おばんですぅー。みずきだっちゃ、お邪魔するちゃよ」
佐藤さん:「よぐぎたなぁー。家入るっちゃよ」

 こう佐藤さんが言うと、佐藤さんの奥さんも料理を用意して待っていたのだ。そしてこう言ったのだった。

叔母さん:「たまげた、みずきつぁん。よく来っちゃ」
美山みずき:「叔母さんも久しぶりだっちゃ。一緒に来た三人も紹介するっちゃよ」

 そうみずきは佐藤叔母さんに言い、学たち三人を紹介したのだ。

美山みずき:「東京から一緒に来た倉田つぁん。みさきちゃん。ゆきちゃんだっちゃ」

 こう言うと三人はそれぞれ挨拶をした。

倉田学:「初めまして倉田と言います。東京からやって来ました」
みさき:「こんばんはみさきと言います。わたしは福島県 南相馬市の出身です」
ゆき :「ゆきです。こんばんは、わたしは宮城県 南三陸町の出身です」

 それぞれこう挨拶をして食事の席に案内されたのだ。この日の夜は、佐藤さん一家や佐藤さんの親戚も集まっていた。みずきにとっては久しぶりに、親戚と夕食を囲むこととなった。石巻のひとたちは、とても暖かく学たちを迎えてくれた。それは学みたいな東京のよそ者に対して、佐藤さんは佐藤さんの親戚達で一緒に過ごす大切な時間を、僕たちの為にわざわざ招いてくれたからだ。そして、そのはからいや気使いを学は強く感じたからであった。     
 だから学はその気持ちが痛いほど分かり、とても嬉しくもあり、また東北の被災者たちの為に「自分には何ができるどろう・・・」と改めて自分に問い掛けていたのだ。そんなことを考えていると、佐藤さんが乾杯の音頭をとってこう言ったのだった。

佐藤さん:「それでは皆んな集まっちゃ。みずきつぁんが東京から、きれーなおなご連れてきちゃと。それとまぼい男もいるっちょよ! では皆んなで乾杯するっちゃ。カンパーイ!」
美山みずき:「カンパーイ!」
倉田学  :「カンパーイ!」
みさき  :「カンパーイ!」
ゆき   :「カンパーイ!」
皆んな  :「カンパーイ!」

 こうして皆んなグラスを持ち乾杯した。この日の料理は佐藤さんの奥さんと親戚の方たちが用意してくれたのだ。刺身が生簀に乗って出て来た。とても新鮮で、まだ採れたばかりであることが伺える。それは刺身の色合いと艶やかさ、そしてとても鮮やかな彩りをしていたからだ。また魚のお頭も乗っており、口元が僅かに動いていることから、捌いたばかりだと言うことが学にもわかったのであった。
 学がその刺身を口にほうばると、今まで味わったことのない油のノリと、引き締まった刺身の弾力感ある歯ごたえを感じることが出来た。東京では味わえない港街ならでわの贅沢だ。そしてお酒の量も何時もよりついつい進んでしまう。

 刺身の次は天ぷらが出てきた。こちらは海の幸に加え山の幸も満載の天ぷらであった。大地の恵みと言うのはとても有難いものだ。学は普段、ひとり暮しなので、食事に関してあまり気にしていなかった。しかしこうして地方や田舎に来ると、その土地でしか味わえない海の幸、山の幸がある。僕たちは普段、あまりこう言うことを意識せず生きている。
 しかし僕たちが幸せに暮らして行けるのは、こうした海の幸、山の幸の恩恵を受け、それに携わるひと達の努力により美味しい食事を食べることが出来るのだ。東日本大震災(3.11)で今まで続けてきた農業、林業、畜産そして水産業に携わる全てのひと達の生活が、少しでも前のように戻れるよう、学はビールを飲みながら感慨深く考えていた。

