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【物語】二人称の愛(中) :カウンセリング【Session56】

※この作品は電子書籍(Amazon Kindle)で販売している内容を修正して、再編集してお届けしています。

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※前回の話はこちら

2016年(平成28年)07月22日(Fri)大暑

 先日まで続いていた梅雨が明け、また暑い夏の日が本格的にやってきた。学はカウンセリングルームのエアコンを何時も以上に効かせ、15時からの彩とのカウンセリングに備えて待っていたのだ。すると彩は学のカウンセリングルームに、何時ものようにやって来たのだった。

木下彩:「こんにちは倉田さん。今日は暑いですねぇー」
倉田学:「こんにちは木下さん。そうですね。梅雨が明けましたから」
木下彩:「倉田さん。彩でいいですよ」
倉田学:「そうですか彩さん。それで、前回お話したもうひとりの人格のひとみさんについてですが、彩さんは受け入れることができますか?」

 彩は少し考え、呼吸を整えこう答えたのだ。

木下彩:「わたしが去年、倉田さんの誕生日の日に渡した手紙のこと覚えてますか?」
倉田学:「ええぇ、まあぁ」
木下彩:「その気持ちは今も変わっていません」
倉田学:「そうですか。わかりました」

 学は彩の気持ちがすごく良くわかっていた。それは去年、彼女から貰った手紙に彩の思いが込められていたからだ。そして学には、その思いが痛く伝わった。だから彼女の手紙の最後の方に書かれていた「今の自分で無くなってしまったら、先生はわたしを受け止めてくれますか。そんなわたしを愛してくれますか」と言う一文が、とても学のこころに突き刺さったのだ。そしてこれまで行ってきた彩とのカウンセリングを、今後どの様に進めるか話したのだった。

倉田学:「彩さん。今まで彩さんに行ってきた『催眠瞑想療法』ですが、このところもうひとりの人格のひとみさんと統合するのに限界が来てます。そこで別の方法に変更しようと思っているのですが・・・」
木下彩:「その方法とはどのような方法なのでしょうか?」
倉田学:「それはですねぇ、『催眠表現療法』とでも言いましょうか」
木下彩:「その『催眠表現療法』とは、具体的にどんなことをするのでしょうか?」
倉田学:「まず、今まで通り彩さんに『催眠療法』を行います。そしてもうひとりの人格のひとみさんに出てきて貰い、そのひとみさんに『アートセラピー』を行います」
木下彩:「『アートセラピー』って、具体的にはどのようなことをするのでしょうか?」
倉田学:「僕ともうひとりの人格のひとみさんで、お互いペンとクレヨンを使って自由に絵を描きます。そして描いた幾つかの絵が何を描いた絵なのか 絵にタイトルを付けていきます。次にそのタイトルを組み合わせてひとつの文章を作って行きます。つまりストーリー(物語)を完成させると言うものです」
木下彩:「もう少し具体的に教えてください」
倉田学:「例えば三つの絵を描いたとします。そしてその三つの絵に、それぞれタイトルを付けていきます。例えば三つの描いた絵が、飛行機、サンタクロース、桜だとします。この三つの言葉を使ってストーリー(物語)を作ります。こんな感じに」

倉田学:「僕は『飛行機』に乗り遅れてしまった。でもきっと『サンタクロース』が何とかしてくれるだろうと思った。しかしそれは実は夢で、僕は『桜』の樹の下で目が覚めたんだ」

 学はこうして「催眠表現療法」の説明を一通り彩にしたのだ。そして彩が、これについてどう思っているのか訊いてみた。

木下彩:「倉田さん。なんか面白そうですねぇー。わたしにもできるんですか?」
倉田学:「もちろんです。一度、僕と彩さんでやってみますか?」
木下彩:「はい。是非お願いします」

