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【物語】二人称の愛(中) :カウンセリング【Session45】

※この作品は電子書籍(Amazon Kindle)で販売している内容を修正して、再編集してお届けしています。

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※前回の話はこちら

2016年(平成28年)05月26日(Thu)

 学は今朝、何時もより早く起きキャリーバックに荷物を詰め急いで家をでた。そう今日から三日間、学のおじいちゃんが住んでいる広島県に向かうためだ。学は家を朝7時過ぎに出発し、羽田空港へと向かった。学は最寄駅である川口駅から京浜東北線を乗り継ぎ羽田空港へと急いだ。
 普段、学はこの時間帯に電車に乗ることが殆ど無い。学の乗る飛行機が羽田空港を朝9時過ぎに出発する便であった為、学はこの時間帯の電車に乗り込んだのである。この時間の電車は通勤や通学で物凄く混んでいて、学にはとても憂鬱な時間であった。そして広島市の病院で危篤状態であるおじいちゃんのことを考えると、その不安で学は胸が締め付けられ、とても苦しい思いになるのだ。お腹も痛くなり、学の不安と焦りが身体症状として現たのだった。
 そんな時、学はこころ落ち着かせ、自分の身体に焦りや不安を憶える箇所に意識を持って行き、そして自分の中の無意識と対話して行くのだ。それはまるで学がクライエントと対話し催眠状態のレベルで調和し同調させて行くのと同じで、その時の学は物凄い集中力でいて自然体で自分のこころと向き合うことが出来たからである。

 羽田空港に到着した学は、広島空港行きの便を待っていた。今日から伊勢志摩サミット2016(G7)が始まると言うこともあり、空港では厳戒態勢の重々しい警備が行われていたのだった。学はそれを尻目に羽田発 – 広島行の便に乗るのを待っていたのである。その時、空港ロビーアナウンスから学の乗る飛行機は15分程遅れて出発すると言うアナウンスが流れた。学はおじいちゃんに早く会いたいという気持ちと苛立ちを自分の中に感じたのだ。
 そして飛行機は予定の15分遅れで広島空港へと向かった。広島空港に到着後は、学はリムジンバスで広島市内へと入って行った。その時、学の時計の針は11時を指していたのだ。学は学の伯父さん、つまり母親の兄である英雄叔父さんから聴いていた、おじいちゃんが入院している広島市民病院へと急いだ。
 それから学はその病院のおじいちゃんがいる部屋の中に入って行った。そこには昨日、電話で話した英雄伯父さんと、友美伯母さんが椅子に座っているのを学は観ることが出来た。そして学はこう言ったのだ。

倉田学:「おじいちゃんはどんな様子なの?」
英雄伯父さん:「それが・・・。もう後は気力の勝負だと」
倉田学:「どうしてもっと早く、知らせてくれなかったの?」
友美伯母さん:「おじいちゃん、学が心配するから知らせるなって」
倉田学:「それで、意識はどうなの?」
英雄伯父さん:「昏睡状態で、今は酸素吸入と点滴を」

 そこに看護師を連れて医師がやって来た。そしてこう学に言った。

医師:「ご親族の方ですか?」
倉田学:「ええぇ、まあぁ」
医師:「和雄さんは肺がんでステージフォーです。肺から骨髄に転移していて取り除くことはもう無理です。あとどのくらい生きられるかは時間の問題です」

 この言葉を聴いた学は、おじいちゃんとあと一緒にどれだけの時間を過ごせるか考えたのだ。そして医師に学はこう言った。

倉田学:「僕はおじいちゃんと、おじいちゃんが死ぬ前に話がしたいんです。おじいちゃんにつけている酸素吸入器を外してもいいですか?」
医師:「そんな危険なことを、僕は医師として許すことは出来ない」

 学は医師が言ったことに対して噛み付き、そしてこう言ったのだ。

倉田学:「人間の死は、医師だけが決める権利を持っているのですか?」
医師:「何かあったら僕が責任を取らなければならない。だから許すことは出来ない」

 そう言うと学はこう医師と看護師に言った。

倉田学:「わかりました。この部屋から出てって貰えませんか。あなた達が観ていないところで僕が勝手にやったことなら、あなた達には責任が発生しませんよね」

 この言葉を聴いた医師と看護師は不服そうな表情を浮かべて部屋から出ていったのだ。そして学は英雄伯父さんと友美伯母さんにも、しばらく部屋から出て貰うようお願いしたのだった。

