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【物語】二人称の愛(中) :カウンセリング【Session53】

※この作品は電子書籍(Amazon Kindle)で販売している内容を修正して、再編集してお届けしています。

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※前回の話はこちら

2016年(平成28年)06月21日(Sun)夏至

 今日は夏至にあたり、一年で昼間の長さが一番長い日である。学はこの日、お昼のニュースで東京都知事である舛添要一知事が、今日辞職すると言う報道をテレビのニュースやワイドショーで観たのだ。

 学のカウンセリングルームは都庁から歩いて15分ぐらいの場所にあった。その為、このニュースがとても他人事のようには感じられなかった。そんな思いで、このニュースを聴きながら午後のカウンセリングの準備に備えていたのだった。
 そしてみさきと約束した弟の勇気のカウンセリングを『親子カウンセリング』と言う形で行う為、カウンセリングルームでみさき一家が訪れるのを待っていたのだ。時間は約束の15時近くなり、みさき一家は学のカウンセリングルームを訪れたのだ。

みさき:「こんにちは倉田さん、みさきです。『親子カウンセリング』を受けに来たのですが」
倉田学:「ああぁ、みさきさんですね。お待ちしていました。今1階玄関ドアを開けますね」

 こう言って学は、カウンセリングルームがあるマンション1階の玄関のドアを開け、みさき一家は学のカウンセリングルームへと上がって来た。そして学は、カウンセリングルームのインターフォン呼び出し音が鳴るのを聴いたのだ。学がおもむろに玄関の扉を開くと、みさきを先頭に弟の勇気そしてみさきの両親がその後ろに立っていた。学はみさき一家を自分のカウンセリングルームへと案内し、こう言った。

倉田学:「それではカウンセリングを始めたいと思うのですが、君が勇気くんだよねぇ?」
古澤勇気:「ええぇ、はい」
倉田学:「勇気くんは、カウンセリングを受けてどうなりたいの?」
古澤勇気:「僕は、今より強くなりたいんです」
倉田学:「強くなると言ってもいろいろあるし。何に対して強くなりたいのかなぁー」
古澤勇気:「それがわからなくて」

 そう言うと勇気の両親の敏夫と初枝が横からこう言ってきた。

古澤敏夫:「勇気! おまえがはっきり言わないと、先生わからないじゃないか」
古澤初枝:「あなた勇気の気持ち、わかってあげたことあるの! 勇気は『甲状腺がん』の手術を受けて、学校に行かないといけないのよ」

 そこにすかさずみさきが口を挟んできたのだ。

みさき:「おとうさん、おかあさん止めてよ。勇気がどれだけ辛い思いをしているか、ちゃんと訊いたことあるの?」
古澤敏夫:「あまえは今一緒に暮らしてないのに、良くそんなこと言えるな」
古澤初枝:「あなたひとのこと言えるの。今わたし達一家を支えているのはみさきの仕事のおかげよ」

 この一連の話を聴いていた学は、勇気の問題を解決する前にみさき一家の家族の問題を解決する必要があると感じた。そして親子関係やカップルといった問題は、往々にして問題とされて連れて来られたひとより、むしろ連れて来たひとや問題とされるひと以外のひと達に問題が隠されている場合が多いのではないかと学は感じていたからである。
 だから学は、みさきそして勇気、敏夫、初枝の話を最初の30分ぐらいは一緒に聴いたが、その後は個別にひとりずつ話を聴くことにしたのだった。こうして学がひとりから話を聴いている間、他の三人は別室で控えて貰ったのだ。そして一人ひとりから訊いた個別の話の内容は、学からは絶対に他のひとに話を明かさないことを伝え、クライエントの安心と安全が完全に保たれた時間・空間であることを強調し、一人ひとりのカウンセリングを行っていった。