 こうして二人は、この「アートセラピー」を行ったのだ。これは「アートセラピー」の中でも「スクイグル物語法」と言う療法で、学は良く子供のカウンセリングにこの心理療法を使うことが多い。こうして学と彩は早速、ペンとクレヨンを用意し、二人は机を挟んで向き合い、この「スクイグル物語法」を行った。

 一枚の画用紙にペンで何本か線を引いて、出来たマスに交互にペンを使って一筆書きでマスの中に自由に線を引き、引き終わったら向かいの相手に紙を渡し、線が引かれた同じマスの中にペンを使って線を書き加えたり、クレヨンを使って一つの絵に描き上げたのだった。そしてそれにタイトルを付けると言う作業を交互に行い、描き終わったらストーリー(物語)を考え完成させると言うものだ。
 二人はこの「スクイグル物語法」に没頭し、取り組んだのだった。そして一つの作品が出来上がった。それぞれ三つの絵のタイトルは、次のような名前であった。ハト、さる、ぶどうである。彩はこの三つのタイトルから、次のようなストーリー(物語)を完成させたのだ。

木下彩:「空から『ハト』が飛んできて、『ぶどう』の実を食べようとしていた。そこに『さる』が現れて、『ハト』と一緒に『ぶどう』を分けあった」
倉田学:「彩さん。なんか『日本昔ばなし』みたいですねぇ」
木下彩:「そうですか倉田さん。わたしのこの話しに何か意味があるんですか?」
倉田学:「彩さんの無意識が知ってるんじゃないかなぁ。僕はあまり『こころを分析』するのは好きじゃないから。彩さんがやってみて、面白いってそう思えればいいんじゃないかなぁー」
木下彩:「そうですか。わかりました。それではお願いします」

 彩は学にこう言ったのだった。学は彩が同意してくれたので、この「催眠表現療法」を今後行うことに決めたのだ。こうして彩とのカウンセリングは終わることとなった。この後、学は彩にこう訪ねたのだ。

倉田学:「彩さん。この後の予定とかって何かあるの?」
木下彩:「じゅん子ママのお店で仕事ですが・・・」
倉田学:「僕も今日、じゅん子さんのお店『銀座クラブ マッド』に行くんですよ」
木下彩:「わかりました。では一緒に行きましょう」

 こうして学は、彩とじゅん子ママのお店『銀座クラブ マッド』に行くこととなったのだ。彩は少し吹っ切れたような表情をしていた。その時、学は彩のカウンセリングに望む姿勢に感心していたのだ。それは、もし自分が彩と同じ立場だったら、一年以上にも及ぶカウンセリングに耐えられるか自信が無かったからである。それと同時に、自分の無力さも痛感した。そんなことを思いながら、学と彩はじゅん子ママのお店『銀座クラブ マッド』へと向かったのだった。二人はとても仲のいい恋人のように見え、夜の街へと吸い込まれて行った。そして新橋駅を降りた時、彩は次のようなことを学に言い出したのだ。

木下彩:「倉田さん。まだ時間ありますよねぇ」
倉田学:「ええぇ、ありますが・・・」
木下彩:「それじゃあ、『銀座クラブ SWEET』のみずきママのお店に連れて行ってください」
倉田学:「えぇー。彩さん、本当に行くんですか?」
木下彩:「わたし行くんです。倉田さんを振ったひとがどんな女性か確かめに」
倉田学:「いやぁー、それはちょっと」

 学はとても困った。まさか彩が、こんなにも行動力のある女性だとは思っていなかったからだ。おそらく一年前の彩には、こんな行動力は無かっただろう。しかし学のカウンセリングを受け、彩は確実にひとみと統合を遂げていたのであった。そして学は眼をつぶって、怒濤(どとう)に飛び込む思いでみずきのお店へと入って行ったのだ。その後から彩も、一緒にみずきのお店に入って行った。