倉田学:「英雄伯父さん、友美伯母さん。しばらくこの部屋から出てって貰えませんか」

 そう学が二人に言うと、英雄伯父さんも友美伯母さんも部屋の外へと静かに出て行った。学はしばらく瞼を閉じ、そしておじいちゃんと過ごした幼い頃のことを思い起こしていたのだ。お祭りに行ってラムネを買って貰ったこと、お風呂に一緒に入って石鹸でシャボン玉を作ったこと、またお正月に凧揚げやコマ回しを一緒にしたことなど、全ての想い出が学の頭の中で走馬灯のように浮かんで来ては沸々と思い起こされる。
 そして学は瞼をゆっくりと開き、おじいちゃんの顔の傍に近づきこう言ったのだった。

倉田学:「おじいちゃん。僕はおじいちゃんに何にもしてあげることが出来なかった。ごめんなさい」

 そう学はおじいちゃんに語り掛け、おじいちゃんの口元に着けられている酸素吸入器を外したのだ。そしてこう言った。

倉田学:「おじいちゃん、僕は自分の死について考えたことがあるんだ。そして僕は思うんだ。人間は誰もが生まれた瞬間から死(崩壊)が始まるんだと・・・。僕たちは死を恐れて、そのことを考えず避けて生きてるんじゃないかと・・・」

 そう学がおじいちゃんに語り掛けると、おじいちゃんの表情が少し和らぎ嬉しそうに笑った。その姿を観た学は自然と涙が溢れ出し、その涙はおじいちゃんのほっぺたに雫となって落ち重なったのだ。その涙でおじいちゃんの顔色は一瞬ピンク色の鮮やかな色に変わり、その表情をおじいちゃんが学に見せてくれているように学には感じたのだ。
 今にも目を覚まし、学に語り掛けてくれるようなそんな感覚を覚えた。それと同時におじいちゃんに取り付けられていた医療機器からサイレンが鳴ったのだ。学は酸素吸入器をおじいちゃんの口元に慌てて戻した。するとさっきの医師と看護師が慌てて学とおじいちゃんのいる部屋に入って来た。

医師:「君、邪魔だからあっち行って!」

 学は部屋の入口付近でその様子を伺った。英雄伯父さんも友美伯母さんも心配そうに学の隣でその様子を観ていた。医師はおじいちゃんの胸をしきりに押し蘇生させようとしている。その様子を観ていた学は、おじいちゃんがとても辛そうで苦しそうに感じたのでその医師にこう言ったのだ。

倉田学:「先生、もういいです。もう僕のおじいちゃんを苦しめるのは止めてください」
医師:「僕は医者だ! ひとを見殺しにすることなど出来ないんだよ」
倉田学:「僕のおじいちゃんは十分生きました。そして僕はおじいちゃんと最後のお話が出来ました。もう十分じゃ無いですか」
医師:「僕は医師だから患者を死なせる訳にはいかない」

 学はもうこれ以上、おじいちゃんの苦しそうな姿を観ることが出来ず、その医師の傍まで行って、おじいちゃんの胸を押し続けるその医師の手を払い除けたのだ。そしてこう言った。

倉田学:「医師であるならヒポクラテスの勉強をしていますよね。『ヒポクラテスの誓い』を思い出してください」

 そう学が医師に告げると、その医師はもうこれ以上何も言わなかった。そして学のおじいちゃんに付けられたいた医療機器からのサイレンが、ピィーと言う一定音に変わり、その部屋の中に鳴り響いたのだ。

 学が言ったヒポクラテスとは古代ギリシアの医者で、医学の父と言われる人物である。そして『ヒポクラテスの誓い』の言葉の中に「自身の能力と判断に従って、患者に利すると思う治療法を選択し、害と知る治療法を決して選択しない」と言う誓がある。この部分が学の思いと違っていたからであった。
 
 学は大学時代に医学哲学・生命倫理なども勉強しており、研究室のゼミの卒業論文で死生学(Thanatology)の論文を学は書いていたからだ。学にとって死とは尊いもので、わたし達は死があるからこそ生(生きること)をどのように捉え、どのような人生観を描き生きることが良いかを模索し、その中に人間本来の感情である喜怒哀楽と言った感情があるからこそ、素晴らしい夢や希望を描くことが出来るのではないかと常日頃から思っていたからだった。
 そしてその中には勿論、悲しさや儚さそして寂しさも含まれているのだが、それがあるからこそ喜びや悲しみと言った五感覚が人間を豊かにし、備わっているんだと思っていたからである。

