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眩暈(めまい)を起こしている社会

フランスの人類学者「ロジェ・カイヨワ」が書いた
「遊びと人間」という話をご存知だろうか。

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「人間にとって遊びとはなんなのか?」ということについて詳しく考察されているこの本。60年以上前の本だが、この本は人間の本質について考えさせてくれる本だ。今日はこの本を例にしながら、今学校教育で何が起きているのかについて自分なりの考察を加えていきたいと思う。

1 遊びとは何か?

「遊び」についてカイヨワは次のように定義をしている。

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お読みいただければどれも納得いただけるだろう。
ポイントとなるのは
①自由な活動である
というところだ。強制されない。やめることも自由。そうでないと「遊び」ではない。そのようにカイヨワは述べている。
やめることの自由が保障されていない限り、それは遊びにはならないのだ。
今日の学校教育の中に本当に「遊び」はあるだろうか?

2 遊びの4分類

カイヨワは「遊び」を4種類に分けて考察をしている。
その4つとは
「競争(きょうそう)・偶然(ぐうぜん)・模擬(もぎ)・眩暈(めまい)」だ。

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それぞれの遊びの特性をあげてみよう。

①  競争とは?

まず競争について。
これは「何かを比べる」ことで成立する。
ポイントなるのは人間の努力によって勝ち負けが左右されるということだ。

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カイヨワはこの「競争」という遊びの中をさらに細分化する。
それが「ルドゥス(競技)とパイディア(遊戯)」である。
前者は確然としたルール的制約の存在するものであり、後者はルールらしいルールがなく、あってもごく緩やかなものである。
このように考えると「けんか」も「チェス」も「力を比べる」「頭脳を比べる」という上で同じ「競争」の一種であると考えられる。

②  偶然とは?

「偶然」とは予測不可能なものを楽しむ遊びである。
先ほどの「競争」とは違い、どんなに努力したり練習をしても勝ち負けに直結しないという特徴がある。

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じゃんけんのようなゆるいものから、宝くじのように統計的にきっちりと考え抜かれたものまで、幅広い偶然の遊びがある。

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③  模擬(模倣)とは?

「模擬(模倣)」遊びとは「真似・模倣をともなう遊び」すなわち自分が真似をして何かになりきったりする遊びのことである。

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これにもごっこ遊びのようなルールが緩いものから、劇団のようなルール的制約があるものまで幅広く存在する。

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④  眩暈(めまい)とは?

さて、最大のポイントなる「眩暈」遊びとは何か?
それは「意志もルールも否定される遊び」
つまり予測不可能なものに身を委ねるという種類の遊びだ。

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ブランコやメリーゴーランドといった単純遊びものもあれば、空中ブランコやスキージャンプといった競技性のある「眩暈遊び」もある。

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3 子どもたちの好きな遊び

カイヨワは遊びを
「競争・偶然・模擬・眩暈」
の4つに分類した。
子どもたちが夢中になる遊びにはこの要素が必ずといって入っている。
例えば「鬼ごっこ」
この遊びは世界共通の子どもたちが夢中になる遊びだろう。
この遊びにはどの要素が含まれているのだろうか?

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・足の速さ比べ・・・競争
・すごいスピード・・・眩暈(めまい)
・鬼と逃げるものという役割・・・模擬・模倣
・どこから鬼が現れるかわからないスリル・・・偶然

遊びの4要素がすべて入っている。だから子どもたちは夢中になるのだ。
子どもたちが夢中になるものの奥には何があるのか?
それを考えてみるといろいろなことが見えてくるだろう。

4 「眩暈(めまい)」が加速させる遊び

「眩暈(めまい)」とは意志やルールが否定される遊び。
すなわち、予測不可能なものに身を委ねる遊びだと先ほど述べた。
この「眩暈(めまい)」の特徴は中毒性があるということだ。

「もっと強い刺激を」
「もっと大きい刺激を」
「もっと速い刺激を」

もっと!もっと!というようにさらに大きい刺激を追い求めていく。
この「眩暈」は他の遊びと組み合わさることで欲求を増長させていく。

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お分かりだろうか。どの「遊び」も「眩暈(めまい)」が組み合わさることで
「もっと」「もっと」というように刺激を加速させていくことがわかるだろう。
現代社会はこの「眩暈(めまい)」に侵されている。

「一発屋」という言葉。
ブレイクしたお笑い芸人が、急速に忘れ去られていく。
これは「もっとおもしろいものを」「もっと新しいものを」という「眩暈(めまい)」に侵された現代の病だろう。

5 コロナ自粛の中で破裂した「眩暈(めまい)」

現代の病ともいえる「眩暈(めまい)」
このコロナ自粛の中ですべてにストップがかけられることになった。

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今まで社会にあふれていた「眩暈(めまい)」型の遊びが、コロナ状況下ですべて自粛に入る。こんな状況は前代未聞だ。
「眩暈漬け」だった人々。
「ステイホーム」というスローガンのもと家でどのように遊ぶかを考え始める。
例えば
「星野源」の「うちでおどろう」

あれは誰がどうつながっていくかわからない「偶然」の遊びである。
そして、星野源が「歌い手」という役割。
他の人は違う役割という「模擬」の遊びの要素もある。

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これに再生回数という「競争」が加わり「眩暈」を起こしていく。
そんな構図である。
このようにソーシャルディスタンスを保った状態で何ができるか?
そういうことを考えられる人がいる一方でそうではない人もいる。

例えば河川敷のBBQをしたりやパチンコ店に行列をつくったりする人々だ。

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緊急事態宣言下でも、危険を顧みずに人の集まる場所にむらがる。
これは「眩暈(めまい)」を起こしている何よりの証拠だ。



「もっとおもしろいことを」
「もっと刺激的なことを」
「もっと楽しいことを」

このような考え方でいると「ステイホーム」は耐えられない。
彼らは眩暈の中でしか生きられない。
眩暈中毒になっているといえよう。
人が集まることで「眩暈」は加速していく。
だからこそ、彼らは人を集め、その中に身を投じるのだ。

もう1つ例を挙げよう。
コロナの陽性反応が出た後にも移動をして報道された女性だ。
その行動がネットで炎上し「彼女の個人情報を特定した」との情報が飛び交っている。彼女の行動は確かに非がある。しかし、ここまで彼女を悪者にして合法的に責め立ててよいものだろうか?

これはこの事件に限ったことではない。多くの事件でこのようなことが起きる。このように人々が夢中になる行動にも「遊び」が隠れている。

・誰よりも早く特定しよう・・・競争
・あいつは「悪」僕は「正義」・・・模擬
・騒ぎが大きくなるのがおもしろい・・・眩暈

このような報道を見ると彼らはさも加害者のように扱われる。
しかし、彼らを犯人にしたてあげ、攻撃をしてよいものだろうか?
かれらは被害者であるとも考えられるのではないか。
「眩暈(めまい)」で侵されたこの社会が彼らを生み出しているのだから。

6 「眩暈(めまい)」から抜け出した社会へ

カイヨワは「遊び」を「競争・偶然・模擬・眩暈」に分類した。
その中の「眩暈(めまい)」が社会を大きく蝕んでいる。

「もっとたくさん」
「もっとおもしろく」
「もっと刺激を」

こういう考えが社会の歯車を狂わせている。
そんな状況から抜け出すためにはどうすればいいのか?
そのためにはカイヨワのあげた4つの「遊び」にはない「遊び」を打ち立てていくことが必要だろう。

「眩暈(めまい)」に侵食されない遊び。
それは「挑戦」と「発見」という遊びである。
次の記事ではそれについて詳しく書いていきたい。

つづき↓


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