倉田学:「こんばんは倉田です」
ゆき :「こんばんは倉田さん。どうしたんですか?」
倉田 学:「それが・・・」
ゆき :「倉田さんの後ろにいる女のひと誰ですか?」
木下彩:「すいません。みずきさんいますよねぇ。呼んで貰えますか?」
ゆき :「あなたもしかして、皐月(五月)に行われた『銀クラ おもてなしコンテスト(GINKURA –OMOTENASHI- CONTEST)』で優勝したひとなんじゃ!」
木下彩:「ええぇ、まあぁ。みずきさんを呼んでください」

 そこにのぞみとみさきがやってきた。そしてこう言ったのだ。

のぞみ:「あなた『シンデレラ杯』で優勝したひとよねぇ」
みさき:「何の用ですか?」
木下彩:「わたし、みずきさんに会いに来たんです」
みさき:「みずきママに何の用なの?」
木下彩:「わたし、倉田さんを振ったひとに言いたいことがあるんです」

 この時、学はとんでもない事になりそうな予感がした。そして、この状況を固唾(かたず)を飲んで見守っていたのだ。するとのぞみがこう言ったのであった。

のぞみ:「あなたみずきママに会う前に、わたしに説明しなさいよ」

 その時だ、彩はのぞみの顔をよく見直し、そしてこう言った。

木下彩:「あなたひょっとして、小学生のとき一緒だった北澤望じゃない。わたし木下彩だけど覚えてない?」

 のぞみは少し考え、思い出したかのようにこう答えたのだ。

のぞみ:「もしかして、小学生のとき一緒だった彩なの?」
木下彩:「そう、わたし彩だよ」

 こうして二人は、小学生時代に一緒だったことをお互いに思い出したのだった。皐月(五月)に行われた「銀クラ おもてなしコンテスト(GINKURA –OMOTENASHI- CONTEST)」の時は、彩はひとみに人格が入れ替わっていたので、彩はのぞみに気づかなかったのだ。
 一方ののぞみはと言うと、 彩がひとみの人格に入れ替わっていたのと、のぞみは顔と名前を覚えるのが苦手だったので、彩には気づかなかったのだった。こうして二人は小学生以来、再び再開した。そしてのぞみは彩にこう言ったのだ。

のぞみ:「あなた確か『銀座クラブ マッド』で、ひとみって言う名前でホステスしているわよねぇ?」
木下彩:「ええぇ、まあぁ」
のぞみ:「彩、何であなたひとみって名乗ってるの?」

 この質問に彩は少し困った表情を浮かべた。そこで学はこう説明したのだ。

倉田学:「実は、僕は『銀座クラブ マッド』に出張カウンセリングに行ってまして。そこで今日、彼女にお店まで案内して貰うことに。それでどうやら、ひとみって言う名前は、そのお店のママのじゅん子さんが付けてくれた お店での名前みたいですよ」

 学は何とも白々しい嘘をついた。するとみさきとゆきからこう言われたのだ。

みさき:「倉田さん、本当ですか。怪しい」
ゆき :「倉田さん、何で彩さんがこのお店に来るんですか?」

 そしてトドメを刺すかのように、のぞみは学と彩にこう言った。

のぞみ:「みずきママに何の用か、わたし達の前で説明してください」

 この言葉に彩は、何の躊躇(ためら)いもなくこう答えたのだ。

木下彩:「先日、七夕の日に倉田さん。このお店にいるみずきさんとデートしましたよねぇ。みずきさん、倉田さんをデートに誘っておきながら、倉田さんを振りましたよねぇ」

 学は彩が突然、爆弾発言をここにいる三人にしたので物凄く焦り、そして逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。また、ここにいるのぞみやみさき、ゆきも、みずきが学を振ったことなど知らなかったので驚いたのだ。そして更に彩はこう続けた。