 みずきやみさき、そしてゆきは、佐藤さんや佐藤さんの親戚の方たちにお酌をして、この席に呼んで貰った感謝の気持ちを込めてお酒を注いでいた。この辺は流石に、みずきのお店「銀座クラブ SWEET」で働いているスタッフだけのことはある。自分達が何をするべきか言われなくてもちゃんとわかっているからだ。
 ひとを育てると言うことはこう言うことだ。自分が模範となって行動で示し、それを観た周りのひともそれに気づき、自然と自分もそのような人物になりたいと憧れ、それが水面の波紋のように広がって行く。その連続が素晴らしいお店、素晴らしい社会、そして素敵な日本を作るのではないだろうか。そう学は思っていたからであった。みずきはそれに値する女性だった。だから学はみずきに惹かれるところがあったのだろう。
 そして皆んなでの食事も終わり、この後どうするかと言う話になった。するとみずきがこう言ったのだ。

美山みずき:「ペルセウス座流星群を皆んなで観ませんか?」

 そう言うとみさきもゆきもこう言った。

みさき:「そおぉーですよねぇー。わたし賛成!」
ゆき :「わたしも観てみたーい」

 すると佐藤さんの奥さんがこう言ったのだった。

叔母さん:「みずきつぁんに頼まれてた浴衣あるっちゃよ。どうするっちゃ?」

 この質問にみずきはこう答えたのだ。

美山みずき:「では、誰かさんのためにきるっちゃよ。みさきちゃん、ゆきちゃんのぶんもあるっちゃ」
みさき:「本当ですか。やったー! 倉田さん。良かったですねぇー」
ゆき :「わたしの分もあるんですね。倉田さん。みずきママの浴衣姿観れますよ」

 三人は浴衣に着替えに奥の部屋に行った。するとお酒を飲んで酔っている佐藤さんや親戚のひと達から学はこう言われたのだ。

佐藤さん:「倉田つぁん。みずきちゃんが好みっちゃ? みずきは昔からめんこいから、倉田つぁん好きになるのもわかるっちゃよ。好きっちゃか、倉田つぁんは?」

 この質問は、飲みの席での男同士の間では良くある話だ。そして学は、格好の酒の肴と言ったところだろう。学は隠す必要がなかったので、こう答えた。

倉田学:「僕は振られましたから」

 そう学が言うと、佐藤さんや親戚のひと達は学に向かってこう言ったのだ。

佐藤さん:「おらっちゃ倉田つぁん、いいひとだっちゃ。おらは倉田つぁんを応援するっちゃよ」
親戚のひと:「倉田つぁん、なして振られたっちゃ? わげ教えてくれねぇがぁ?」

 次に来たこの質問に対しては、なんと答えればいいか学自身迷った。そして仕方なく学はこう答えたのだ。

倉田学:「コウノトリに聴いてみてください」

 こう学が言うと、その場にいた全員が学に向かってこう言ったのだった。

皆んな:「倉田つぁん。倉田つぁんは、コウノトリみたいなひとだっちゃ」

 学には何が言いたいのか何となくわかった。それは学が天然記念物のようなひとだと言うことだ。そしてそこにみずきやみさき、ゆきが浴衣に着替え戻って来た。するとみずきは何を盛り上げって話していたのか聴いてきたのだ。

美山みずき:「なに盛りあがってるっちゃ?」
佐藤さん:「倉田つぁん。コウノトリみたいなひとだっちゃ」
美山みずき:「もしかして、天然記念物?!」
みさき:「倉田さん、確かスマホのLINEアイコンも阿寒湖のマリモだったけど・・・」
ゆき :「ひっとして、コウノトリも阿寒湖のマリモも・・・」

 それを聴いた全員が何を言いたいのか、勿論、学にはわかっていた。そして全員が声を揃えて学にこう言ったのだ。

皆んな:「やっぱりー、天然記念物!」

 佐藤さんの家に、天然記念物と言う大きな声が木霊(こだま)した。それはとても不思議であった。学のある意味「天然」が、周りのひと達を幸せにできるのだから・・・。
 そして学たちは家の外へと出たのだ。空を見上げると満点の夜空を眺めることが出来る。その星空は、気仙沼で観た夜空と今こうして石巻で観る夜空では少し違う、これは地球という天体から僅かな緯度・経度が違うだけで、同じ夜空でも違った表情を学たちに見せてくれるからだ。だから学は夜空が好きである。