 こうして学はおじいちゃんと最後の死に目に立ち会うことができ、寂しい中にも自分がおじいちゃんと最後の対話を交わすことができ、少し清々しい感情が込み上げて来たのだった。それは今、ベッドの上で亡くなったおじいちゃんの表情を観て学にはそう感じられたからだ。こうしてこの夜は学のおじいちゃんのお通夜となった。学は広島市内にある英雄伯父さんの家に今日から二泊三日で泊まらせて貰うこととなり、お通夜までの間、学は少し外の空気を吸いに歩きに出たのだ。

 広島市民病院は広島市の中央部にあり、そこから歩いてすぐに広島城や広島美術館、広島市こども文化科学館などが広島市中央公園の傍に隣接している。学はその広島市中央公園まで行き、太田川の土手の傍に座り太田川の川の流れを見つめていた。そしてさっきまで一緒にいた、おじいちゃんのことを思い出していたのだった。そしてこう思ったのだ。

倉田学:「僕はおじいちゃんからたくさん大切なものを教わった。僕はおじいちゃんに恩返し出来ただろうか?」

 そんなことを考えていると急に強い風が吹いたのだ。

又三郎:「マナブ、僕のことを今呼んだかい」
倉田学:「君は誰だい?」
又三郎:「君の中のもうひとりの君だよ」
倉田学:「僕は本当に、おじいちゃんに恩返し出来たのかなぁ?」
又三郎:「それは君の中の無意識が知っているんじゃないかな」
倉田学:「僕の無意識が?」
又三郎:「そうだよ。君の無意識に聴いてみなよ」
倉田学:「どうやって聴いたらいいの?」
又三郎:「それは、君のこころが教えてくれると思うよ」
倉田学:「僕のこころ」

 そう学が言うと、さっきまで吹いていた風がピタリと止んだ。そして学は言った。

倉田学:「本当に君は誰なんだい?」
又三郎:「君は僕で、僕は君だよ。僕たちは何時も一緒じゃないか」

 そう又三郎が学に言うと、又三郎はすうーっと学の元から消えてしまった。学にはこの出来事がとても不思議で、とても長い時間一緒に共にしていたかのように感じられたのだ。慌てて学は自分の右手にはめている時計をみた。時間はさっきから数えて45分経っていたのだった。そして学は広島市内の路面電車に乗って英雄伯父さんの家へと向かった。
 英雄叔父さんの家は古くからの建物で、広島市への原爆投下後に戦後の復興と共に建てられた建物だ。平屋建ての建物を改築してはあったものの、その当時の記憶が思い起こされる作りで、学にはとても新鮮に思えた。そしてこの英雄叔父さんの家から少し離れた所に、おじいちゃんが住んでいた家がある。学はおじいちんのお通夜までの間、おじいちゃんの家に立ち寄ることにしたのだ。

 おじいちゃんの家の前に来ると、英雄伯父さんの家に負けないぐらい、当時の面影が残っていた。学は早速おじいちゃんの住んでいた家にあがり、家の中を観てみた。そして学は、おじいちゃんの部屋に置いてある机の上の本棚から一冊の本を手にしたのだ。それは道徳教育に関する本であった。学がその道徳教育の本を読み進めて行くと、次のようなことがわかった。
 そもそも日本では道徳教育を小学校、中学校で行っているようだが、その根底には中国史(史記・大学・中庸)や日本の仏教などの道(タオ)の教えから由来していると言うことを皆んな知っているのだろうか。その中でも中国哲学や古代ギリシア哲学の中に中庸があり、この意味するところは道(タオ)の中道にあたる。その意味は、「ちょうど良いバランスを保つことが道理である」と言う教えのようだ。
 そしてその中道の道(タオ)を極めるには、嘘偽りの無い誠・真・実(まこと)の道である必要があり、常にこころや精神をこの中道に向ける必要があるのだそうだ。中道を極めることが出来れば、よからぬ方向に行くこと無く、中立な視野で物事を判断することが出来るようになると言われている。わたし達は道徳を太古の昔から、文化、伝統と言う習慣や習わしで培って来て、そして過去から現在へと自然と引き継がれ作り上げてきた。

 そして道徳とは嘘偽りの無い誠・真・実(まこと)の道を、常に中立の立場の中道に置いておくことではないかと学には感じられたのだ。それは儒教、仏教、道教の教えと通ずるもので、わたし達は「ちょうど良いあんばいに徳を積み上げていく生き方」、つまりそう言う人生観を持ちなさいと言う教えであることを学は知ることが出来たのだ。
 学は改めて「なるほどなぁ」と感心し、おじいちゃんが何を大切に生きて来たのか初めて知ることが出来たのだった。そしてとても嬉しい気持ちになったのだ。我々もそうありたいと学は改めて誓った。こうしてこの夜は、身内のみによる親族だけでおじいちゃんのお通夜がしめやかに行われたのだった。



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