木下彩:「わたし倉田さんを振った、そのみずきさんに会いたいんです」

 この時、この場に居合わせた彩以外のひと達は一瞬、思考回路を停止させられたのだ。学はこの状況を早く回避させなければと考えこう言ったのであった。

倉田学:「みずきさんはこのお店のママだから忙しいと思うよ。僕、そろそろカウンセリングに行かないと」

 そこへ奥のホールからみずきが現れた。そしてこう言ったのだ。

美山みずき:「あなた達、何を集まってるの。他のお客様の相手をしないと」

 こうみずきがのぞみそしてみさき、ゆきに言うと、三人はこう言って持ち場に分かれて行ったのだ。

ゆき :「はぁーい」
みさき:「すいませーん」
のぞみ:「わかりました。倉田さんがお見えですよ」

 こうして三人は持ち場に戻って行った。その場に残された学と彩はみずきと対面し、彩はみずきに向かってこんな言葉を投げ掛けたのである。

木下彩:「あなたがみずきさんですね。どーして倉田さんをデートに誘っておきながら振ったんですか?」

 この彩のあまりにもストレートな質問に、みずきにはピンと来るものがあったのか逆にこう彩に質問をした。

美山みずき:「もしかして、あなた。倉田さんのこと好きでしょ?」

 学はこの女同士のやり取りを、息を潜めて見守ったのだ。そして彩がこのみずきの質問にどう答えるか、学自身とても気になった。すると彩は、何の躊躇(ためら)いもなくこう答えたのだ。

木下彩:「わたしは倉田さんを尊敬しています。だから倉田さんがどうして振られたのか知りたいんです」

 この彩の答えは学にはとても微妙で、どう解釈していいのか今ひとつ分からなかった。彩の言葉をそのまま受け止めればいいのか、それとも他のニアンスが含まれているのか。しかしみずきにはこの言葉で十分であった。それは彩が学のことを好きだと言うことが、「女の勘」としてすぐにわかったからだ。
 それは先日、みずきが学を振り、自分の好きなひとのことを振ったみずきを許せなく、今日このお店に来たと言うことがみずきには理解できたからである。だからみずきは彩に正直にこう話した。

美山みずき:「そう先日、わたし倉田さんを振ったわ。わたし振られるの嫌だったから。だから振られる前に振ったの」
木下彩:「どう言う意味ですか、みずきさん」
美山みずき:「倉田さんに訊いてみたら。倉田さん、あなたのこと好きだと思うし。ねぇー、倉田さん」
木下彩:「倉田さん。今、みずきさんの言ったことどう言う意味ですか?」

 学は彩の質問にどう答えていいか迷ったのだ。そして頭の中でどんな言葉を言えばいいか巡らした。その時だった。彩のスマホの着信音が突然鳴ったのだ。学は助かったと思った。彩は自分のカバンの中にあるスマホを探し、その間、彩のスマホの着信音は『銀座クラブ SWEET』のフロアに鳴り響いた。
 そして彩は電話に出たのだ。その電話の相手は透であった。透は彩にLINEを送る前に、彩がじゅん子ママのお店『銀座クラブ マッド』に出勤するのか確認の為、電話してきたのである。

樋尻透:「もしもし彩ちゃん。今日じゅん子ママのお店で仕事だったよねぇー」
木下彩:「ええぇ、そうだけど」
樋尻透:「それじゃあさぁー。今からLINE送るけど、彩ちゃん今どこにいるの?」
木下彩:「『銀座クラブ SWEET』って言うお店だけど」
樋尻透:「えぇー、『銀座クラブ SWEET』。彩ちゃん、何で他の銀座クラブのお店にいるの?」
木下彩:「抗議しに」
樋尻透:「よくわからないけど。じゃあ今からLINE送るね」

 こうして電話は切れたのだった。このやり取りは学とみずきの目の前で行われた。そしてのぞみ、みさき、ゆきも耳をすまして聴いていた。するとみずきは彩にこう尋ねたのだ。

美山みずき:「今の電話の着信音はジブリ映画の曲だったような」
木下彩:「ええぇ、そうですけど」
美山みずき:「なんの映画でした?」
木下彩:「『天空の城ラピュタ』の曲です。『君をのせて』です」