 都会とは違って空気が澄んでおり、潮風で空気に淀みがない。学たちは夜空を見上げペルセウス座流星群が地球に降り注ぐ流星を観た。その流星を観ていると生命(いのち)の尊さと儚さを感じる。それは一瞬の煌きと共に消えて無くなるからだ。
 それは花火で言えば、線香花火のように学には感じられた。最初はチラチラと輝き、途中からその火花は火力を増して力強く煌き、最後に大きな珠からわずかな光を放って一気に雫のように滴り落ち消える。その時に感じる儚さや切なさが人生そのもので、それは宇宙と言う銀河においても同じであると学には思えたからだった。
 しばらく四人が夜空を見上げていると、ゆうが浴衣を着てやって来た。そしてこう言ったのだ。

ゆう :「倉田さん、ずるいですよ。わたしもペルセウス座流星群を一緒に観たいです。今日はお店が暇だから一緒に観ます」
倉田学:「すいませんゆうさん。ゆうさんは、お店が忙しそうだから誘うの悪いかなって思って」
ゆう :「そんなことありませんよ。わたしも『チーム復興』のメンバーです。それにわたし、ペルセウス座流星群がもっと綺麗に観られる場所を知ってます。そこに皆んなで行きましょう」
倉田学:「そこは何処でしょうか?」
ゆう :「『がんばろう!石巻』の看板がある美浜町です」
美山みずき:「そう言えば確か、今日明日とお盆の二日間。『がんばろう!石巻』の看板のあるところで、震災で命を亡くしたひと達の精霊を鎮めるために燈籠が灯されることになっていたわねぇ」
倉田学:「そうなんですか、みずきさん。でもここからじゃ歩いて行けないし、お酒も飲んでしまったから」
ゆう :「そう言うと思ってました。わたしお酒飲んでいません。わたしの車に乗って行きましょう」

 そうゆうが言うと、学たちはゆうの乗ってきた車に乗って、美浜町の「がんばろう!石巻」の看板があるところに向かい、その傍に車を停めた。そして学を始めみずき、ゆうそしてみさき、ゆきの五人は、「がんばろう!石巻」の看板のある方へと近づいて行ったのだ。
 学たちが近づくに連れて、看板の場所だけ燈籠の蝋燭の炎により、幻想的な温かい炎の灯りで、「がんばろう!石巻」の看板は照らされていたのだった。
 それを観た学は、震災で亡くなった方たちの魂(霊性)が、この場所に精霊馬によりわたし達のところに戻って来てくれているような錯覚を覚えたのだ。とても厳かで、その燈籠の蝋燭の灯火が、わたし達生き残った者と死者との生命(いのち)の繋がりを交すことの出来る。そんな場所であるように感じられたからであった。

 そして五人は、その「がんばろう!石巻」の看板の傍まで行き、出掛ける前に慌てて用意した燈籠の蝋燭に火を灯しそっと置いたのだ。この場所では明日、野外コンサートが行われることになっている。中島みゆきが訪れることが決まっていたからだ。前日の今日、この燈籠と共に中島みゆきの『帰れない者たちへ』と言う唄が流れていたのだった。それは東日本大震災(3.11)の地震や津波で亡くなった死者の精霊を慰める唄のように学には感じられた。

 こうして学を始め五人はそっと瞼を閉じ、想い思いに自分の両親や亡くなったご先祖様のことを思い起こしていた。学は自然と涙が頬を伝い流れてきた。それはもちろん学のおじいちゃん、おばあちゃん、そして震災で亡くなったひと達に対する思いもあったのが、自分の中にある、まだ解決できない両親との嫌な想い出や、学の中にある両親からこの先もう一生愛されないし、愛されることもないだろうと言う感情が湧き起ったからだ。

 学以外のみずきたちも想い思いに自分の両親や家族、そしてご先祖様のことを想い起こしていただろう。そして自然と瞳なら涙が溢れて来た。東日本大震災(3.11)と言う未曾有の出来事で、全てを失いそしてそこから四人は必死に今まで生きてきた。それは学が想像してもしきれないだろう。そんな中でも、彼女達や震災で家族や身内を失ったひと達は必死に生きている。この現実を僕たちは決して忘れてはいけない。学はそうこころに誓ったのだ。そして涙を堪え満天の夜空を眺めたのだ。