 学が最初に行った四人一緒のカウンセリングで、家族間の関係性や力関係、また誰が一番家族に影響を与えている人物か客観的に評価していったのだ。そして最初に誰から話を聴くか考えたのだった。学は最初に勇気の話から聴くことにした。それには二つの理由があったからだ。
 1つ目が、今回のカウンセリングの主訴が、勇気についての相談の依頼だったからである。そして2つ目が、最初の四人一緒でのカウンセリングを行った時に、勇気の発言が一番少なく、家族の中の力関係を観たときに、一番弱い立場だと学には感じられたからだった。もし仮に勇気を後の方にすると、先に学とカウンセリングをしたひとが何を話したか気になり、勇気の中に無意識的に防衛機制を働かせる恐れがあると学には感じたからだ。そこで学はこう言った。

倉田学:「それでは今から一人ひとりの話を聴きたいと思います。勇気くんのことでカウンセリングに来られたので、最初に勇気くんから話を聴きますね。他の三人は別室でお待ちください。それと、僕は先生じゃないから倉田と呼んでください」

 学はこう言って三人を別室に案内した後、勇気とのカウンセリングを始めた。

倉田学:「勇気くん。君の歳は確か17歳で高校三年生だよね」
古澤勇気:「ええぇ、まあぁ」
倉田学:「君は将来、何になりたいの?」
古澤勇気:「僕ですか、僕は本当はプロサッカー選手になりたかったんです」
倉田学:「そんな夢があったんだね。でも過去形の話だよね?」
古澤勇気:「だって、あの東日本大震災(3.11)による津波で福島第一原発事故が起き、僕の夢はあの原発事故による『甲状腺がん』で絶たれたんです」
倉田学:「僕は研究者でも医師でも無いからわからないけど、勇気くんはずっーと『甲状腺がん』のことを引きずって将来を生きるのかなぁ?」
古澤勇気:「東日本大震災(3.11)さえ起きなければ、福島第一原発事故さえ起きなければ、『甲状腺がん』にさえならなければ・・・」
倉田学:「では、ひとつ質問してもいいかな。そうならなければ、プロサッカー選手になれましたか勇気くんは?」
古澤勇気:「そんなこと、やってみないとわからないよ」
倉田学:「そうだよねぇ。僕は思うんだよね。自分が本当は何に向いていて何が出来るかは、自分次第だと思うんだよね」
古澤勇気:「それって、どう言うことですか?」
倉田学:「僕もいろいろ遠回りして来たけど、自分の可能性を信じることってとても大切だと思うんだよね。例えば視覚障害者は努力すれば、他の聴覚で補うことができたり。僕たちの五感覚って、実は少ししか使われていなくて、それをどのくらい伸ばせるかは自分次第だと僕は思っているんだよね」
古澤勇気:「倉田さんは五感覚を何かに生かしてるんですか?」
倉田学:「僕ですか。僕は心理カウンセラーだから五感覚を物凄く大切にしているんだよ。そして僕は絵を描きます」
古澤勇気:「心理カウンセラーと絵は何か関係あるんですか?」
倉田学:「カウンセリングをするには感性を磨く必要があります。それと同じで絵も感性が必要です。僕はカウンセリングでクライエントさんと向き合うのと同じ姿勢で絵にも向き合います」
古澤勇気:「それはどう言うことですか?」
倉田学:「絵は被写体としっかり向き合う必要があります。それはカウンセリングも同じで、クライエントさんに丁寧にしっかり向き合う必要があると言うことです」

 そう言って学はスケッチブックを取り出し、クリスマスの日に描いた絵を勇気に見せたのだった。そして勇気はこんなことを言い出したのだ。

古澤勇気:「実は、僕は親に言ってないけど学校で菌を付けられて呼ばれてて、『ゆう菌』って呼ばれてるんです」
倉田学:「それはクラスの皆んなからなの?」
古澤勇気:「一部のクラスメイトからだけど、だから僕は学校に行きたくないんです」