 彩がみずきにこう説明していると、学のスマホの着信音も鳴った。学は急いで自分のスマホを探し、そして電話に出た。

倉田学:「もしもし、倉田ですけど」
峰山一樹:「よぉー、『オタク』もとい『モテ期』くん。調子はどうだい彩さんと」
倉田学:「ごめん、今忙しいから。電話切るね」
峰山一樹:「おいおい、冷たいねぇー。ちょっと『モテ期』に入ると余裕じゃないかい」

 学は一方的に一樹の電話を切ったのだ。とても一樹の言う余裕など今の学には無かった。と言うのも学と彩のスマホの着信音が、偶然にもジブリ映画の曲だったからだ。学の着信音は『耳をすませば』の映画の曲の『カントリー・ロード』で、彩の着信音は『天空の城ラピュタ』の映画の曲の『君をのせて』と、偶然にしては出来すぎていたからだった。これを知ったみずきは、二人の関係に確信を抱いた。そして学と彩の二人にこう言ったのである。

美山みずき:「『君の名は。』の映画の試写会のチケット、ふたりに渡せば良かった。でもわたし倉田さんから和歌を貰ったから」

 この含みのある言葉を聴いた彩は、すかさず学にこう訊いたのだ。

木下彩:「倉田さん。和歌ってなんですか。教えてください」

 すると彩のスマホにLINEメッセージが入った。そして彩はそのLINEに気づいたのだ。仕方なく彩は学にこう言った。

木下彩:「この話は今度しましょう。行きましょう倉田さん」

 学と彩は、みずきにお辞儀してお店をでた。そしてじゅん子ママが待つお店『銀座クラブ マッド』へと向かったのだ。学と彩が去った後、みずきのお店『銀座クラブ SWEET』のスタッフの間では、みずきママと学、そして彩の話で持ち切りだった。のぞみやみさきそしてゆきは、てっきりみずきと学がうまくいっているものだと思っていたからだ。
 それは七夕の日の翌日、お店でみずきに会った時、みずきが嬉しそうな表情を浮かべていたからだった。実はみずきのこころの中には複雑な思いがあった。それは学には好きな女のひとがいて、学のことを想ってくれる女性がいることに対し、嬉しかったと言う気持ちもあったからだ。みずきからしたら学は、恋愛において少し心配を焼いてしまうそんな存在で、ある意味母性をくすぐられるそんな存在でもあった。だからみずきは学のことを放っておけないそんな存在で、ある意味、映画『君の名は。』の奥寺先輩みたいなそんな心境だったのかも知れない。
 しかし学のこころの中には、みずきに対する憧れの気持ちはあったが、恋愛的な感情が無いことをみずき自身、今までの彼女の恋愛経験から薄々感じていた。そしてそのことに対して、みずきは少し寂しい部分もあった。だからみずきは振られる前にみずきの方から学を振り、それにより自分の気持ちに整理をつけていたのだ。
 また学がみずきの為に歌ってくれた和歌を、みずきは学からの「わかれうた」だと思って大切にしていこうと思っていたのだった。それは学からみずきへの『形のないプレゼント』だったからだ。こうしてみずきは中島みゆきの『わかれうた』の唄をお店に流し、この曲を聴いてみずきはひとり、涙を堪えながらお店の奥でひとり涙を流したのだった。

 その頃、学と彩はと言うと、彩はじゅん子ママのお店『銀座クラブ マッド』がある建物の下で、透からのLINEメッセージを確認していた。その内容はと言うと「Sentence Summer!!!」であった。彩はたちまちひとみに変貌し、隣にいる学にこう言ったのだ。

綾瀬ひとみ:「わたし夏女よ」
倉田学:「そのようですね」
綾瀬ひとみ:「梅雨が明け夏は告げられたわ。どーせあなた、じゅん子ママのお店に行くんでしょ!」
倉田学:「まあぁ、そうですが」
綾瀬 ひとみ:「わたしをエスコートしなさい。エレベーターボーイ!」