 それはさっき観た夜空より、とても深く遠くまで見渡せるように学には感じた。この美浜町は震災により全てのものが流され、今も何ひとつない荒野だ。でも空を見上げると、それとは対照的にとても美しい。自然と学は宇宙の遥か彼方にある銀河に吸い込まれていったのだった。そしてこの日もペルセウス座流星群から地球に降り注ぐ流れ星が、綺麗な放物線を描き降り注ぐのだ。その時、みずきが学にこう言った。

美山みずき:「倉田さん、とっても綺麗ですね。こんなに流れ星が観られるなんて、わたし知りませんでした」

 すると他の三人もこう言ったのだ。

ゆう :「流れ星を観るのは、この場所が最高でしょ! 倉田さん」
みさき:「わたし、ひょっとしたらこんなに夜空を眺めたの小学生以来かも」
ゆき :「倉田さんって、昔から自分の宝物を大切にしてるんですね」

 そう皆んなが学に言うと、学はこう答えた。

倉田学:「皆さんも大切にしているものがあるじゃないですか。それに今日の皆さんの浴衣姿、とても似合ってますよ」

 するとみさきとゆきは口を揃えたようにこう言ったのだ。

みさき:「わたし達は、みずみママのついでだもんねぇー」
ゆき :「そうそう。倉田さんは、みずきママの浴衣姿が観たかったんだもんねぇー」

 学は必死になって弁解した。

倉田学:「そんなこと無いですよ。みさきさんもゆきさんも、そしてゆうさんも。とても浴衣姿が似合ってて綺麗ですよ」

 この言葉を学が発すると、ゆうは学に向かってこう言ったのだ。

ゆう :「倉田さんって心理カウンセラーなのに『わかり易いタイプ』なんですねぇ。顔にみずきママの浴衣姿が一番観たかったって、書いてありますよ」
倉田学:「えぇー。僕はそんなこと一言も言ってませんが、おっかしぃーなぁー」

 学がそう答えると、みずきがこんなことを言った。

美山みずき:「倉田さんと七夕の日に約束したこと。わたしちゃんと守りましたよねぇー」

 このみずきのとても遠まわしな言い方が、返って他の三人にとっては意味深に思えて学に視線が集中したのだ。だから仕方なく学はこう言ったのであった。

倉田学:「ではここで一句。夏草や 兵どもが 夢の跡(松尾芭蕉)」

 こう言うと、ゆうそしてみさき、ゆきがどう言う意味か聴いてきたので、学はこう付け加えたのだ。

倉田学:「『兵ども』と言うのが僕だとして、あとは検索してみてください」

 学にとって俳句とか和歌などは、自分の気持ちをオブラートに包んで心情と情景を掛け合わせて表すことが出来るのでとても重宝していた。そして学自身、自分の気持ちをストレートに伝えるのが苦手だったからでもある。こうして五人は満天の夜空を眺めた後、車でゆうのお店「石巻駅前 Café&Bar Heart」に向かったのだ。

 五人がゆうのお店「石巻駅前 Café&Bar Heart」に入ると、それぞれ飲み物を注文したのだった。学は今年三月に訪れた時に入れた、宮城県のウイスキー『シングルモルト宮城峽12年』をロックでお願いした。そしてゆうは学の前にあるテーブルの上にそっとグラスを置いたのだ。そしてこう言った。

ゆう :「倉田さんのために仙台の『笹かま』を用意しておきましたよ」
倉田学:「本当ですかゆうさん?」
ゆう :「ええぇ、倉田さん。春来た時に残念がってましたから」
倉田学:「ありがとう御座います。では早速、宮城のウイスキーで食べてみますね」

 そう言って学は「笹かま」を食べながら、「シングルモルト宮城峽12年」のロックを飲んだのだった。学が思っていた通り、「笹かま」と「シングルモルト宮城峽12年」の相性は抜群で、フルーティーなまろやかさが鼻から抜けるウイスキーに、仙台の「笹かま」の歯ごたえや噛むごとに「笹かま」から出る塩加減と風味の相性がとてもマッチしていたのであった。そして学は、ご機嫌にこう言ったのだ。