 この話を聴いた学は、少し考えこう答えた。

倉田学:「この問題は勇気くんひとりの問題じゃない。両親、そして学校を含めて考える問題だと僕は思うんだよね」

倉田学:「でも、これに対して勇気くんがどうしたいかは、勇気くんしか決められないと僕は思うんだよ。まず、家族で話し合うべき問題だと僕は思うけど」
古澤勇気:「父親も母親も、僕のことを心配してくれているかも知れないけど。でも今日もそうだけど、僕の両親意見が合わなくて。それにお姉ちゃんには心配かけたくないし」
倉田学:「これは僕が決められる問題ではない。勇気くんしか決めることのできない問題なんだよ」
古様勇気:「そうですか」

 こうして学と勇気のカウンセリングは終わったのだった。時間にして30分ぐらい話しただろうか。そして次に学は父親の敏夫とカウンセリングを行ったのだ。何故なら、家族の中で一番影響力がありそうだと学には感じたからだった。また父親を二番目にすることで、ある意味敏夫の「顔を立てる」と言う意味合いもあったからだ。こうして学と敏夫のカウンセリングが始まった。

倉田学:「古澤敏夫さんですね。息子さんについてどう思ってるんですか?」
古澤敏夫:「勇気は、昔は活発でプロのサッカー選手になるって頑張っていたのに、今は『甲状腺がん』のこともあり、親の自分に話をすることも無くなって学校も休みがちで。俺たち、あの東日本大震災(3.11)と福島第一原発事故で全てを失ったんだよ」
倉田学:「それでも、家族は無事だったじゃないですか」
古澤敏夫:「倉田さんに、俺たち一家やあの東日本大震災(3.11)で被災したひと達の気持ちなんてわかる訳ないだろ」
倉田学:「正直に言います。勿論わかりません。でも逆に質問させて貰っていいですか、僕にも苦しい時期がありました。その気持ちをあなたは理解できますか?」
古澤敏夫:「そんなこと理解できる訳ないじゃないか」
倉田学:「そうです。自分の苦しみは自分自身しかわからないのです。たとえそれが家族でも、家族の苦しみは本人しかわからないのです」

 この時の学は珍しく、少し感情的になって敏夫に話し掛けていたのだ。そしてこう付け加えた。

倉田学:「家族だからこそわかり合えると思っているのに。それがわかり合えなかったらどれほど傷つくか。そしてわかってあげようとしてくれなかったら、どれほど傷つくか」

 この言葉はある意味、学自身の両親に対する思いでもあったのだ。それは学が今まで生きて来て両親から一度も愛されなかったし、それを期待してももう一生わかり合うことも無いと思っていたからだった。そして時々、学はこの自分でも耐え難い感情がこみ上げて来ることがある。そんな思いで眼の前の敏夫に話し掛けたのだ。すると敏夫は少しうつ向いてこう言った。

古澤敏夫:「世の中って不公平ですよね。俺たちみたいなひと達のことは忘れ去られて、『東京2020オリンピック・パラリンピック』って喜んで騒いでるんだから」

 学はこの質問に答えることが出来なかったのだ。それは学自身では、この問題をどうすることも出来る立場では無かったからである。そして学はこう言った。

倉田学:「僕ひとりでは、この問題を解決することは出来ません。これは東京都や国と言った行政の問題です。今の僕には見守ることしか出来ません」

 そう学が言うと、敏夫は悲しそうな表情を浮かべて学の元を去り、別室に戻って行った。次に学が呼んだのは初枝だ。順番的に父親の敏夫を呼んだ後であったこと、次に家族で影響力が大きいのが母親の初枝だと学には感じられたからだ。初枝は学の元にやって来て、学の目の前に座った。そして初枝の方から学に話し掛けてきたのだ。