 二人はじゅん子ママのお店がある建物の5階へと昇っていった。そしてひとみは学と別れ、お店の中に消えていったのである。実は今日、学はじゅん子ママから話したいことがあるから店に来て欲しいと言われていたのだ。そして学がお店に入るとはるかが待ち受けていた。学ははるかに話し掛けたのであった。

倉田学:「こんばんははるかさん。じゅん子さんはいますか?」
はるか:「こんばんは倉田さん。じゅん子ママ、今お客様の相手をしてて。倉田さんは今日、飲みに来られたんですか?」
倉田学:「じゅん子さんからお店に来て欲しいと」
はるか:「そうですか。倉田さんって普段何してるんですか?」
倉田学:「僕ですか、僕はカウンセリングを・・・」
はるか:「お悩み相談みたいなやつですか?」
倉田学:「僕は心理カウンセラーだから、こころの悩みが中心かなぁ」
はるか:「こころ読めるんですか?」
倉田学:「こころを読むことは出来ません。言葉を丁寧に扱います。それと五感覚を大切にしています」
はるか:「どう言うことでしょうか?」
倉田学:「そうですねぇ。例えば今日のはるかさんを観たとき、今着ているはるかさんのドレスの色、カタチ、模様。それと雰囲気、表情、仕草。また言葉使い、イントネーション、言い回し。そして香水の香り、髪の匂い、化粧など。そう言うのを厳密に客観的に丁寧に観ていきます」
はるか:「倉田さん。何時もそんなこと考えていて疲れませんか?」
倉田学:「僕の場合、職業病みたいなものだから。それに僕は昔から自分をあまり出さないよう周りに合わえて生きて来たから」

 そんな会話をはるかとしていると、れいなが学とはるかの元に近づいて来て学にこう言った。

れいな:「こんばんは倉田さん。実は先日のわたしの誕生日の日に、わたしの彼氏と彼氏の両親が、このお店に来たの知ってますよねぇ」
倉田学:「ええぇ、はい」
れいな:「そこで来年のお正月明けにも、わたし新潟県 長岡市に行くことに」
倉田学:「そうすると、彼氏の実家に行くと言うことですか?」
れいな:「ええぇ。彼の実家、昔から長岡市内で花火師をしてて、それで彼も実家に戻って家業を継ぐ決心を固めたんです」
倉田学:「そうなんですね。それはおめでとう御座います。でも、れいなさんが居なくなると寂しくなりますねぇ」
はるか:「れいなさん、羨ましいなぁ。わたしも素敵な彼氏欲しいです。倉田さんは彼女とかいないんですか?」

 このはるかの質問に、学はどう答えればいいか少し迷った。そしてこう言ったのだ。

倉田学:「僕は自分の恋愛ってイマイチよく分からないんです」
はるか:「倉田さん心理カウンセラーでしょ! こう言うの得意なんじゃ」
倉田学:「僕は他のひとの恋愛のカウンセリングはするけど、自分の恋のカウンセリングは良くわからないんです」

 こう学がはるかとれいなに言うと、二人は学に向かってこう言ったのであった。

はるか:「変なのぉー。倉田さん」
れいな:「倉田さんなら、きっといいひとに巡り逢いますよ。だって『形のないプレゼント』をあげられるんだから」
倉田学:「そうですかねぇー」
はるか:「倉田さん。その『形のないプレゼント』って何ですか?」
倉田学:「自分でも良くわからないんだけど・・・」

 そう言って学は、自分のカバンからピンク色の折り紙を一枚取り出し、何やら折り紙を折り始めたのだ。そして最後にカバンからはさみを出し、折った折り紙を切り出した。すると桜の花びらが完成したのである。そして学はこう言ったのだ。