倉田学:「実に面白い!」

 それを聴いた他のみずきそしてみさき、ゆきも学の真似をしてゆうに「笹かま」を頼んだのだった。三人はそれぞれ「笹かま」と自分達が頼んだ飲み物を飲みながらこう言った。

美山みずき:「倉田さん、意外です。美味しいですねぇ」
みさき:「倉田さん。これ結構いけますねぇー」
ゆき :「わたし宮城に住んでいながら、こんな食べ方したこと無かったです」

 そう言うと、ゆうも自分が用意した「笹かま」を食べながらこう言ったのだ。

ゆう :「倉田さんって、色んなこと発見するの得意なんですか?」
倉田 学:「僕は心理カウンセラーだから、常に五感覚に丁寧に向き合っているだけです」

 学がそう答えると、他の皆んなも口を揃えこう言った。

皆んな:「倉田さんって、実に面白い! そしてこの『笹かま』は、いとをかし」

 これを聴いた学は嬉しそうな表情を浮かべて、皆んなに笑顔を見せたのだった。こう言った学との会話が、自然と周りのひと達を温かい気持ちにさせてくれるのだから不思議だ。それはさっきまで、「がんばろう!石巻」の看板のところで感じた暗い空気から温かい空気へと、一気に寒暖の色を変えてしまうように感じた。そして学はゆうにこう尋ねたのだった。

倉田学:「あした、中島みゆきさんが石巻に来るって言ってましたが、それは本当でしょうか?」
ゆう :「ええぇ、本当ですよ。あしたの夜にかけて、『石巻 ワンデー・ナイトコンサート(One Day Night Concert of Ishinomaki)』が開催されるんです」
倉田学:「場所はどこで行われるんですか?」
ゆう :「ちょうど今日訪れた、美浜町の海沿いの場所で行われるんです」
倉田学:「そっかぁー。いよいよ明日なんですね」

 そう学が言うと、みずきがこう口を挟んできた。

美山みずき:「ゆうちゃんを始め、石巻のひと達が頑張ったから。だからそのひと達の願いが、中島みゆきさんに届いたのよ」
倉田学:「本当に良かったですねぇ。僕たちも観に行けるんですか?」
美山みずき:「叔父さんが実行委員のひとりだから、わたし達のチケットの分も用意してくれているみたい」
倉田学:「叔父さんって、音響マニアの佐藤さんですか?」
美山みずき:「ええぇ」

 そうみずきが学に答えると、こんなことを学はみずきたちに言ったのだ。

倉田学:「そうすると、明日もみずきさん達の浴衣姿が観られるんですね」

 その言葉を聴いたみずきたちは、学に向かってこう言ったのだった。

美山みずき:「わたしの浴衣姿、そんなに観たいですか?」
ゆう :「倉田さん。倉田さんが観たいのは、みずきママの浴衣姿だもんねぇー」
みさき:「わたし達、みずきママのような色気無いし」
ゆき :「倉田さん。わたし達はどーせ、ついでですよねぇー」
倉田学:「そんなこと無いです。皆さんも浴衣姿がとっても似合ってるので、明日も観たいなぁー。そう思ったんです」

 こう学が答えると、皆んなは揃ってこう言った。

皆んな:「倉田さんって心理カウンセラーなのに、こころ読まれ易いですよ」
倉田学:「おっかしいなぁー。心理カウンセラーはこころ読めませんから」

 学はそう言って誤魔化した。その時、ゆうは中島みゆきの『常夜灯』と言う唄をお店に流したのだった。この曲はゆうのお店「石巻駅前 Café&Bar Heart」のお店の唄だ。震災や津波に遭い、何処にも行くところが無くなったひと達のこころの拠り所として、真っ暗な石巻の夜の街に遅くまで明かりを灯し、そしてその明かりに吸い込まれやって来るお客さん達のこころを癒してくれるそんな場所でもある。
 またゆう自身もお客さん達に支えられて、今日と言う日までこうしてお店を続けて来れたからだ。だからこの唄は、そんなゆうの想い入れがある中島みゆきの唄なのだ。

 しばらく学たちはこの唄に聴き入り、そして自分達の東日本大震災(3.11)からこれまでの時間を振り返っていた。ひとそれぞれ感じ方は違うが、誰もが嫌な想い出には間違いない。それを中島みゆきの唄が、こころに勇気や希望を与えてくれるそんな存在のように学には感じたのだ。こうしてこの夜は更けていったのだった。



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