古澤初枝:「倉田さん、勇気はどうなんでしょうか?」
倉田学:「家族なんだから直接本人に聴かないんですか」
古澤初枝:「だって倉田さん、勇気はわたし達家族にこころを閉ざしてしまっていて。倉田さんなら何とかなるでしょ!」
倉田学:「これは勇気くんと家族の問題です。僕が出来るのは、家族同士のお互いの気持ちを整理してあげることぐらいです。そして『中立な立場』で それぞれお互いの話を聴いて、お互いの意思疎通がスムーズになるよう整理してあげることぐらいです」
古澤初枝:「心理カウンセラーって、こころの病を治すことが出来るんじゃないんですか?」
倉田学:「僕がクライエントさんのこころの病を治すんじゃない。治すのは個人の場合は本人だったり、家族の場合は家族だったりです」
古澤初枝:「では、心理カウンセラーは何をするんですか?」
倉田学:「その治りたいとか、問題解決したいと思っているひとの羅針盤みたいな存在です」
古澤初枝:「はあぁ、そうですか」

 こうして学は初枝とのカウンセリングを終え、最後にみさきとカウンセリングをすることとなった。みさきは学にこう聴いてきたのだ。

みさき:「倉田さん、勇気とわたしの両親とカウンセリングしてどうでしたか。どうだったか教えてください?」
倉田学:「すいません。これはカウンセリングなので、家族でも守秘義務になります。もし聴きたければ本人から直接聴いてください」

 そう学がみさきに言うと、みさきは少し残念そうな表情を浮かべた。そしてこう言ったのだ。

みさき:「勇気は良くなりますか?」
倉田学:「全ては本人次第だと思います。勇気くん、自分がプロサッカー選手になれないことを全て『甲状腺がん』のせいにしていると僕は思うんです」

倉田学:「でも、その考えを変えない限りおそらくこの先、勇気くんが生きていく上で、それを言い訳にすると思うんです」
みさき:「では、どうすれば?」
倉田学:「プロサッカー選手ではない、勇気くんの中にある他の可能性を探して行く必要があると思います」
みさき:「勇気にありますか他の可能性が?」
倉田学:「僕はどんなひとにも可能性はあると思います。でも多くのひとは、その可能性に観て見ない振りをして生きているんじゃないかと。子供の頃は皆んな可能性を秘めて生まれて来ていると僕は思うんです。でも自分を信じられず途中で諦めたり、楽な道を選んだりして。僕たちは知恵がつけばつく程手を抜いたり、近道を選ぶようになってしまうから」

 こう学はみさきに言って、みさき一家とのカウンセリングを終えたのだ。みさき達は、学の『親子カウンセリング』を受けて、勇気を中心とした家族の問題を学のカウンセリングで解決できるのか、不安に感じていたのであった。
 そしてこの時の誰もが問題は勇気にあり、勇気の問題さえ解決出来ればみさき一家の家族の問題が解決できるだろうと思っていたのだ。しかし学から観たら、問題はそれなりに家族全員にあると思っていた。また家族療法で良く言われる「円環的因果律」の典型でもあり、家族間の問題を引き起こしている原因に、自分は全く関与していないと思ってカウンセリングを受けている場合が多いのが、家族療法の特徴でもあるからだ。

 学にとって心理カウンセラーとは『中立な立場』で話を聴いて、クライエントの話を整理し返してあげることがきちんと出来れば、難しい心理療法を行わなくとも、クライエントの抱えている問題を解決することが出来ると思っていた。そして学は、出来るだけ心理療法に頼らず、会話中心でクライエントの問題を解決することが出来れば、一番いいカウンセリングではないかと思っていたのである。
 それは心理カウンセラーが下手にスキル、テクニックと言った技術的な方へと走ると、自分のクライエントに対する気持ちがやってやるぞ的な、ある意味自己満足的なカウンセリングになり兼ねないと思っていたからだった。その為にも学は、こころの中を常に中立の中道(ちゅうどう)に置いておく必要があり、これが出来るから学は他の心理カウンセラーから一目置かれる存在だったのである。


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