倉田学:「れいなさん。おめでとう御座います。桜の花咲きましたね」

 こう学は言って、二人に折り紙で作った桜の花びらを見せたのだ。するとはるかは嬉しそうにこう言った。

はるか:「これ何て言うんですか?」
倉田学:「切り紙です。子供の頃、遊びませんでしたか?」
はるか:「昔、やったような。でも倉田さん、これって女の子の遊びじゃ!」
倉田学:「僕はあまり女の子だからとか男の子だからとか意識して遊んだことないから。それにこれは僕のおじいちゃん、おばあちゃんとの想い出でもあるし・・・」
れいな:「倉田さん、ありがとう御座います。相変わらず『形のないプレゼント』あげるの上手いんですね」
倉田学:「前にも言ったかも知れないけど、僕は逆にこれしかできないから」
はるか:「ふぅーん。倉田さんって面白いひとなんですねぇ」
倉田 学:「『珍しいタイプ』だと言われたことはありますよ」
れいな:「はるか! 倉田さんが、どういったひとかわかったでしょ」
はるか:「はい。でも、わたしにはちょっと向かないかも」
れいな:「どうして?」
はるか:「だって倉田さんと比較されちゃうでしょ! 自分ができない女みたいに観られるの嫌なの」
倉田学:「僕、他のことは得意じゃないし。それに自分が、何が得意で何が苦手かはやってみないとわからないと思うんです。やらずに諦めてしまうのって、僕はとてももったいないんじゃないかと・・・」
はるか:「ふぅーん。そっかー」
れいな:「そうよねぇ。倉田さんには教えて貰ったこともあるし。そうだ来年の一月、このお店でわたしの結婚パーティーをじゅん子ママが開いてくれるんです。倉田さんも是非来てください」
倉田 学:「そうですか。わかりました。喜んで参加させて頂きます」

 こうして学とれいな、そしてはるかが話していると、じゅん子ママが現れたのであった。

じゅん子ママ:「こんばんは倉田さん。お待たせしてしまってすいません。ちょっと、奥の部屋に来て貰えませんか」
倉田学:「はい、いいですけど」

 こうして学とじゅん子ママは、奥の小部屋に入っていった。するとじゅん子ママは学にこう告げたのだ。

じゅん子ママ:「倉田さん。わたしの大切なあのひとのこと覚えているかしら?」
倉田学:「ええぇ、まあぁ。それがどうかされましたか?」
じゅん子ママ:「実はね。あのひと、この梅雨が明けると同時に天国に召されたの。眠るように亡くなったわ」

 じゅん子ママはこう言って学に涙を見せた。学は自分のカバンに手を伸ばし、そして先日、自分で買った真新しいハーモニカを取り出したのだ。それを自分の口元に持っていき、学はハーモニカを吹き出した。そう、その曲は坂本九の『見上げてごらん夜の星を』であった。その音色はとても切なく悲しい音色だった。学はこころを込めてじゅん子ママの為に、ハーモニカで『見上げてごらん夜の星を』を吹いたのである。
 じゅん子ママは少し上を向いて、そしてあの大切なひととの想い出を思い出していた。学はそのじゅん子ママの表情を眺めながら吹いた。じゅん子ママの気持ちが自然と学に伝わって、その気持ちが学の吹くハーモニカに乗り移っていくように感じられた。僅かな時間であったが、とてもゆっくりで、そしてとても長い、じゅん子ママが愛したあのひととの想い出が、走馬灯のように蘇って来た。
 じゅん子ママの涙は、あの地下鉄サリン事件(オーム真理教)の出来事を洗い流し、そして忘れさせてくれるようにも感じられた。学もじゅん子ママの気持ちに釣られ、自然と涙が溢れてきたのだ。こうして二人は、あのじゅん子ママが愛した大切なひととの別れを惜しみ、そして魂(霊性)として何時までもじゅん子ママの傍で見守ってくれることを信じていたのだった。こうしてこの夜は悲しく儚い中にも、学の吹くハーモニカにより、生きとし生けるもの誰しもが経験する死と言う尊いものを分かち合ったのである。


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